梅雨の地にはずまぬ球は投げあげる 中村草田男
不思議な俳句だ。梅雨で湿った地面にボールを落としてもはずまない。そんなボールはせめてどんより曇った空へ投げ上げてみようか、という意味だろうか。草田男の心象風景なのかもしれない。
この句は,今年の私の弱気を変えてくれた俳句でもあるのだ。
4月ごろ、短歌の会から原稿依頼が来た。毎月10首程度の作品を選んで、その作品の批評をしてほしい、ページ数 は2ページ。それを1年間続けるのだと。
その依頼を断ったのだ。もちろんそんな力がないことはわかっている。しかし,これまでの私なら、力不足は承知で書かせて下さいと言っただろう。書くことによって学ぼうという意欲があっただろう。意欲が落ちたのだ。
はじめてもうすぐ80歳という年齢を感じた。
ここ10年かけて「共に生きる」というキーワードで道徳の研究をまとめあげた。その結果,もう無理しないでいいかなという、気持ちが出てきていたのだろう。
弾まないボールになっていたのだ。これではいけない、もう少し自分のためではなく、誰かの役に立つことをしていきたい、自分の考えを前に進めたい。はずまないボールを投げ上げよう。
でも何ができるだろう。 周りの人に喜んでもらえることはなんだろう。今問題になっていることなどを一緒に聴いたり語り合ったりするのはどうだろう。 6月から月1回の講演会を企画した。会場借用に関する団体の立ち上げ,今年7回のテーマと講師依頼,資料等の準備,経費…。当たり前だがすべて自分で行った。幸い講師に依頼した人たちは多忙にもかかわらず,また薄謝にもかかわらず(ほとんどの方がそれさえも受け取らなかった)快く90分の話を引き受けてくれた。
第1回「墓石は語る」(地質研究家)第2回「命に寄り添う」(看護師・生と死を考える会会長)〇「ボランティアの楽しみ」(臨床心理士)〇「「今」を生きる」(僧侶)〇「感謝して生きる」(道徳研究団体関東ブロック部長)〇「子どもが危ない」(精神保健福祉士 市教育委員)〇「上皇后美智子様のお歌」
毎回20名定員の会場がほぼ満席になった。
弾まないボールをそのままにせず,投げ上げて良かったと思う。
さて,年齢とともに衰えていく肉体と頭脳,「分かるとは何か」「分かったつもりにならない」という生涯のテーマを考え続け,周りの人たちのために来年は何ができるだろうか。ゆっくり考える正月でありたい。
大晦日,穏やかな空に白い雲が流れている。