天気が続いたので、干していた大豆のさやも乾燥し、少しずつ豆を取り出しています。
出来は、なかなか。
マメシンクイガによって、かじられた豆も、結構ありますが、これらは、味噌用にします。
丸々太った、きれいなやつは、来年の種として、残しておきます。
くどいですが、種の方が、重要なんです。
仮に、逆のことをしたとしましょう。いい豆は全部食べて、残ったくず豆をまいても、もう、栽培はできなくなります。その時点で、ゲームオーバー。新しい種を、入手しなければなりません。
ところで、害虫の被害をなくせば、種もとれるし、自分でもいい豆が食べられるのでは、と考える人もいると思います。
しかし、世の中、そう甘くはないのです。
殺虫剤を多用すれば、大量生産が、可能なのかもしれません。
でも、それでは、種を残すことの重要性が、薄れてしまいます。
子孫を残すことの意義が、失われてしまい、その思いを、次世代へ伝承できなくなる可能性が、あるのです。
それって、豊かな暮らしと言えるのでしょうか?
今や、世界では遺伝子組み換え大豆なる、おそろしい脅威が、徐々に広まってきています。
これこそまさしく、人間が、未来に向けて、豊かな暮らしを伝えてゆくことを、破壊するものにほかなりません。
美しい自然と、人々の豊かな暮らしや文化を、奪われてなるものか。
そんなことを思いながら、さやから豆を取り出しています。
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