ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

母はどうしているだろうか?

2023年12月25日 | 介護
自宅で介護が無理になり、母を特養に入れた。
毎日母を特養に入れたことを悔やんでいる。
どんな食事をしているのだろうか?
クリスマスはあったのだろうか?
誰かと会話はしているのだろうか?
思うような介護も看護も出来ずに悔やんでいる。
あれほど嫌っていた母なのに、今や愛おしい存在です。
親孝行もろくに出来ずに詫びています。
考えれば本来は母のことが好きだったのかも知れませんね。
二十歳の時に親の反対を押し切って家を出て無残にも1か月と1週間で自宅に舞い戻り、両親の間で寝て号泣しました。
両親は理由も聞かずに受け入れてくれました。
端から見るよりあたたかな家庭がそこにあったのです。
料理を習ったわけでもない母の作るご飯は美味しかったです。
小学2年生からご飯炊きと家事を強いられた母はその辛さはいかばかりかと思われます。
働いて帰ってきて疲れているのに母は食事を作ってくれました。
そんな食卓を家族で囲みました。
すき焼きや鍋などは父が作ります。
父の作るすき焼きはごちそうでした。
日曜日の外食も母のことを思って父がしてくれたのだと思います。
日頃パートで働き、家事もこなす母への罪滅ぼしだったのかも?
そこには暖かな家庭があったのです。

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毎日詫びている

2023年12月25日 | 日記
毎日詫びている。
心の中で母に詫びている。
自分で看ることが出来なくなり、入院させた。
その後特養に入れたことを詫びている。
最後まで自宅で私が看たかった。
あんなに嫌っていた母をこんなに愛おしいと思っている。
「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えずに特養に入れたことを心で詫びている。
何もなければこの家で私が看取るつもりだった。
しかしそれは無理だった。
度重なる幻聴と幻覚とせん妄に私は耐えきれずにいたのだ。
窓を開けて大声で「ばかやろう!」と叫び、窓から出ていく。
縁側に大事そうに自分のバックを握りしめ寝そべっていた。
バックを取り返したら庭に転げ落ちて今度は庭に寝そべった。
梃子でも動かなかった。
2度目は表の電信柱の下に座っていた。
これも動かなかった。
行き交う他人が変な目で見ていく。
そんなことが2度あった。
もう、無理だと思った。
とうとう私も限界だった。
ケアマネージャーさんを呼んで介護タクシーも着て病院に入院させた。
入院は最長3か月と決められていた。
その間自宅で再び介護は無理だと…。
特養に入れた。
自宅から一番近い特養に入れた。
今更ながら特養に母を入れたことを悔やんだ。

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情けない話

2023年12月24日 | 日記
情けない話である。
母を特養に入れたことを連日後悔している。
自宅で介護が困難になり、入院させてその後は特養に入れた。
ひどい仕打ちだったと反省している。
母が特養でどんな生活を送っているかは垣間見ることさえも許されないのだ。
実母なのに自由に会えない。
私は毎日心の中で母に詫びて泣いている。
自分の進みたい道を反対されあらゆることを反対されて育ってきた。
半ばストーカーのような母だったが、それとて娘を思ってのことだったのだ。
きちんとした親孝行もしないまま、私は残酷にも母を特養に入れてしまった。
こんなことになってから母のことが好きだったと…。
母を誰よりも愛おしい存在に思えてきたのだ。
もしも生まれ変わってやり直せるならあの父とあの母の元に生まれて、あの弟と家族と言うものをやり直したいと思うのです。
いろいろ考えたら私たち家族は端から見るより良い家族だったと思うのです。
酒ばかり呑んでたばこが好きでギャンブルばかりしていて職を転々としていた父です。
そのそばで母は生活のために内職やパートで働いてました。
そんな父でも家族サービスはするのです。
呑んで帰ってきて悪いと思ったのか不二家のケーキやヒロタのシュークリームや寿司折はごちそうでした。
歯を磨いて寝かされた私と弟は無理やり起こされて食べました。
休日は外食をする。
近所の街中華から近所のすし屋から銀座アスターや龍園やデパートのお好み食堂やレストラン街に行く。
渋谷に住んでいた時は駅まで7分でした。
母は駅前のデパートにサンダルで行きます。
みんながおしゃれをして革靴で行くのにサンダルです。
前掛けやエプロンを外しても足元はサンダルでした。
それが嫌で1度文句を言ったら怒られたことがありました。
今となっては懐かしい思い出ですね。
もう一度昔に戻れるなら家族と言うものをきちんとやり直したいと思うのです。
貧しくてもあたたかな家庭があったのです。

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残酷な娘でした

2023年12月22日 | 日記
ネットで調べら刑務所だって月2回の最低30分の面会は許されるようです。
それなのに母を入所させた特養は自由に面会も出来ません。
指定された日に指定された時間に5分から10分の面会です。
土日しか面会は出来ず、なおかつ人数制限もあり、私は1月末まで面会は出来ません。
私が決めたと言えども、母にはひどい仕打ちでしたね。
自宅で介護も難しくなり、私も限界を感じて決めたことです。
それなのにあらゆる制約があり、制限があるのです。
私が選んで決めたにしても残酷でしたね。
今更自宅で介護は無理です。
もう少し母を入所させる特養を選ぶべきでしたね。
自宅から近いということと病院の隣と言うことで選びました。
病院の隣なら介護タクシーも要らないのです。
毎日私は悔やんで泣いています。
持ち物も制限されおしゃれとは無縁になりました。
かわいそうなことをしたと悔やんでいます。

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泣いた!泣いた!号泣した!

2023年12月21日 | 日記
母の入所している特養に行った。
昨日作った銀行の通帳と届け出印とその他を相談員さんに渡して書類にサインして印鑑も押した。施設長と別の職員さんと相談員さんに囲まれた。
入ってすぐに車椅子の母が横目に見えた。
見ないようにした。
涙を堪えて小さな相談室に通されて、全てが終わり挨拶をして相談室を出たら車椅子の母の後ろ姿が見えた。
声を掛けることも話しかけることも、顔を見ることも許されない。
表に出て自転車を置いたところから涙が止めどなく溢れてきた。自転車を漕いだ。
自転車を漕ぎながら泣いた!
泣いた!
他人は残酷だ。
一目だけでも会いたかったし、一言だけでも会話がしたかった。
自転車を漕ぎながら号泣した!
遠くで火事だ❗
火の手が上がっている。
もくもくと上がる煙に我が家の方だと自転車を走らせた。
我が家はきちんと火の始末はしてきた。
消防車や放水車や何台もの車が現場には着ていた。
幸い我が家ではなかった。
東コミュニティーセンターの裏手の小さな川の向こう側だった。
野次馬が山ほど着ていた。
煙は放水しても収まらない。
私は野次馬と化した。
その昔住んできた家でボヤを出しただけで、梯子車まで来た。
近所の他人のバケツリレーで消したのに、消防車がせっかく来たからと大量の水を放射した。
被害が最小残ならいいが、この辺りに一人知り合いが住んでいる。 幸い彼女の家ではなかった。
さあ、こらから郵便局に行きます。

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