唐の詩人・白居易に「点額魚」という詩がある。登り切れば竜になれるという「竜門の滝」の故事にちなんで詠んだもの▼「点額」とは“額に傷を受けること”を指し、点額魚は、滝を登り切れず、岩に打ち付けられて額に傷を負った魚のこと。その魚の気持ちはどんなものだろうと白居易は自問した▼「聞けば、竜になれば天に昇って雨を降らせる苦しみがあるそうだ。そんな苦しみをするよりは、永く魚となって自由に泳ぎまわっているほうが、あるいはかえって、ましかもしれない」(佐久節訳註『白楽天全詩集2』日本図書センター)▼大きな壁に挑み、背負わなくてもよい苦しみを背負うより、今いる場所で自由に生きているほうが幸せなのではないか――人生の岐路にさしかかった時、誰の胸にも湧いてくる微妙な心を、詩人は表現したのだろう▼しかし池田先生は、この詩を通し、論じた。「竜は竜なりに雨を降らす労苦がある。この労苦を苦悩ととるか、使命ととるか。この違いが、悪知識に敗れるか、成仏かの違いになる」「法華経の修行を完成させていくということは、より多くの人々の悩みを背負い、より大きな困難に立ち向かう使命を、喜び勇んで担うこと」だと。立正安国の大理想に挑み立つ。そこにこそ人間革命の道が開かれる。(朋)
現状の自分のこととして考えてみた