季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

桜ー季語

2022-03-26 19:39:53 | 俳句
 桜前線の北上とともに,何やら心がざわめいてきます。今年こそ福島の桜を見に行こうと決めているからです。東日本大震災以来,大好きな福島の桜を見ていません。まだ苦しんでいる人はたくさんいるのは知っているのですが・・・。特に,二本松市の合戦場のしだれ桜に会いたいと願っています。
 ところで,桜ほど多くの季語を持っている植物はほかにないでしょう。手元の『日本大歳時記』(講談社)の「植物」の項には夏の季語である余花・葉桜を含めると見出し季語11,傍題79,計90もの季語が載っています。

初花(初桜) 彼岸桜(姥桜・東彼岸・立彼岸)枝垂桜(糸桜・しだり桜・枝垂彼岸・紅枝垂) 桜(染井吉野・深山桜・大島桜・大山桜・牡丹桜・里桜・茶碗桜・丁字桜・目白桜・豆桜・富士桜・ははか・上溝桜・金剛桜・犬桜・しおり桜・左近の桜・雲珠桜・楊貴妃桜・秋色桜・朝桜・夕桜・夜桜・桜月夜・嶺桜・庭桜・家桜・若桜・姥桜・桜の園) 花(春の花・春花・花の雲・花房・花片・花の姿・花の香・花の輪・花の友・花の主・花笠・花の庭・花の門・花の都・花明り・花盛り・花便り・花の露・花朧・花の陰・花の奥・花の名残・花を惜しむ・花埃・花の錦・花の色・花の粧) 山桜 (吉野桜)八重桜(奈良の八重桜) 遅桜 落花(散る桜・花吹雪・桜吹雪・飛花・花散る・花屑・花の塵・花筏)残花(残る花・名残の花・残る桜)桜蘂降る

 時候,天文,生活(花衣,桜漬,桜餅,花見など)行事の季語で65。植物の季語と合わせるとなんと155もの季語があるのです。これだけ見ても,桜がいかに日本人の生活に根差した花であるかがよく分かるのではないでしょうか。

塩ふり俳句

2022-03-23 17:20:57 | 俳句
 先日の句会で
  板前の塩振る高さ桜鯛   
という句が,高得点を得ました。(私は違和感を覚えて点を入れなかったのですが。)
 魚などに塩を振ったりする俳句を,私は「塩振り」俳句と詠んでいます。景がはっきりするからなのでしょうか,この情景は結構詠まれています。よく知られている俳句では
  新涼や尾にも塩ふる焼肴 真砂女 
  子の皿に塩ふる音もみどりの夜 龍太
があります。「新涼」「みどりの夜」の季語が生かされて,焼き魚はおいしそうですし,皿に落ちる塩の音は涼やかです。他にも
  白粥に粗塩ふりて夏至近し 池上貴誉子 
  秋鯖に塩一振りの匙加減 鏡山千恵子 
  岩魚への塩ふる尺の高さかな 久田しげき
等があります。
 晩春の季語・桜鯛と塩の両方で詠んだ俳句もあります。
  宮詣り塩加減よき桜鯛 酒井ひろ子 
  こまやかに塩ふる夜の桜鯛 小澤克己 
  桜鯛化粧塩され跳ねゐたり 奈辺慶子
「宮参り」の句は別にして,他の二つの句には塩を振る「高さ」がないように思います。私が,句会に出された 板前の塩振る高さ桜鯛 に違和感を覚えたのはこの「高さ」にあります。塩の白さと桜鯛のピンクーこの対比はいいのですが,桜鯛の大きさが気になったのです。ある程度の高さから塩を振る場合,魚はその大きさのまま,あるいは切り身にされて串に刺されているのではないでしょうか。桜鯛の大きさに串をうち,それを手に持って塩を振るというイメージが湧かなかったのです。
 最後に当の作者の言「ある料理屋さんで見た光景です。実は串をうったぼたん海老に塩を振っていたのです。でもぼたん海老は季語ではなく,思いついて桜鯛にしました。」
 違和感は解消されました。私も何かに塩を振って詠んでみようと思います。

