これなら用が無くてもついつい使ってみたくなるのはむしろ自然のこと。以来34年あまり、この切符には随分とお世話になった。
真っ先に思い出すのは、やはり「大垣夜行」だろうか。これは現在の「ムーンライトながら」の前身にあたる列車で、東京と大垣を結ぶ夜行の鈍行だった。
「青春18きっぷ」は日付が変わった午前0時から24時間使えるため、このような夜行列車は特に人気がある。当時は自由席ばかりつないだ「大垣夜行」は、着席を求める人で始発駅では早くから長蛇の列となり、関西方面へ旅する人々を乗せて、いつも満員の状態で発車して行くのが常だった。それはまさに戦後の混乱期を思い起こさせるほどの混雑で、いつも窮屈な思いを強いられたものだが、闇夜を駆け抜ける独特の走りっぷりは、いかにも旅をしている淡い興奮に包まれ、この刺激を求めて用もないのにわざわざ乗りに行くこともしばしばだった。
「大垣夜行」は、途中の静岡駅で数分間の停車時間があり、ここで駅弁を買うのも楽しみのひとつだった。コンビニがまだあまり普及していない当時、深夜に食料を確保することは至難の業で、真夜中の静岡駅に列車が到着すると、駅弁の立ち売りにはたちまちにして人が殺到したものだ。ありふれた幕の内弁当しかないのだが、苦労して手に入れた駅弁の味は格別で、今でも忘れることができない。
今は無き青函連絡船を宿代わりに使ったのも、懐かしい思い出だ。当時上野を朝一番の列車で東北本線を下れば、最終列車ギリギリで青森に着くことができ、そのまま青函連絡船の深夜便に接続していたので、このルートもよく利用した。連絡船にはコインシャワーの設備もあり、絨毯敷きの桟敷フロアではゴロンと横になることもできたので、一夜を明かすには打ってつけ。翌朝目が覚めた函館からはそのまま道南地方を乗り回し、夜に戻った函館からまた連絡船に乗って一夜を明かし、今度は東北地方を乗り回す。「青春18きっぷ」は連絡船にもそのまま乗ることができたので、実質的には宿代を一切払うことなく何日も過ごすことが可能だったのだ。
今はもうこんな風に夜行をベースにした旅は難しくなったが、東京からひたすら西へ南へと進み、遥か九州鹿児島を目指すという行程は、今でもちょくちょく実行したくなる。何だか『苦行』にも思えるが、移り行く景色に一喜一憂しながら。一日中列車に揺られているというのも意外といいもので、特に岩国を過ぎたあたりから車窓左手にギリギリまで近づいて来る瀬戸内の海は絶景で、何度通っても心が洗われる思いがする。そして何よりはるばる鹿児島まで辿り着いた時の達成感はたまらず、この清々しさはクセになりそうだ。
さて、今夏もまた「青春18きっぷ」のシーズンが近づいてきた。もはやあちこち行き尽くした気がしないでもないが、それでもこの切符の発売が近づくと、いつもそわそわと落ち着かなくなる。これまでの旅を振り返ってみるのもいいし、新たな旅を模索してみるのも楽しそうで、間もなく訪れる旅の現実を思うと、期待感でついつい胸が躍ってしまう。これまで使ったことのない人も、今夏はこの切符を手にフラリと旅に出て、「青春」を謳歌してみてはいかがだろうか。