はるかなる間あひに足の爪を切る膝をひきよせ額ちかづけ
年をとると、身体が固くなり、老眼も進み等して、足の爪を切るのが大変になる。老眼鏡で見える位置まで足を引き寄せなくてはならないが、身体が固くなっているのこれがまた一苦労そんな苦労を三十一文字に仕上げられた手腕に感服いたしました。
「六月号 山下泉選歌欄評 保母康裕
ありがとうございました。
ゴルフコンペの最中,携帯が鳴った。後ろのパーティの後輩からであった。
「お金とカードが散らばっていたので拾いました。届けます」
慌ててゴルフカートに置いていた小さなバックの中を見た。お金などを入れた透明のケースがない。カートの揺れにバックが開いてケースが落ちるわけがない。 蓋には二つのボタンがかけてある。 後輩が走ってケースを届けてくれた。
財布兼用に使っているペンケース。もちろんジッパーも締めておいたのだがこれも開かれている。
中の10枚近いカードと5千円札が一枚,フェアウェイに散らばっていたとか。それを丁寧に拾い集め届けてくれたのだ。
ここに来て初めてこれがカラスの仕業と判明した。カートから離れてクラブを振りパッティングに集中していた時に,カラスが活躍していたのだ。
バックの蓋をくちばしで開け,中から透明ケースを取り出しフェアウェイに置く。
これまたくちばしでケースのファスナーを引き開け,キラキラしたカードを広げ,5千円札をつついで遊ぶ? 何といういたずらっ子。
幸いケースが置かれたのがフェアウェイでよかった。これが林の中などだったら見つからなかったろう。盗難を疑ったかもしれない。カードには先週更新したばかりの運転免許証もクレジットカードも含まれていたのだ。
戻ったケースを再びバックに入れ,くちばしで開かれないように下向けにしてカートのかごに置いてプレーを再回した。ところがまたしてもバックがつつかれていた。木の上からはカラスの鳴き声が聞こえてくる。カートの飲み物を入れるケースにバックを押し込んだ。やっとカラスがついてくるのをあきらめた。
恐るべしカラス!
明日銀行で3つにちぎられた5千円札を取りかえてもらおう。カラスにちぎられましたと言ったら信じてもらえるだろうか。
梅雨の地にはずまぬ球は投げあげる 中村草田男
不思議な俳句だ。梅雨で湿った地面にボールを落としてもはずまない。そんなボールはせめてどんより曇った空へ投げ上げてみようか、という意味だろうか。草田男の心象風景なのかもしれない。
この句は,今年の私の弱気を変えてくれた俳句でもあるのだ。
4月ごろ、短歌の会から原稿依頼が来た。毎月10首程度の作品を選んで、その作品の批評をしてほしい、ページ数 は2ページ。それを1年間続けるのだと。
その依頼を断ったのだ。もちろんそんな力がないことはわかっている。しかし,これまでの私なら、力不足は承知で書かせて下さいと言っただろう。書くことによって学ぼうという意欲があっただろう。意欲が落ちたのだ。
はじめてもうすぐ80歳という年齢を感じた。
ここ10年かけて「共に生きる」というキーワードで道徳の研究をまとめあげた。その結果,もう無理しないでいいかなという、気持ちが出てきていたのだろう。
弾まないボールになっていたのだ。これではいけない、もう少し自分のためではなく、誰かの役に立つことをしていきたい、自分の考えを前に進めたい。はずまないボールを投げ上げよう。
でも何ができるだろう。 周りの人に喜んでもらえることはなんだろう。今問題になっていることなどを一緒に聴いたり語り合ったりするのはどうだろう。 6月から月1回の講演会を企画した。会場借用に関する団体の立ち上げ,今年7回のテーマと講師依頼,資料等の準備,経費…。当たり前だがすべて自分で行った。幸い講師に依頼した人たちは多忙にもかかわらず,また薄謝にもかかわらず(ほとんどの方がそれさえも受け取らなかった)快く90分の話を引き受けてくれた。
第1回「墓石は語る」(地質研究家)第2回「命に寄り添う」(看護師・生と死を考える会会長)〇「ボランティアの楽しみ」(臨床心理士)〇「「今」を生きる」(僧侶)〇「感謝して生きる」(道徳研究団体関東ブロック部長)〇「子どもが危ない」(精神保健福祉士 市教育委員)〇「上皇后美智子様のお歌」
毎回20名定員の会場がほぼ満席になった。
弾まないボールをそのままにせず,投げ上げて良かったと思う。
さて,年齢とともに衰えていく肉体と頭脳,「分かるとは何か」「分かったつもりにならない」という生涯のテーマを考え続け,周りの人たちのために来年は何ができるだろうか。ゆっくり考える正月でありたい。
大晦日,穏やかな空に白い雲が流れている。
慈悲の光~上皇后・美智子様のお歌(2)
話し終えて以下のような挨拶をした。これで今年企画した全7回の会を終了。来年また喜んでいただける会を行いたいと思う。
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今を生きる私たちに世界は必ずしも穏やかな日々を保証してくれるものではありません。
今こうしている中でもミサイルに怯え寒さに震える人がいる。世界人口78億人のうちトイレのない生活を送っている人20億人,年間約30万人(一日800人以上)の5歳未満の子どもたちが汚れた水や不衛生によって命を落としている。地球温暖化による異常気象は,SF映画の氷に覆われた世界を現実のものにしようとしている。戦争,災害,子どもの貧困,憎しみや偏見や中傷・誹謗・・ 嘆くことはたくさんあり不安は募ります。
しかし,時には,私たちは何かわからないけれど,大きな光に包まれて生かされていると感じることも安心感を得るには必要だと思います。
一人では生きられない,誰かに助けられている,恩を感じているとは口にしますが,誰に助けられているのか,何に守られているのかを具体的に考えることは多くありません。忘れがちでもあります。実際に忘れています。
私たちは目に見えぬ大きな慈悲の力に包まれているのではないか,その力によって生かされているのではないか,そう考えることによって不安が安らぐこともあるのではないでしょうか。
私たちを包む慈悲の光の一つに美智子さまのお歌がある。
今日ご紹介したお歌の一つでも,これからの生活の中で思い出していただければ,今日お話しさせていただいた甲斐があります。
最後までお聞きいただいてありがとうございます。よいお年をお迎えください。