季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

無関心

2021-04-27 18:52:35 | 日記
 太平洋戦争前に生れたのでもなく、戦後に生れたのでもなく、終戦の2年前に生れた私にとって、政治的に高揚した時期はいつだったのでしょうか。時代がファナティックに動くとき、私はいつもそれより少し「遅れた」年齢だったような気がします。60年安保のときは高校1年、まだ政治に目覚める年代ではなかったように思います。70年安保、すでに就職して数年、社会生活の中で私の政治的関心は薄れていました。
 次第に「無関心」になっていく私に、痛烈に突きつけられた言葉があります。東大・安田講堂に立てこもった学生たちの書いた「落首」の中の一文。「一月はこんなにも寒いけれど、唯一の無関心で通り過ぎるものを俺が許しておくものか」。すでに「戦えなくなっている」自分に気付き、学生の言葉に撃たれ、「無関心」になって現実から逃避することを厳しく諌めた記憶が鮮明に残っています。

 コロナ禍の中にあって、人と人との関係性が薄れているためでしょうか、人々には「無関心」の様相が顕著であるように思われます。緊急事態宣言が発出されても「べつに私には、特に」「えー、政治の責任でしょう」「自粛なんてしたくない」「関係ない」。短い言葉で、人やもの・こととの関係性を切断してしまいます。無関心を装うことによって、義務を果たすことも責任を取ることも回避してしまうのです。何て楽な生き方なのでしょう。
「研究は勝つまで負ける」といったのは生物学者の長沼毅です。ここには一切の無関心が入り込む余地はありません。強烈な関心をもって突き進む情熱が感じられます。
 私たちは、いつでも情熱を強く持ち、高揚するべきなのかもしれません。「べつに」「えー」「やりたくない」「関係ない」と逃げるわけにはいかないのです。「できない理由、変えない理由を並べ立てること」はやめなければなりません。さも訳知り顔で、できない理由、変えない理由はいくらでも挙げたてられるのです。長沼は「思い込みを捨てて、思い付きを拾え」ともいいます。どうすれば改革が可能かと考え続けるところに道は開けます。

 現在の学びをどのように継続するのか、所属する組織や活動をどう見直すか・・・ここにも改革しなければならない課題は山積しています。長く困難な道が続くでしょう。困難の後にこそ出口が開けるのです。「無関心」でいることが、入口も出口も閉じてしまうと知るべきなのです。これなら出来るという小さな目標を立てて実行したいと思います。自戒を込めて。


じゃがいも 2句(その1)

2021-04-17 15:12:01 | 俳句
言ふならば馬鈴薯のやうな妻である 宙

  金子兜太・選のこの句はどうも評判がよくない。
まずは、弟とそのパートナーからクレームがついた。「姉さんをじゃがいもとはひどいんじゃないの。」
妻もまたあまりこの入選を喜んでいないようであり、秘かに、弟のクレームに同意しているようにも思える。

 私は「じゃがいも」とは言っていない。「馬鈴薯」と詠んでいるのだ。「馬鈴薯」に「じゃがいも」とルビも振っていない。
「じゃがいも」の窪みはえくぼなどに例えられ愛らしい面はあるが、大方のイメージは「やぼったい」「武骨」「ありふれた」と言うところだろうか。
 私は妻をそのように比喩していない。「馬鈴薯」と漢字書きにし格調高いイメージを描き出したつもりである。学術用語とは言わないが、統計資料などでも「じゃがいも」ではなく「馬鈴薯」が使われている(と思う)。

 妻は、ごつごつとしセンスが悪く、その辺に転がっているような妻ではないのである。格安日帰りバスツアーで立寄る「道の駅」の詰め放題300円のそれではない。軽乗用車購入の成約のお礼「ホクレンセレクトカタログ」の「男爵」くらいのステータスはあろう。(カタログにもじゃがいもとは書いていない。男爵なのである。できればカタログにメイクイーンを載せてほしいと希望しているくらいである。メイクイーンと言っても、新幹線の先頭車両のような流線型をイメージされても困るが。)

