季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

どうしたの~思いやりの言葉(2)

2020-05-29 16:12:28 | 日記
 椿にも苦い思い出があります。幼稚園長をしていた時のことです。園児たちは「園長先生、これ見て」と、ドングリやダンゴムシ時にはトカゲまで、いろいろなものを見せに来ます。
 ある日の園庭、一人の女の子が椿の固い蕾を見せに来ました。日頃から生き物の命を大切にしましょうねよ、と教えていた私は驚きました。この子は椿の枝から、蕾をむしり取ってきたのだろうか。そんな不安を押し殺し、固い笑顔で聞きます。
 「どうしたの」~前回も書きましたが、この「どうしたの」は魔法の言葉です。この言葉から、子どもに接していけばいいのです。
 私も蕾をむしり取ってきた(と思った)子どもに対し、叱ることなく「どうしたの」と聞くことから始めました。
 「あのね、後ろの庭の椿の木の近くで遊んでいたら、この蕾が落ちていたの。」
私は叱らなくてよかったと、胸をなでおろします。そう話した子どもは、次に、固くたたまれている花びらの一枚一枚をむしりとり、水飲み場のタイルの上に並べ始めました。私は驚き慌てます。蕾をばらばらにしてしまうなんて…。でも、ぐっとこらえてまた笑顔で聞きます。 
 「どうしたの。」
 「このつぼみが落ちていて、かわいそうだったから、拾ってきたの。でも、このまま
 じゃ死んじゃいそうだから、一枚一枚はがして、ここに並べてあげるの。ほら、一枚
 はがしてここに置くと、くるっとまるまるでしょ。園長先生、これってわかる.さなぎ
 なのよ。さなぎって、だんだん蝶々になるの。こうしておくと、みんな蝶々になって、
 お空に飛んでいくわ。つぼみさんをお空にかえしてあげるの。」
 この子は、植物の命を粗末にするどころか、小さな命を慈しむ、やさしい心根を持った子なのです。私は、その女の子をぎゅうと抱きしめました。

 子どもの行いには、みなその子なりの意味があります。頭越しに大人の主観で叱るのではなく、「どうしたの」と聴くその思いやりの一言が、子どもの気持ちに寄り添い、子どもの優しさを発見することもあるのです。


どうしたの~思いやりの言葉

2020-05-26 11:19:04 | 日記
 タンポポには苦い思い出があります。中学校の校長をしていた時のことです。入学式、始業式を終え、子どもたちも教師たちも新たな気持ちで学校生活を始めていました。いつものように登校指導と称して、生徒指導担当や学年主任などが昇降口で子どもたちを迎えます。私も子どもたちと挨拶を交わすのが好きでした。その日も間もなく始業のチャイムが鳴るころ、たくさんの生徒たちが駈け込んできました。チャイムが鳴り終ってから息せき切って駆け込んでくる子もいます。中学校の教師の言葉は時に乱暴です。「ほら、なにやっている。走れ。」「お前、またか。」などなど。子どもたちはそれでも「おはようございます」を言い、昇降口に走り込みます。

 そんなある日、私は授業中の子どもたちの様子を見ようと職員室を出ました。2年生の廊下に来た時です、子どもたちの創った短歌が掲示されていました。その一つに目が留まりました。 

 登校時道のたんぽぽ気になって ふと立ち止まり遅刻寸前   

 そうなのです。あの朝、息せき切って昇降口に駆け込み、先生にどなられていた女生徒です。私もその子におはようとだけしか声をかけていませんでした。教師は子どもを良くしようとします。それは間違いではありません。でも、教師の思いをぶつける前にまず子どもが何を考え、何を望んでいるのか、その心に添うのが、その心の中の声を聴いてあげるのが教師なのです。
 しかし、子どもの心の中を見ようとせず、出てこない声を聞こうともせずに、教師は指導という名のもとにどなりつけることがあるのです。この子の場合もそうでした。

