夕蛍真砂女の恋の行方かな 角川春樹
「恋の行方」に「夕蛍」の斡旋は、蛍のとぶ軌跡をイメージさせて素敵です。ところでなぜ「真砂女」なのでしょうか。以前貴船神社で見た和泉式部の歌碑には
物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る
と刻まれていました。(この歌は強い恋の情念を歌ったものだと後で知りました。)「恋の行方」は真砂女でなくてもいいのではないか。激しい恋情を蛍に託して詠んだ歌はたくさんあるのではないか。そう思って探してみました。なぜか女性に優れた蛍の句が多いようです。
ほうたるや闇が手首を掴みたり 藤田直子
ゆるやかに着てひとと逢ふほたるの夜 桂信子
水恋し胸に蛍を飼ひたれば 三井葉子
蛍火に男の唇の照らさるる 折井眞琴
じゃんけんに負けて蛍に生まれたの 池田澄子
特に真砂女に蛍の句が多いことにも気付きました。
死なふかと囁かれしは蛍の夜
蛍火や女の道をふみはづし
蛍の水と恋の涙は甘しとか
恋を得て蛍は草に沈みけり
瀬戸内寂聴著の『いよよ華やぐ』には真砂女の恋多き人生が書かれています。こうしてみてくると角川春樹の詠んだ 夕蛍真砂女の恋の行方かな は、やはり真砂女でなければならないように思えてきました。
手術台へ俎上の鯉として涼し
真砂女の句には、嫋嫋という形容はふさわしくなく、小料理屋の女将をしていただけに、竹を割ったようなさっぱりとした潔さがあるようです。
98歳で他界した真砂女、今年も蛍となって愛しい人のもとに飛んで行くのでしょうか。