蛙の詩人と言われた草野心平。最も有名な蛙の詩は教科書にも載った「春の歌」ではないでしょうか。学習の目的を「想像する方法を学ぶ」と「二つの作品(この詩と「秋の夜の会話」)を読み比べてより深く味わう」とし、何回も授業実践をしたことを懐かしく思い出します。(多分今でもそうなのですが「想像しなさい」とは言いながら想像する方法を教えていないのではないでしょうか。)
「春のうた」の前書きです。
かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。
そのはじめての日のうた。
土の中での長い冬眠から覚め、たくさんのいのちが輝く地上に出てきた喜びが蛙の言葉やケルルン クックという鳴き声を通して表現されています。
さて、草野心平はどのような状況でこの詩を書いたのか。1903年(明治36年)に福島県に生まれた草野心平は1913年(大正2年)に生まれた新美南吉とほぼ同世代です。南吉が29歳で早逝したのに比べ心平は85歳まで生きました。この「春の歌」は1928年(昭和3年)に刊行された全編が蛙の詩を集めた処女詩集『第百階級』の冒頭に置かれた詩です。
この昭和の初めはどのような時代だったのでしょうか。1918年(大正7年)に第一次世界大戦が終結し2年後に国際連盟が発足したとは言え、まだ不安定な世界情勢だったことにかわりはありません。南吉が『二ひきのかえる』を発表した1935年(昭和10年)と「春の歌」の1928年(昭和3年)は戦争が影を落とす不安な時代だったのでしょう。
「春の歌」とは対照的な「秋の夜の会話」から心平の心情を考えてみます。
さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずゐぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだらうね
腹だらうかね
腹とつたら死ぬだらうね
死にたくはないね
さむいね
ああ虫がないてるね
寂寥感と言おうか哀切感と言おうか、一読して二匹の蛙の会話から切なさが伝わってきます。世界がなにやらきな臭い雰囲気になる中で、詩人もその鋭敏な嗅覚で「間もなく土の中」に入らなければならない状況を察知しているのではないでしょうか。冬眠の果てにはいのち輝く春が待っているのですが、この詩にはそのような希望は見られません。切ない腹とは何なのでしょうか。生きる源としての腹の飢餓感。いつもなら求めれば充足していた知識や人間関係が今はない。寒々とした風景の中で死におびえる二匹の蛙が見えてきます。
新美南吉は、大きな声で戦争反対を言えない時代にあって『二匹の蛙』を書きました。草野心平もまた同じような思いで「秋の夜の会話」を書いたのではないでしょうか。同じような思いとは言いましたが、草野のそれはどうしようもなく暗く寂しく、希望が見えません。「土の中はいやだね」「さむいね」「やせたね」「死にたくはないね」・・・・・。