登校時道のたんぽぽ気になってふと立ち止まり遅刻寸前 

この子は理科の先生に言われていたのかもしれない。「ぼやっと歩いていないで、今この時期には春の花がたくさん咲いているのだからしっかり見ておきなさい。」と。あるいは、もともと野草に興味を持っていた心優しいこの女の子は、通学路のタンポポの成長を気にしていたのかもしれない。もうすぐ咲きそうだと屈んだのかもしれない。ふと気が付くともうすぐチャイムが鳴る、急いで走り学校に飛び込む。そこに先生のどなる声。そんなに叱られることでしょうか。

 このように、教師は昇降口に立って子どもをあたたかく迎えるという本来の仕事をわすれ、子どもの心の中を見る前に、子どもの声を聴く前に、この子を遅刻させまいという狭いものの見方、感情で子どもを傷つけるのです。指導もまた自我であり、利己心から発することもあるのです。そして、教師はこのことに気づかないのです。「子どものために」していることなのですから。
 どうしたらよかったのでしょうか。笑って「おはよう」という私の対応で済むわけはないのです。走ってくる子に「どうしたの」と一声かける思いやりがあれば、この子は傷つかなくて済んだでしょう。遅刻しそうになった訳を聴けば様々な答えが返ってくるでしょう。「母の体調がすぐれないので妹の世話をしていました」「登校途中でたんぽぽを見ていました」「おばあさんの荷物が重そうなので持ってあげていました」「腹痛がします」等。 
 「どうしたの」は相手の気持ちに添う言葉~思いやりの言葉なのです。思いやりとは、自らの考えを押しつけることではなく、相手の思いに沿ってその思いに共感しその思いをともに生きようとする心づかいと行いのことなのですから。
 タンポポを見るたびに苦い思い出が蘇ってきます。



かき餅を作りました

2020-05-22 19:17:29 | 日記
 かきもち(欠餅)が好きです。
 おいしく食べた子どもの頃の記憶があるからでしょう。固くなった鏡餅を手で欠いて小さくし、油で揚げて塩を振ったものです。歯ごたえがよく香ばしく、貧しかった頃の貴重なおやつでした。
 今は、いろんなところで売っていますが、形、大きさ、硬さ、味の濃さがメーカーによって違います。メーカーが倒産したのか、好みのおかきが店頭から姿を消してしまいました。
 しかたない、自分で作ることにしました。
 パックの餅はいつまでも硬くならず、昔のようにあられ状にして油で揚げることができません。妻の「油を吸いすぎます」の一言であきらめました。それならばと、餅の柔らかさを生かし薄くせんべい状に切ってみました。二日ほど干し、
少ない油でフライパンを使って焼くことにしました。
 1回目は切り方が厚く、何のことはない、単なる小さな焼き餅になってしまいました。2度目は薄すぎて歯ごたえがいま一つ。3回目にしてやっと歯触りの良いかき餅ができました。焼き上がりに醤油を垂らすと香ばしい匂い、、、、ビールはもとより日本酒にも合います。
 パック餅2個を一回分として、スライス、干す、焼く、袋に詰めるという工程を繰り返しています。「宙製菓謹製」の醤油味、塩味、砂糖味の3種類のおかき、おいしいですよ。新型ウィルスが収束し、皆さんと自由に行き来ができるようになった時の「お土産」にするつもりです。(なお、通販は行っておりません。)

「共に生きる」私たち

2020-05-21 09:55:42 | 道徳
 初夏の夜、少しうるんだ星空が広がっています。そんな星空を見ていたら、こんな句ができました。
   平仮名の五文字を結び星座とす 
 どんな言葉を結んだのかは内緒です。

 3年前の秋、京都の紅葉を見に出かけました。法然院に向かう途中、哲学の小道の横にある中学校の校門に石碑がありました。「共に生きる」と刻まれていました。どのような経緯でこの石碑が立ったのかは知りません。もしこの言葉がこの学校の教育目標であったのならすばらしい目標だと思いました。私が求める生き方のテーマと一致していたことを嬉しく思い、そのあとの法然院の紅葉がより輝いて見えた気がしました。

