季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

12月8日

2022-12-18 18:19:17 | 日記
11941年(昭和16年)12月8日は日本がアメリカとイギリスに宣戦を布告した開戦記念日。私たちの世代にとっては忘れられない日であるが,最近,この日が忘れられようとしているらしい。8月15日の終戦記念日さえ知らない人が増えているのでは,12月8日が忘れられていくのはやむを得ないことなのだろう。

針供養と言っても,これこそ知らない人が多いだろう。私が子どもの頃は2月18日と記憶しているが,関西地方では12月8日に行われるところもあるらしい。近くに若い女性の和裁教室があったので,針供養の日には母と一緒にごちそうになった記憶がある。この針供養,開戦日同様『歳時記』にも載っているが「消えゆく季語」の一つであろう。

1980年12月8日はジョン・レノンが射殺された日でもある。40歳であった。ジョン・レノンと12月といえば,彼の作品-オノ・ヨーコとの共作―に「Happy Xmas (War Is Over)がある。その歌詞には
「War is Over!   If you want it.   War is over!  Now!」(争いは終わる もし君が望むなら 争いは終わる 今この時に)
開戦日とジョン・レノンの忌日が同じ12月8日なのだ。争いをはじめた日が「争いをやめよう」と歌ったジョン・レノンの命日。
不思議な符合である。やはり,忘れてはいけない日なのだ。


障子

2022-12-15 19:33:16 | 日記
三年ぶりに障子を張り替えた。

子どもの頃はリヤカーに紙を剥がした障子を乗せて坂道を下り,川まで運んだ。水の少ない細い川に障子を浸し,縄をたばねた束子(たわし)で桟を洗った。固まったでんぷん糊をていねいに取り除くために,手足が水の中で凍えた。

今は糊も良くなっているのか,障子紙は剥がせばきれいに取れ,桟の埃を水拭きすれば済む。それでも,大小合わせて8面を張り替えるには,昼食をはさんで4時間を超える時間を要した。古い糊が「ダマ」になっていたこともあるし,障子張りにかぎらず,年々すべての作業時間が長くなっていることにも拠る。

就寝時には,部屋が明るく感じたし,灯を消せば何やら白い闇に包まれて落ちていく気分だった。『雪国』の冒頭部分「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」を思い出した。いつもは夜中に一度トイレに立つが,張替の疲れもあったのだろうか,久しぶりに「白い闇の中で」熟睡した。

障子を通す朝の光の中でのすがすがしい目覚めであった。

鵯(ひよどり)が

2022-12-13 21:08:55 | 日記
早朝から鵯がベランダのガラス窓に嘴を打ち付けて遊んでいる。遊んでいると思っていたのだが,調べてみるとそうではないらしい。ガラスに映った己が姿を敵と見て戦っているのだそうだ。いずれにしても困らされていることに変わりはない。私の眠りが妨げられるだけでなく,妻が洗濯物を干すのに困っているのが。鵯は洗濯竿に止まり糞を落とす。洗濯物を干せないのだ。

ホームセンターで「鳥よけ目玉」を買ってきて洗濯竿に下げた。空気を入れて膨らました風船はキラキラと陽光を反射した。何故なのだろう,あの目が怖いのか,キラキラテープが嫌なのか,二羽の鵯の姿が消えた。

2週間ほどたった。またあの嘴と羽を打ち付ける音が聞こえてきた。その日の朝以来,ぶら下がった「鳥よけ目玉」のなんと頼りない風情か。頭に来た妻は,なぜか赤い折り畳み傘を開いて竿に結び付けた。「そんなもの…」と言おうとしてやめた。彼女が鵯になって私をつつくだろうから。

ネズミモチの赤い実はまだたくさん残っているし,ベランダ横には山茶花の大木,キンカンの実も熟れてきたようだ。二羽の鵯は喜んでいるようで,日がな一日甲高く啼いている。
去る気配はまったくない。
       


夕顔の実~『塔』11月号 栗木京子選

2022-12-05 21:17:09 | 短歌
この薬飲まねば痛みが治まらぬ飲めば眩暈がまた酷くなる
八十歳の壁の向かうに何やある眩暈おさめて見てみなければ
首垂るる柏葉あぢさゐ夏の日に何かせねばと思ひはすれど
肩に垂るる髪くしけづる九歳のやると決めたるヘアドネーション
干瓢に剥かれし後の夕顔の実と泳ぎたるふるさとの川

干瓢に剥かれし後の夕顔の実と泳ぎたるふるさとの川
 源氏物語の夕顔の巻のイメージゆえか,夕顔の花には優しくはかない印象が伴う。だが,夕顔の果肉を細長く薄く剥いて乾すと干瓢になる。花と実では,ずいぶん違う感じである。剥かれた後の夕顔の実が川に浮かび,そのそばで泳いだ作者。夕顔の歌として斬新な一首になった。                  (栗木京子)

 ありがとうございました。                                    

佐藤忠良展と白水阿弥陀堂

2022-12-02 16:12:32 | 旅行・ドライブ
  佐藤忠良生誕百年展をいわき市立美術館で観ました。
 忠良さんが亡くなったのは東日本大震災のおきた1911年の同じ3月でした。何回かアトリエを訪問し,製作中の作品はもちろん,たくさんの有名作家の作品をみせていただきました。ピカソやシャガールが無造作に目の前に展げられるのですが,これがみんな本物かと思うと震えるような興奮を覚えました。
 帽子シリーズなど改めて清冽かつ抒情的な彫刻に触れ,素敵な時間を過ごしました。アトリエで製作中の写真も数点あり,親しくお話しいただいた当時を懐かしく思い出しました。
   小春日や忠良展のカフェテラス
      

 いわき市からの帰路,前から行ってみたかった「白水阿弥陀堂」に立ち寄りました。紅葉のベストシーズンは終わっていましたが,イチョウやカエデの葉が残り,傾きかけた初冬の日に映えていました。境内にはほとんど誰もおらず,国宝の阿弥陀堂の前に立っていたら,中から堂内に誘われました。静寂な堂内で重要文化財指定の六体の御像を拝見しました。お話を聞きながら見あげた堂内周囲の壁板には絵が描かれてあったらしいのですが,ことごとくはげ落ちてしまっていました。持国天王立像などにかすかに残る極彩色の跡とともに思いを巡らせば,建立当時の堂内のきらびやかさが眼裏を明るくしました。この阿弥陀堂は藤原清衡の娘によるもの。あの平泉の中尊寺や毛越寺のきらびやかさを嫁いできたいわきの地にも再現しようとしたのでしょうか。
 拝観を終え薄暗い阿弥陀堂を辞すと,境内の冬もみじが一層鮮やかに見えてきました。
   冬もみじ杮葺(こけらぶき)なる阿弥陀堂