季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

「朝日俳壇」初入選~子どもと俳句・短歌(4)

2021-01-24 15:16:57 | 俳句
こくどうに ぞうきんみたいな たぬきかな
     「朝日俳壇」 令和3年1月24日 高山れおな選
    評 交通事故死した狸。比喩が率直適切。作者は七歳。


 1年生の孫が夏休みを私の家で過ごして日記を書き、それをもとに俳句を作り続けたことは前に書きました。(「子どもと短歌・俳句(2)(3)」)
   かみなりや つくえのしたで だんごむし
   ばあちゃんのおそばがうまい かぜすずし
 2学期が始まると日記を書くことも俳句を作ることもなく、ゲームをしたり『鬼滅の刃』を小説で読んだりしていたそうです。
 冬休みになるとすぐにパパとママと離れて泊まりに来て、また俳句を作りたいと言い出しました。
 作り方は夏休みと同じ。その日に一番心に残ったことを日記にし、それを俳句にする方法。入選句はその第一日に詠みました。県境近くの「道の駅」で両親と別れ、助手席に座って私の家に向かう途中の車の中から見た様子です。
 前を走る車が急にセンターライン沿いにハンドルを切り何かをよけました。
私も少しスピードを落としました。彼女も乗り出すようにそのものを見ていました。「狸かな」と私が言うと驚いたようでした。何回も轢かれたのでしょう。生きていた時のふくらみはなく、ほとんど平らでした。
 その日の日記にその時の驚きを書き、掲句になったのです。
 お正月が過ぎ、パパとママの待つ自宅に帰る前日、ポストに投函しました。「入選しますように」と手を合わせて。もちろん私も自作を投函したのですが。

 こくどうに ぞうきんみたいな たぬきかな
          
 入選を知ってとても喜んだ彼女は、パパと映画「鬼滅の刃」を観に行ってるそうです。
 ママはお赤飯を炊いて待っているとか、いいなあ。

連句―初めての脇句

2021-01-20 14:25:45 | 連句
 昨年から二つの「座」の「連衆」に加えていただき文韻(メール)で連句を詠んでいます。
 その一つは連衆4人、私の発句によって始まった二十韻「蟷螂をの巻」が「名残の表」まで進んでいます。もう一つの座は連中5人、歌仙「空蝉の巻」がつい先日巻き上がりました。初めて巻いた歌仙の挙句が「捌き」によって決まった時には、一人で詠む俳句とは違った喜びがありました。
 続いて20韻に移ることになり「捌き」から以下の発句が示され、今回は私が脇句を付けることになりました。

鳥一羽よぎり太平洋おぼろ
冬ぬくし鈍行で行く母の郷
大枯野行く胸中に火種持ち
 鷹匠の眼差し凛と大枯野

 このところ 火の如き弟子一人欲し年の暮(原田浜人) の気分でしたので迷うことなく、

大枯野行く胸中に火種持ち 

をいただき、それに脇句を付けることとしました。捌きからは「脇は同時、同場所でお願いします。発句に出ていないものを出して、発句を補う感じで・・こう書くと何だか小難しくなりますが、要は発句に寄り添うかたちで、ということです。」とのメッセージが届いています。それを踏まえて下の5句を考えました。

目指すは遥か凍星の下
凩の押す青年の背な
恐れず走れ君は狼
空に励ますごと虎落笛
旅の途中に駆け巡る夢

 これが脇句としていいのかどうか…。百聞は一見に如かずと連句の座に加えていただきましたが、まだ「式目」などもよく分らず教えていただくばかりです。
 発句と脇句によってその巻の形が決まりスタートすることとなります。果たして私の脇句に対してどのような「一直」があるのか楽しみです。(すべてボツで詠みなおし、もあります。)
「歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」の基本精神を踏まえ、楽しみながら学んでいきたいと思います。