 さて、ではなぜ今、私が「共に生きる」を自らの生き方とし、また、これからの時代に生きる子どもたちに身につけてほしい資質としているのでしょうか。
今の世界、いや世界だけでなく私たちの生き方、心の中はどうなっているのでしょうか。世界の傾向は、私たち一人ひとりの心の傾向性でもあります。残念ながら、世界の現状は、私たちの心の集合体ともいえます。私たち一人ひとりの心が集まって、星の一つ一つが星座を作るように、世界を作っているのです。一人の思いが集まって星座をなすのです。
 その世界の傾向は、どんな言葉で表されるでしょう。
 それは「異質な他者への不寛容」ではないでしょうか。自分の見方や考え方、生き方、思いなど、自分とあるいは自分の所属する集団と違うものは認めない、許さない、受け入れないという傾向です。

 私たちは一人では生きられません。人それぞれに違いがあるのは当たり前なのです。だから、私たちは否応なく「異質な他者」と共に生きていかなければなりません。しかし、その他者に対しての「不寛容」~違いを認めないで排斥する状況がとても多くなっています。
 国を越えて、地球全体を一つの集合体として考えるのがグローバリズムです。逆に分断しようとするのが反グローバリズム・・自国ファースト主義をこえた自国オンリー主義 ミサイルも安保理違反であっても関係ない。盛んに仕掛ける貿易戦争。隣国との関係も難しい。移民受け入れに反対する国は多く、世界中で難民への壁は低くなりません。さらに、地球温暖化、海洋汚染によって首都が移転し、島が沈み、クジラのお腹にビニル袋やプラスティックごみがたまっていく。貿易摩擦、国防摩擦、地下資源・海洋資源の奪い合い、猛威を振るう新型コロナウィルスに対しても協力して立ち向かえない。・・・ほとんどが自国中心主義の表れです。
 世界の国は、もちろん日本も、自国の、自国民の幸せ、利害を優先するのは当然です。しかし、都合のいいところだけではつながり、それ以外は受け入れないというのはどうなのでしょう。それをグローバリズムとは言いません。ダイバーシティにも反します。
 ダイバーシティとは、人種、宗教、性別、価値観、ライフスタイル、障害等の多様性をいいます。その多様性を認めない反ダイバーシティ。
 4年前の7月の、相模原障害者施設殺傷事件の記憶はまだ消えません。「津久井やまゆり園」で発生した、刃物による大量殺人事件。「障害者は不幸しか作れない。いない方がいい」などと差別的な主張に驚愕しました。
 パパママもうしません、ごめんなさいと書いて、幼い命を奪われる。寒さに震え、胃の中に何も入っていない状態で、あるいは楽しいはずのお風呂の中で死んでゆく子どもたち。母親がパチスロをしたい、夜遊びしたい、子どもをかばえば暴力を受ける、また父親のしつけに名を借りた虐待、育児放棄、幼い自己中心性。そこに気付けない私たちの社会、手を差し伸べられない行政。
 子どもたちもまた自分とは違う、自分のグループとは違う「異質な他者」への不寛容が見られます。2年前の「道徳科」創設には、いじめ対策の意味もありました。痛ましい、子どもの自殺の裏側に潜むいじめの実態。もちろん少数ですが、それに加担する教師もいます。
 そして子どもの世界にもある壁。発達障害の子どもたちへの偏見、最近では、知能指数が非常に高い、神から与えられたという意味での「ギフテッド」という超天才の子どもたちの生きづらさが話題になっています。異質ゆえに排斥される子供たちもいます。
 共に生きる社会とは、異質な他者に対して寛容な社会を言います。お互いが違いを認めあい、多様な生き方が選択できる社会なのです。
 上皇陛下のお言葉にもそれは現れています。
島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。
                     (天皇在位三十年記念式典お言葉)
 では、この「共に生きる」社会を目指して私たちは何をすればいいのか。その方法の一つとして私は今、道徳の授業の在り方について提案しています。
 「共に生きる道徳の授業」~学校の先生方との共同研究です。今年11月に研究会開催の予定ですが、5月末現在、コロナウィルスの影響によって開催が危ぶまれています。中止になりましたらこのブログを通じて基本的な考えを発信していくつもりです。
 



思いやりと感謝・恩返し~絵本から学ぶ(1)

