季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

慈悲の光~上皇后・美智子様のお歌(1)

2022-12-29 15:49:50 | 短歌
個人的に立ち上げた勉強会を月一回の頻度で開催した。少ない謝礼(それもほとんど受け取ってもらえなかった),多忙な中にも関わらず,6人の方々にお話しいただいた。「墓石は語る」(地質研究家)「命に寄り添う」(看護師)「ボランティアの楽しみ」(臨床心理士)「今を生きる」(僧侶)「感謝して生きる」(道徳研究団体役員)「子どもが危ない」(NPO理事)いずれも専門的な知見に基づいた有意義なお話しであった。

最終回は私が標記のテーマで話した皇太子妃殿下,皇后陛下,上皇皇后陛下としてこれまでにお詠みになられたお歌
   あづかれる宝にも似てあるときは吾子ながらかひな畏れつつ抱く
                                                                                           (昭和34年)から
     今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇のみな美しく
                              (平成31年)までの45首,もちろんいちばん好きなお歌
   命あるもののかなしさ早春の光のなかに揺(ゆす)り蚊の舞ふ
 も含めて鑑賞した。

美智子様のお歌を進んで読むという人は,ファンか研究家でなければそう多くないと思われる。文語,旧仮名遣いで書かれたお歌を分かりやすく伝えるために苦慮した。そこで,当時の報道写真やエピソードなどを利用し,56枚のシートで約2時間のパワーポイントにまとめた。さらに資料として「ご略歴」を作成し配布した。

この話を通して伝えたことは次の三点であった。

  • 雅子さまがどうとか秋篠宮妃殿下紀子さまがどうとか,ゴシップしか伝わってこない皇室の本来の姿を考えること。
  • 私たちが生きてきたここ80年の出来事や歴史を振り返ること。
  • 何よりも美智子様のお歌そのもののすばらしさ~思いやり・慈悲の心に満ちたお歌を味わうこと

美智子様のお歌には「光」が歌われることが多い。この「光」とは,神仏のまなざしや思いなのだろうが,美智子様ご自身の「思いやり・慈悲のお心」であるように考えられる。「かなし」の平仮名にはどのような漢字をあてればいいのだろうか・・・十分に美智子様のお歌の意味を伝えられたかどうかは分からない。参会してくださった方々が,美智子様の「やさしさ」に包まれてくれたのなら嬉しいのだが。


サンタさんにおせんべいを

2022-12-25 09:51:19 | 日記
孫の書いた日記を読みました。

12月25日
(前略)朝おきてすぐ,1かいにおりて行きました。
なぜかというと、プレゼントをとどけてくれるサンタさんに
おれいのお手紙とおせんべい、
トナカイさんにはにんじんをおいておいたからです。
見たらなかったのでうれしかったです。 (後略)

お礼のお手紙の内容は教えてもらえませんでした。
トナカイに人参という発想は「アナと雪の女王」のルドルフとオラフからでしょうか。

それにしても、サンタクロースにお礼の手紙を書き
お腹がすくだろうとおせんべいを置き
トナカイにごほうびの人参をあげるとは、、、、
いつまでもやさしさを持ち続けてほしいと願いました。
パパとママも同じような気持ちで、そっとサンタさんへの手紙を読み
人参とおせんべいをしまったのでしょうね。

自選・今年の10首

2022-12-24 15:16:38 | 短歌
戦ひにもどる夫と国境に抱きあふ妻の手にネコヤナギ
 
二歳なる吾は防空壕に泣きしとふキエフの地下に子らが凍てをり

向日葵と小麦の大地に春近し銃を持つ手に種は蒔けない
 
桜もちの匂ひがのこる空つぽの箱すてられずお手玉いれる

干瓢に剥かれし後の夕顔の実と泳ぎたるふるさとの川

先生にしかられてゐる子の横に叱る言葉に傷つく少女

ひとり言つぶやくやうに語りつぐ受話器のむかふ枯野あるらし

故郷の空へゆつくり秋の雲 詫びねばならぬ人ばかりなり

地下鉄の10番出口に開きたる Googleマップに迷ふ月島

おのが身を窓に打ちつける鵯(ひよ)に似て相談室に少女が呻く

自選・今年の10句

2022-12-23 15:38:14 | 俳句
ミサイルの空を白鳥帰りけり   
ペン回し覚え揚々卒業す
にしきへび首に巻く列子どもの日
扇風機なま温かき昭和かな
からすうり手繰ればあの日ついた嘘
自然薯や高倉健のぶつきら棒
介護終へ開く教科書秋灯
紅葉宿串に鹿肉熊の肉
一面にソマリアの飢餓今朝の冬
焼芋を待つ間に夫の肴買ふ

ねずみ

2022-12-22 19:21:16 | 日記
今日は冬至,柚子湯に漬かる日。温泉に入るカピバラの姿を想ったら,急に「ネズミ」の思い出がよみがえった。

インドネシアに3年間住んだことがある。新築の家に入ってすぐ,ベッドの上の天井にチュチャと呼ばれる蜥蜴が張り付いているのには驚かされた。もっと大きな蜥蜴はトッケと呼ばれ,夜になるとその名の通りトッケ,トッケと鳴いていたが,姿を見たことはない。当時,日本ではエリマキトカゲがCMに登場していたが,妻は実際に見たと興奮して話していた。

ネズミも出る。ネズミは確かテクースと呼ばれていた。
そのテクースが出るとメイドさんたちは大騒ぎ。三人のメイドさんが追い回すのだが,なぜか楽しそうなのだ。私が子どもの頃は「ネズミ捕り」なる針金状のもので作った檻?があった。中に付けた餌に触れると檻の入り口が閉じる仕組み。捕まえたネズミはどうしたかって,,,。小川に持っていってそのまま水につけて殺した。

メイドさんたちは追い回してやっと捕まえたテクースをどうしたか。何と,家の門の外に逃がすのだ。妻が驚くと(妻も殺すと思ったに違いない),メイドさんたちは笑ってこう言う。「もうあのテクースはやってこない。」
日本には鶴の恩返しや浦島太郎の話があるが,インドネシアにも「ねずみの恩返し」という報恩譚があったのだろうか。今振り返れば,3年間の中で彼らが子どもを叱る声を聞いたことがない。運転手さんは,雨季の驟雨であふれた川から道路に流されてきた亀を拾ってきた。私たち息子のためにと庭に放してくれた。亀はクラクラ,呼ぶと出てきて茹でたうどんを食べていた。

ねずみを水死させた自分が恨めしい。