 声に出して読んでみてほしい。「ば・れ・い・しょ」・・・いかがだろうか。ほくほくと温かく、丸い形の姿が浮かんでこないだろうか。
それが私の妻なのである。
 なぜ「新じゃが」でないのかって?私は、見たままを詠んでいるのであって、希望を詠んでいるのではないと言っておこう。

かけがえのない命を

2021-04-14 11:09:37 | 日記
 残念なことに、子どもが自ら死を選び、その死に関わった子どもがいます。命を大切にしてほしい、かけがえのない自分の「命」を、かけがえのないほかの人の「命」を、もてあそばないでほしいという、人々の願いもむなしく。子どもが不条理な「暴力」によって死を選ばざるを得なかったご両親の気持ちは、いかばかりだったでしょうか。ここに、子どもを産んだ時の母親の気持ちが書かれています。

あなたは元気いっぱいに産まれてきましたね。真っ赤な顔をくしゃくしゃにして、オギャー、オギャーとそれはにぎやかに泣いていました。あなたを産むのはとても大変だった。1日中おなかが痛くて痛くて。あなたが産まれた時はすっかり疲れてしまったけれど、とてもとても嬉しかった。お父さんも、とても喜んでくれました。内緒だけれど、お父さんの目に涙が光っていたのよ。

産れてしばらくして、おなかをすかせたあなたにおっぱいを飲ませながら、私はいろんなことを考えたっけ。今もそうだけれど、世界の中にはまだ戦争があって、多くの人が殺し合い、両親や家族をなくした子供たちが大勢いたの。手や足を地雷で飛ばされ、目や耳に大きなけがを負った子もたくさんいました。南の国では、食べるものがなくて多くの人が飢え死にしていました。お母さんのおっぱいが出なくて死んでしまう赤ちゃんもたくさんいました。日本でも、子供たちが「いじめ」によって死んでいきました。

私は、一生懸命あなたを産んだのに、あなたが他の人に殺されたり、事故で死んだり、いじめによって死んでしまうなど絶対いやだと思いました。もちろんそんなことはないと思ったけど、あなたが人の命を奪うことも絶対許せないと思いました。
あなたは、もう中学生。まだ世界には戦争があり、毎日の生活の中でも人々が殺され、事故や飢えで死んでいきます。あなたには、命を大切にしてほしいと思います。それがお母さんとお父さんの願いなのです。

このお母さんの思いや願いは、すべてのご両親のそれと同じなのです。命を大切にしてほしい。世界に二つとないかけがえのない命だから、自分の命はもちろん、他の人の命もほかの生き物の命も大切にして欲しい。生きることはつらいこともあるけれど、子どもたち一人一人が、お互いの命を大切にしてこそ、生きる喜びや楽しみや価値が生まれてくる、そう思っているのです。

不条理な力で子どもたちの命が失われないように祈ります。
          

花束ににて~今月の短歌「塔」3月号 なみの亜子選

2021-04-05 20:50:26 | 短歌
図書館の無料配布に残りをる近藤とし子「さいかちの道」

見返しの夫・芳美のゴム印に添へて「とし子」とサインのありて

男には長い睫毛を無理に閉ぢ最期に君は何を見たのだ

お祓ひを待ちつかれたる幼子のパパにだかるる花束ににて

銀杏散る石段のぼる振袖に祖母の両手がハラハラしてゐる

かまきりがかうして虫をかじつてた 真似て少女の息の激しき

<選歌後記>
お祓ひを待ちつかれたる幼子のパパにだかるる花束ににて
  お宮参りか。幼子は順番を待つ間に父親のふところで眠ってしまった。「花束ににて」が存在の美や大切そうな扱われ方までよく現している。

◎ありがとうございました。