寒の夜に

2021-01-16 13:55:29 | 日記
 5日が小寒、20日が大寒。コロナ禍の心理的な寒さも加わり、今年は一層寒さが募ります。

 冬薔薇一輪のみのさびしくなった庭を眺めていたら、「カンギョウ」という言葉を思い出しました。中学生の頃までだったでしょうか、この季節の夜になると団扇太鼓の音にお題目が交じって聞こえてきました。ドンツクドンドンツクツク・・・ナンミョウホウレンゲキョウ・・白装束に団扇太鼓そして「南無妙法蓮華経」、不思議な集団に思えました。母に聞くと「カンギョウ」だと。「カンギョウ」が「寒行」~寒中にする行であると分かったのはかなり後のことでした。

 私自身も寒い夜に声を出して歩いたことがあります。
「ヨマワリ」~「夜回り」でした。子ども会の行事の一つだったのか、大人がついていたように記憶しています。拍子木をひもで首にかけ、それを打ち鳴らしながら町内を廻るのです。「ひのよーじん。まっちいっぽんかじのもと」「火の用心」。風の強い夜は綿入れ袢纏を着ていてもとても寒かった。悴んで帰ると母が砂糖湯を作ってくれました。

 寒風にチャルメラの聞こえる夜もありました。
 夜鳴き蕎麦といえば本来は日本蕎麦のことなのかもしれません。このチャルメラの音はラーメンだったらしい。らしいというのは、一度も食べたことがないので分かりようがないのです。屋台のラーメンにしろお祭りの露店の菓子にしろ、母は屋外で売っているものを一切食べさせてくれませんでした。この辺は都会のように屋台が出ることもないので、いまだに屋台の経験がありません。震えながらの一杯が夢ですがままなりません。

 今夜も冷えそう・・熱燗にしよう。
 どこからか懐かしい太鼓や拍子木、チャルメラの音が聞こえるような気がします。



コロナ禍を詠む

2021-01-09 19:44:58 | 短歌
「先般、ある結社誌に「自分は敢えてコロナ禍を歌わない」と書いている人がいました。皆が一斉に歌うことを自分は敢えて歌わない、皆が右を向いている時に左を向くのが文学者だ、という考えの人もいますね。一方で、今一番重要なことを歌わなければならないという考えの人もいます。みなさんはどう考えますか。答えは要りませんが、一人一人が自分はどうかと考えてもいいでしょうね。」                  (「塔」選者 三井修さん)

「歴史上の出来事は歴史書が後世に残してくれる。しかし、その歴史の真っただ中で生きていた生活者の声は歴史には残らない。歌は庶民の声を残すのにもっともすぐれた詩形である。」
           (歌人・細胞生物学者 「塔」選者 永田和宏さん)

 私は「コロナ禍」を短歌にも俳句にも詠んでいます。短歌や俳句を詠み始めた動機は、何もしなければ流れて行ってしまう日常の思いを二十一音や十七音でピンナップしておこうと考えたからです。東日本大震災もそうですが、災害は否応なく私の周辺にも及び、大きな影響を与えます。悲しみも怒りも不安もおぼえます。それを「庶民」の一人としてスナップ写真のように残しておきたいと考えています。

 ●歩み出づ悲しきお顔の観音の禍ひ祓ふ水瓶(すいびやう)を提げ
 ●花は葉に雁字搦めの滑り台

 長谷川櫂さんは、俳句を詠む効果として
「日本語を深く知る」「人との付き合いが深くなる」の他に「詠むことによって自然や社会と主体的に関わり、自然や社会の情勢を知ることができる」
ことを挙げています。            

ファドが流れる~今月の短歌「塔」12月号 小林信也・選

2021-01-06 18:11:10 | 短歌
刺繍する君のつぶやく子らのことファドが流れる秋の夜長に

さうだよねつて言へばいいのにピーナツの殻剥きながら黙つてしまふ

聡明な子に育てかしみつしりと実のつまりたる葡萄のやうな

ありがたうと思はずつぶやくその言葉 君にかければいいのだけれど

あといくつ来るのだらうかこんな夜が虫の音のなか刺繍する君

塩辛の鰹の腸を切る母よ夜なべ終ひし父の肴に

湯がきたる蝗の肢と翅をとる宿題終へし吾と弟

柔らかな蝗の腹に触れしよりその佃煮は食へなくなつた