2020-05-20 10:42:00 | 子どもの本
 思いやりとは何なのでしょう。私は「相手の思いに沿って、その思いに共感し、その思いを共有し、その思いをともに生きようとする心づかいと行い」と考えています。
 思いやりは、私たち日本人が昔から持ち続けている心的特性なのではないでしょうか。聖徳太子の「和をもって貴しとす」やこれまた日本独特の宗教観である「山川草木悉有仏性」などに見える思いやり。昔話や民話にも思いやりを示す人物がたくさん登場します。
この相手を思いやる気持ちはどこから、何によって生まれるのでしょうか。

 『かさじぞう』(松谷みよ子・作 黒井健・絵 童心社)を読んで考えてみました。
 大晦日に貧しいおじいさんが、お餅などを買うためのお金を得ようとスゲで編んだ笠を売りにでかけます。ところが、笠が売れない上に雪まで降ってきてしまいます。途中の「のっぱら」に雪をかぶって立つ六体のお地蔵さま。「さむかろ、つめたかろ」とおじいさんは、お地蔵さまに「うれのこりで もうしわけねえが」と、笠をかぶせてあげます。笠は五つ、お爺さんは自分のかぶっていた手ぬぐいまで取ってお地蔵さまにかぶせて差し上げます。このお爺さんも家で待つお婆さんもとても優しい思いやりの心をもっていました。

お地蔵さまが「さむかろ、つめたかろ」と思って笠をかぶせて差し上げたお爺さんは優しい、思いやりのある人です。つまり、思いやりは、かわいそうだという同情の気持ちから生まれています。もちろんそれは間違いではありません。はたしてそれだけの理由で思いやりの気持ちは生まれるのでしょうか。
 お爺さんお婆さんの生活はどのようなものだったのか、もう少しこの絵本を読みこんでみましょう。
 貧しい二人は、日の出とともに力を合わせて一生懸命働いていたことでしょう。朝に夕にお地蔵さまの前を通ることが何度もあったでしょう。二人が黙って通り過ぎるわけがありません。「今日も一日、何事もなく働けますように」「いいお天気にしてくださってありがとうございます」「おかげさまで今日も無事に働けました」小さな野の花を手折って捧げたに違いありません。二人はいつもお地蔵さまに手を合わせ、お地蔵様と共に生活していたのでしょう。
お地蔵さまに合掌する理由はほかにもあります。その方がもっと大切な理由なのだと思います。
 この絵本の冒頭部です。
「ふたりのあいだに六人、こどもがうまれたけれど、ちゃっこいうちにみな、あのよへいってしまってねえ、ふたりぐらしだった。」
 お地蔵さまは子どもの守り神です。お地蔵さまと言えば、赤い頭巾とよだれかけ、これはお地蔵さまが子どもを災厄などから守る菩薩として信仰されていたため、自分の子どもが無事育つようにとの想いを込めて奉納するのだそうです。赤には魔よけの意味があるそうです。還暦を迎えた人も、赤い頭巾とちゃんちゃんこを身に着けてお祝いをします。これはお地蔵さまが赤いものを身に着けるのと同じく、干支が巡って赤子に還るという意味から来ています。
 六体のお地蔵さまはなくなった六人の子どもでもあったのではないでしょうか。
 二人はお地蔵さまが子どもの守護神であることを知っていたからこそ、毎朝、毎夕、あの世での子どもたちの幸せをお地蔵さまに祈ったのです。お地蔵さまに子どもたちの幸せをお願いし、安心して毎日の生活を送ることができたのでしょう。六体のお地蔵さまは、二人にとっては六人の子どもでもあったのです。
 そうであるからこそ、お爺さんはお地蔵さまの雪を払い「うりもの」の笠をかぶせ、手ぬぐいで「ほっかむり」して差し上げたのです。それを知っていたからこそ、お婆さんは帰って来たお爺さんを怒ることなく「そりゃ いいことしなさった」とあたたかく迎えたのです。
 お地蔵さまへの感謝、恩返しの気持ちが、単なる同情だけでない思いやりの行動を生んだのです。
 思いやり~「相手の思いに沿って、その思いに共感し、その思いを共有し、その思いをともに生きようとする」ためには、まず相手に対して感謝や恩返しの気持ちを持つことが大切なのです。