季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

令和2年自選10首

2020-12-30 12:12:02 | 短歌
秋空に子らの歓声のせて飛ぶ紙飛行機は核を積まない 

行商を終えたる女(ひと)が荷にもたれ眠る電車が行く青田中 

夕焼けに稲穂の光る駅裏の肉屋に友と野うさぎ運ぶ

そつと置く白26の一手より俄かに冬の星座の模様

草餅を指三本にいただけば地球の重み大地の匂ひ

折るの字は祈るにも似て紙に折る鎧兜は戦わず立つ

刺繍する君のつぶやく子らのことファドが流れる秋の夜長に

豊かなる胸乳あらはに子に吸はせ畦に座しをり稲の香の中

慰霊碑に名前刻めぬ人のゐる死後十年と言へぬ十年

会ひたいが会へば濃厚接触者ラインに連ねるハートのマーク


学ぶということ・分かるということ~政治家の言葉

2020-12-29 17:58:24 | 日記
なぜ学校に行くのかという問いに、作家・大江健三郎氏は「自分につながる言葉を学ぶため・社会につながる言葉を学ぶため」と答えています。暗い時代だからこそ未来に希望を見出したいと考える大江氏らしい答えだと思います。(大江氏が30歳の頃、私は彼を卒論の対象に選びました。)

58歳からひらがなを学び始め、64歳で中学校の卒業証書を手にし、定時制高校1年生として学んだ65歳の女性がいます。彼女は、大学に進んでみたい、一生勉強しながらすごせたらいいなと、考えていたそうです。午前中に3時間の復習、2時半に家を出て,学校についてから始業までに2時間の自習、授業を終えて帰宅するのが夜11時半過ぎ。なぜこれほどまでにして学ぶのでしょうか。彼女は、次のように言います。
「一つずつ字を覚えて、知識が増えるでしょ。そのたびに,自分の世界が広がるんですよ。目標ができ、人生が変わりました。上を向いて歩けるようになりました。」

以前、新聞で読んだ記憶がよみがえりました。手足と言葉の不自由な女性が、一つ一つ文字の表を指して答えた,学ぶことの意味でした。「い・き・て・い・る・と・い・ろ・ん・な・ち・し・き・が・じ・ぶ・ん・の・も・の・に・な・る・か・ら・ね」

二人の女性とも学ぶ喜びにあふれています。「知識が増えれば、自分の世界が広がる」―山に登るとき、その高さが増すにつれて見えてくる景色が違うように、言葉一つの獲得によって、私たちの認識は確かに広く深くなるのです。

私は「学ぶこと・分かることは生きること」と考えます。「生きる」「分かる」とは、事物や事象や現象に触れつづけることなのです。ものやことは決してその本質を見せません。その本質をさがしつづけることが学ぶこと・分かることであり生きることだと考えます。

学ぶとは学び続けること、分かるとは分かり続けることなのです。

それにしても昨今の政治家の言葉の薄さにはあきれます。ふわふわと綿菓子をちぎって投げているようです。もともと内実がない言葉だから私たちに届きようがありません。彼らは、未来に希望を持ち、私たちにも希望を持たせるような政策を持っているのでしょうか。本質を探し続けている人ならば、あんな浅薄な言葉が遣えるはずがありません。高齢で平仮名を学び、障がいを持ちながらひらがなを学ぶ女性たちのように、認識が広く深くなっていく喜びを味わっているのでしょうか。

コロナ禍の年末、政治に、政治家に希望が持てません。

令和2年自選10句

2020-12-28 17:36:50 | 俳句
時雨るるや麒麟の首の高みより
故郷も一つ歳とる雑煮かな 
さう言へばこれは茎石母の石 
白米に朝日のやうな寒卵 
穏やかな風に帆を立て初蝶来 
春暖に遠き処理水タンクかな 
降り立てば少年となる夏の駅 
水中花学生食堂世界軒
生きるとは命賭すこと蘭の花
拭き上げし窓それぞれに冬の空



