【口永良部島噴火】全島避難、長期化も 高齢者の孤立や健康に懸念
今回の噴火で口永良部(くちのえらぶ)島では全島民が避難した。離島の火山災害で全島民が島外に避難したのは、平成12年7月の三宅島・雄山(おやま)(東京都)噴火以来15年ぶり。このときは避難指示の解除まで4年5カ月かかっており、その後も三宅島は噴火警戒レベル2(火口周辺規制)の状態が続くなど、火山活動が活発な状態が続いている。今回の噴火でも政府や鹿児島県屋久島町では島民の避難生活の長期化を想定、仮設住宅設置の必要性も含め対応を検討している。
12年の三宅島噴火では、全島民約3800人が東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターなどに避難。その後、噴火警戒の長期化から、避難者は都内の公営住宅などに移った。当時を知る東京都三宅村の佐久間忠総務課長は「避難生活が長期化すれば、プライバシーや高齢者の孤立などの問題も出てくる」と指摘する。
このほか、昭和61年11月の伊豆大島・三原山(東京都)噴火でも、全島民約1万人が1カ月間にわたって都内各所に避難した。平成26年9月27日に死者57人、行方不明者6人を出す戦後最悪の火山災害となった御嶽山(おんたけさん)(長野、岐阜県)の噴火災害では、噴火から半年以上が経過した現在も、噴火警戒レベル3(入山規制)が続いている。
屋久島町では、屋久島内の公民館やレクリエーション施設など3カ所を、口永良部島から避難してきた人々の避難所として確保。地元のクリーニング店などの協力で約120人分の寝具などを手配し、地元の婦人会が炊き出しをするなど受け入れの準備を進めた。同町総務課によると、口永良部島の人口の4割ほどが65歳以上の高齢者といい、「公民館などでひとまず受け入れられるが、長期化すれば健康面の心配もある。今後の受け入れ先については引き続き検討していきたい」と話している。
三原山が噴火した時は、取材で火口原の茶屋にいましたが、目の前で起きた噴火の衝撃は今でも鮮明に思い出しますよ。
どうか大事にならず、島民の皆さんが早く元の生活に戻られるようお祈りします。