こくどうに ぞうきんみたいな たぬきかな
「朝日俳壇」 令和3年1月24日 高山れおな選
評 交通事故死した狸。比喩が率直適切。作者は七歳。
1年生の孫が夏休みを私の家で過ごして日記を書き、それをもとに俳句を作り続けたことは前に書きました。(「子どもと短歌・俳句(2)(3)」)
かみなりや つくえのしたで だんごむし
ばあちゃんのおそばがうまい かぜすずし
2学期が始まると日記を書くことも俳句を作ることもなく、ゲームをしたり『鬼滅の刃』を小説で読んだりしていたそうです。
冬休みになるとすぐにパパとママと離れて泊まりに来て、また俳句を作りたいと言い出しました。
作り方は夏休みと同じ。その日に一番心に残ったことを日記にし、それを俳句にする方法。入選句はその第一日に詠みました。県境近くの「道の駅」で両親と別れ、助手席に座って私の家に向かう途中の車の中から見た様子です。
前を走る車が急にセンターライン沿いにハンドルを切り何かをよけました。
私も少しスピードを落としました。彼女も乗り出すようにそのものを見ていました。「狸かな」と私が言うと驚いたようでした。何回も轢かれたのでしょう。生きていた時のふくらみはなく、ほとんど平らでした。
その日の日記にその時の驚きを書き、掲句になったのです。
お正月が過ぎ、パパとママの待つ自宅に帰る前日、ポストに投函しました。「入選しますように」と手を合わせて。もちろん私も自作を投函したのですが。
こくどうに ぞうきんみたいな たぬきかな
入選を知ってとても喜んだ彼女は、パパと映画「鬼滅の刃」を観に行ってるそうです。
ママはお赤飯を炊いて待っているとか、いいなあ。
先生には、茨大附属小学校の1・2年生の時に、先生に担任をしていただきました。ちょうど今から、40年も昔の話になりますね。
当時、毎日、日記の宿題があって、私自身のおぼえでは、いつからか詩を日記代わりに、何日かおきに提出させていただいて…。それでいて、おおきな花丸をつけてくださったことが、昨日のように思い出されます。
今日は突然のご挨拶になりましたが、先生も息災のご様子で何よりでした(私の母(88)も健在です)。
今朝、ふと思い出し、検索したところ、当時の面影のままの、私の大好きだった先生の写真を見つけました。
後ほど、FACEBOOKでフォローさせていただきたいと思います。
そう、日記を書いていましたね。
給食もそこそこに君たちの日記を読むのが楽しみでした。
子どもに日には池の菖蒲の葉をつけて帰ったりしたかな。
君のコメントに今頃気がつきました。ごめんなさい。