2017年12月28日 聖教新聞
等しく支援受けられる制度を
塩崎賢明
日本は災害大国である。どこにいても、いつ、なんどき災害に襲われるかしれない。災害からかろうじて命が助かっても、家を失い、その後の生活再建に苦労する。住まいは被災者の生活再建にとって、第1の死活的な条件である。
憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定している。このことは、平時・非常時を問わず、常に遵守されなければならず、国はその実現に重要な責務を負っている。
しかし、現実には、災害で生き延びた後、復旧・復興の過程で命を落としたり、生活再建ができずに苦しむ被災者が少なくない。これらは、自然の猛威そのものに原因があるというのではなく、憲法がうたっている目標に対する施策が欠如していることから生じているのである。
復興施策の欠陥がもたらす災厄という意味で、「復興災害」と筆者は呼んでいる。
福島県によると、打ち切りの対象になる自主避難者らは1万524世帯、2万6601人(16年10月末)とされているが、17年9月25日、山形県米沢市内の雇用促進住宅に入居する8世帯を、高齢・障害・求職者雇用支援機構が提訴した。
このような自主避難者に対する仕打ちは、部外者から見れば、自分の自由意思で避難しているのだから当然と受け取られかねないが、区域外避難者は好きこのんで避難しているわけではない。区域内外というのも行政による線引きに過ぎず、放射能の危険性は広く存在しており、どこまでが安全かは判然としない。
「原発事故子ども・被災者支援法」(12年)が、「一定の基準以上の放射線量が計測される地域に居住し、又は居住していた者及び政府による避難に係る指示により避難を余儀なくされている者並びにこれらの者に準ずる者が、健康上の不安を抱え、生活上の負担を強いられており……被災者の生活を守り支えるための被災者生活支援等施策を推進し、もって被災者の不安の解消及び安定した生活の実現に寄与することを目的とする」と規定しているように、区域外避難者の生活支援をうたっているのであって、今回の打ち切りは、その趣旨に真っ向から反するものである。
同じようなことが阪神・淡路大震災の被災地でも起こっている。当時の復興公営住宅のうち、約7500戸はUR(都市再生機構)や民間家主から借り上げて、被災者に提供した借上げ公営住宅であったが、県や市と家主との賃貸借契約(20年)が切れるという理由で、入居者に退去を迫り、行政側が市民を裁判所に訴えているのである。
宝塚市や伊丹市は入居継続を認め、兵庫県は個別審査を行い、結果的に希望者全員の継続入居を認めているが、西宮市と神戸市は退去を求め、提訴に及んでいる。
入居した被災者は、契約期間の存在を知らされていなかったものが相当数に上り、入居許可証に期限の記載が全くないものや、行政から「その時が来れば何とかする。悪いようにはしない」と口頭説明を受けた人も多い。
当然ながら、借上げ公営住宅に入居したのは単なる抽選の結果であって、入居者が望んだわけではない。建設型の公営住宅に当選した人は退去を迫られることもなく住み続けることができ、極めて不公平な事態となっている。こうした経緯から、期限が来たから退去せよというのは、全く理不尽であり、一般道徳にもとる行為である。
そこには、国や地方自治体は国民・市民の生活を守る責務があるという立場からかけ離れた状況がある。ましてや、自然災害や原発事故によって痛めつけられている人々に対する裁判自体、異常というほかない。国や自治体側には、形式的な「理屈」があるのであるが、それらは被災者の生活の安定を第一義においたものではない。
災害対策には、事前の予防や緊急時の対応が必要であるが、同時に災害後の復旧・復興において、全ての被災者が速やかに元の生活を取り戻すための支援・仕組みが欠かせない。
わが国の災害対策制度は、縦割りで制度間の連携が欠如し、場当たり的である。復興の主体は基礎自治体などといって、財政力も人材もない自治体まかせという面も無視できない。災害は場所を選ばず襲ってくるのであるから、全国どこにいても等しく支援が受けられるよう、ナショナルミニマム(国民生活環境最低基準)としての施策を国が整え、全国民に提供しなければならない。南海トラフや首都直下地震に向けて、災害後の復興制度の整備が急務である。
(立命館大学教授)
初めて知った。
こういうことを一般のメディアは伝えているのか?
オレが気付かないだけ?