春の雪

2022-03-22 12:30:38 | 日記
 フロントガラスにはワイパーがやっと動くほどの積雪。
 デッキブラシで払い落とし,エンジンをかけておきました。
 今日は脊椎管狭窄症の定期診察日です。山側道路は積雪があるかもしれないからと妻に止められましたが,まだスタッドレスを履いているからとそちらを選びました。
 海からの風に吹かれ雪が結構舞っています。対向車の屋根にも雪が乗っています。幾分シャーベット状になっているところはありましたが,30分で病院着。駐車場に車が少ない。
 いつもなら受付を済ませた待合室には,30人ほどが待っているのですが,今日は私を含めて4人だけ。さすがにこの雪では,車を運転するお年寄りは躊躇するでしょう。私も「お年寄り」ではありますが…。
 間もなく診察開始の9時になりますが,待っている方は8名。診察室は4部屋,4人の先生が診てくれますが,私の担当の先生は,開始がいつもなぜか9時半。いましばらく待ちそうです。
              ・・・・と,ここまでは待合室で書きました。

 結局,1時間15分待って一分の診断,会計を済ませ,薬と取り,帰宅したのは10時45分でした。
 庭のチューリップも開きかけた芽を閉ざしていました。

 

枯野あるらし~「塔」3月号 永田淳・選

2022-03-18 15:02:09 | 短歌
●ひとり言つぶやくやうに語りつぐ受話器のむかふ枯野あるらし

 訥々と話し続ける電話の相手は誰なのだろう。年老いた親を想像しながら読む。茫洋とした語り口,話の内容,まるで枯野に向かって話しているように感じられるのだ。説明的にならずに差し出される景がいい。

 *「説明的にならず差し出される景」,これからも心掛けたいと思います。
   ありがとうございました。

●日の暮れの早き冬日は熱燗に今日のひと日を肯ふがよし
●眠る子の小さき柔らな手の中に小春の丸く包まれてあり
●ビルも木も影絵に替へて冬夕焼飲みに行こうと誘ふ友なく
●約束のスタバに向かふ街路にはヴェルレーヌのやうな雨降る
●パソコンをつま先立てて膝に打つ電車のをみな爪に色なく

「選歌欄評」 白井 均

●採りきたる芒に庭の萩を添へ団子五つに月の出を待つ

 仲秋の行事を詠う。陰暦八月十五日の夜に供え物を月光のさす廊下や窓辺に置く。この夜を良夜ともいう。感心するのは伝統行事を今でも続けておられることである。今,どれほどの家庭が行っておられるのだろか。高安国世は「息ぐもる夕べの窓やほのかにも望なる光(かげ)の訪るるとき」と詠った。絶やしたくない行事の一つである。

*
*庭にはヒイラギも植えてあります。もちろん,イワシの頭を挿し節分に玄関に飾るためです。ありがとうございました。


悲しみのいや増す三月十日かな

2022-03-10 15:11:01 | 日記
79歳の誕生日です。
「福如東海長流水 寿比南山不老松」 という中国語でのお祝いのメッセージをいただきました。66歳になる教え子からは、いつものように手紙が届きました。「こんな年になるまで先生に手紙を書けることが嬉しく幸せな春です。‥立派な大人にはなれませんでしたが、いつまでも先生の良い教え子でいたいと思います。」 夜には、これまたいつもの教え子から電話がかかってくるでしょうし、ラインで孫たちも祝ってくれるでしょう。
 幸せな79歳です。
でも私だけが幸せであってはなりません。私の家族、私の周りの人はもとより、もっとたくさんの人が幸せでなければならないのです。そう願いながらも3月に悲しみが増えていきます。
 2歳の今日、東京は大空襲、父は探照灯で爆撃機を捜していました。私たちを守ろうと戦っていたのです。あすは3.11。その数年後、仙台の友は仕事が立ちゆかなくなり自死しました。釜石の友は、何もできないと詫びた私に「祈られていると思えば嬉しい」と言ってくれました。あの戦争ももちろん東日本大震災もまだ終わっているとは思えません。
 そして、今日もテレビにはウクライナの惨状が繰り返し映し出されます。国境に別れのハグをする女性の手にネコヤナギが握られていました。私が2歳の防空壕で泣いたように、小さな子どもたちが春の雪降る地上で遊べず、地下の避難所で凍えています。
 いつになったら本当の笑顔で誕生日を祝えるのでしょうか。