学問のさびしさに堪へ炭をつぐ

2020-12-27 12:45:02 | 俳句
  ある研究団体の会長事務局長会で「課題と方策」について講話をするように依頼されました。研究内容はともかくまずは研究に臨む姿勢こそが大切、誰かの論のコピーを研究団体の方針にすることなく、従来の方法論などにとらわれぬ独自な研究に果敢に挑む姿勢ことが大切であるとお話ししました。
 その際に山口誓子の掲句を引用し、以下のように話しました。

 さて、寒さ厳しいこの季節になりますと必ず思い出す俳句があります。山口誓子という人の句です。
 学問のさびしさに堪へ炭をつぐ
 炭をつぐ~手元に火鉢に炭を足しているという姿でしょう。この句に魅かれる理由は「学問のさびしさにたえ」の「さびしさ」にあります。普通「学問・研究」と言えば「厳しさ」ととらえるのが通常です。「学問の厳しさに耐え炭をつぐ」と。しかしそうではない「さびしさ」とは何でしょう。たった一人の孤独感に耐えての学問とは何を指すのでしょう。わたしはそれを「誰もがしているような研究ではなく、その人にしかできない独創的な研究をする人、している人の孤独感」だと考えています。身を切るような身をさいなまれるような寂しさ、孤独感の中にあってこそ、従来の理論にとらわれず、従来の考えを越えた理論が生まれるのだと思います。
 私たちももっと「さびしさに耐えて」研究したらどうなのでしょう。これは、これからお話しすることの結論でもあります。

 これを導入として、私の考えている「課題とその解決のための方策」を話させていただき、最後を以下のようにまとめました。

 私たちはわかったつもりになってしまう傾向にあるのです。それをしっかり認識し、自分の眼で見、自分の心で感じ、自分の言葉で表現しなければならないと肝に銘じています。
 最初の俳句に戻れば  学問のさびしさに耐え炭をつぐ ということになるのです。しっかりとそれぞれの視点を持ち、「誰もがしているような研究ではなく、その人にしか、その団体にしかできない独創的な研究をする人、している人の団体の孤独感」に耐えましょう、ということになります。今こそ孤独感に耐えて私たち独自の研究を継続しましょう。
 そのことが「炭をつぐ」~私たちの考えを後輩たちに「継ぐ」つなぐ・継続する、という私たち先輩としての役目なのではないでしょうか。





下駄(その2)

2020-12-24 20:16:18 | 日記
 大晦日の夜、今は亡き友と神社から神社へと「はしご」して回りました。高校1,2年生の頃だったでしょうか。街灯は整備されてなく、舗装もされていませんでした。何を話しながら歩いたのか覚えていません。ただ、耳にはそのとき履いていた二人の下駄の音だけが残っています。ゲームセンターもなくインターネットもなく、アナログな生活を送っていた私にとって、大晦日の夜をただ下駄の音を聞きながら友と歩き年を越すという行為は、とてもすてきなものでした。

 もう少し年齢が低かった頃、なんと言ってもテレビが普及し始めた頃のプロレス中継は大きなイベントでした。近くの病院の居間での観戦、お茶を扱いながら電器商を営んでいた店での観戦、歩いて20分ほどのところにあった同級生の家での観戦・・・。放映の途中でアナウンサーが叫んだものでした。「今入ったニュースによりますと、○○町の○○さん宅の二階が、人の重さで崩れました!」狭い部屋にたくさんの人がひしめき合ってのテレビ・プロレス観戦でした。

 家の中で見られないときには、街頭テレビがありました。私が記憶しているのはお寺の広場のテレビ。5メートルくらいの高さに普段は扉を閉めたテレビが置かれていました。プロレス中継の時は、たくさんの人が集まり立ち見です。力道山がシャープ兄弟に空手チョップを見舞う、歓声が起こり、人が一斉に揺れ倒れそうでした。下駄を履き、大人の間に挟まれろくにテレビが見えない状態でした。

 いつの間にか、片方の下駄が脱げました。その後はプロレスどころではありません。でも、雑踏の中で下駄が見つかるはずはありませんでした。プロレス中継が終わり、みんな興奮しながら帰った後、広場は暗く下駄は見つかりません。片方の下駄を提げ裸足で帰宅し、叱られました。次の日の早朝、広場の隅に転がっていた下駄を見つけました。

「靴箱」にある下駄を履く機会はもうなさそうです。