お盆も近い8月と言うのにツバメの話はいかがかと思いますが、つい最近までツバメが十羽ほど家に住んでいたのです。
今年は韓国語テキストにツバメに関する表現が出ていたおかげで、いつもの年よりツバメに関心を持ちました。初めて家に来たのは、4月15日。テキストにツバメは삼짇날(旧暦の3月3日頃)に渡ってくると書かれていたのですが、ほぼその通りでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a8/f751c4f497448503af914ca30e46897d.jpg)
そして、2度目のヒナがかえり、十羽ほどの大家族になりました。
高い場所に巣を作っているので、今まではかわいい雛も殆ど見られず、ツバメといえば、糞のことが気になる程度でした。
でも今年は、運良くひなの写真も撮れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b1/1e85fd453df81fd73d26104e5dcd9c44.jpg)
この写真のあくる日ヒナは巣立ち、そして、産毛を少しつけたまま飛ぶ練習をしているのを1m近くで見られたのでした。
、その2、3日後には、ツバメたちの姿が急に見えなくなりました。
(あんなに小さいのに遠くに旅立ったのだろうか?)、などと考え、初めてツバメの生態を調べてみました。すると、ツバメの寿命は1年あまりぐらいと書かれていました。今年の親鳥が来年は来られないかもしれません(せつない…)。今年生まれた雛鳥が来年来るようです。
こんなにツバメのことが気になったり、少し観察したのは、テキストの関係もありますが、それだけの余裕を持てる歳を取った証拠でしょう。
4ヶ月近く毎日家の周りで飛んでいたツバメが一度にいなくなり、初めて、寂しくなったなと、感じました。
「강남 갔던 제비가 돌아온다」 これって、諺?ただ事実を言っているだけでは?と思っていたのですが、この言葉には、ツバメが帰ってきたときの喜び、情のようなもの、昔の人たちの素朴な想いが込もっていると初めて感じました。
来年きたときは、(お帰り)と声を掛けてあげよう。
今年は韓国語テキストにツバメに関する表現が出ていたおかげで、いつもの年よりツバメに関心を持ちました。初めて家に来たのは、4月15日。テキストにツバメは삼짇날(旧暦の3月3日頃)に渡ってくると書かれていたのですが、ほぼその通りでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a8/f751c4f497448503af914ca30e46897d.jpg)
そして、2度目のヒナがかえり、十羽ほどの大家族になりました。
高い場所に巣を作っているので、今まではかわいい雛も殆ど見られず、ツバメといえば、糞のことが気になる程度でした。
でも今年は、運良くひなの写真も撮れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b1/1e85fd453df81fd73d26104e5dcd9c44.jpg)
この写真のあくる日ヒナは巣立ち、そして、産毛を少しつけたまま飛ぶ練習をしているのを1m近くで見られたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f6/de6ab63bfd93abf22350d6885a5a0ba4.jpg)
(あんなに小さいのに遠くに旅立ったのだろうか?)、などと考え、初めてツバメの生態を調べてみました。すると、ツバメの寿命は1年あまりぐらいと書かれていました。今年の親鳥が来年は来られないかもしれません(せつない…)。今年生まれた雛鳥が来年来るようです。
こんなにツバメのことが気になったり、少し観察したのは、テキストの関係もありますが、それだけの余裕を持てる歳を取った証拠でしょう。
4ヶ月近く毎日家の周りで飛んでいたツバメが一度にいなくなり、初めて、寂しくなったなと、感じました。
「강남 갔던 제비가 돌아온다」 これって、諺?ただ事実を言っているだけでは?と思っていたのですが、この言葉には、ツバメが帰ってきたときの喜び、情のようなもの、昔の人たちの素朴な想いが込もっていると初めて感じました。
来年きたときは、(お帰り)と声を掛けてあげよう。