広島市の原爆ドームは、もとは「広島県産業奨励館」で、美術・物産品が展示される文化振興の場だった。不死鳥のようによみがえり、惨禍の爪痕をほとんど見ることができない市内にあって、鉄骨とれんが壁だけを残すドームは、核兵器の非道を示す象徴となった▼だが戦後、市民感情は解体論に揺れていたという。そんな時、原爆症で16歳で亡くなる楮山ヒロ子さんが、死の前年、日記に記した。「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるのだろう」(要旨)▼その思いに胸を打たれ、保存署名を始めたのが、10人ほどの子どもたちだった。運動は社会に大きな衝撃を与え、永久保存が正式決定された。50年前のことである▼世界遺産には原爆ドームやアウシュビッツのように、人類が二度と同じ過ちを起こさないための戒めの意味を持つ“負の世界遺産”がある。また近年、負の歴史があった場所を訪ね、思いをはせる「ダーク・ツーリズム」への関心も高まっている▼歴史は、それを直視し、正しく残す努力があってこそ歴史となる。負の歴史から目を背けたいという弱さを乗り越える勇気と、風化にあらがう強さが要る。広島、長崎の被爆者の平均年齢が80歳を超える今、切実にそう思う。(志)
実際に行って現物を見る。
たとえそれが負の遺産だったとしても、いや負の遺産だからこそ、現実に触れるべきだと思う。