神戸芝居カーニバル実行委員会のプロデューサー、中島淳さんよりご案内をいただきました。あの木津川計さんの一人語り!です。
今回は「番町皿屋敷 異聞」ということで、夏にぴったりのお話のようですね。
木津川計さんは、あの「上方芸能」の発行人、編集長として活躍、大学でも教鞭を取られていた、関西の古典、現代までの芸能、舞台に関するスペシャリストです。「上方芸能」では、30年前に、関西の女流舞台人名鑑のような特集があり、私も紹介、掲載してもらったことがあります。その頃は、沢山の劇場がありました。近鉄劇場、資生堂ホール、扇町ミュージアムスクエア、北浜の三越にもホールがあったんですから。これらが姿を消し、舞台の流れも、規模も変わってしまいました。(若い方は、カフェや画廊といった、30人から数十人規模のところでの公演も多いようですし…)
話を戻して。そんな芸能全般のスペシャリストの木津川さんが、シリーズで語りもされていると知ったのは、四年前。奈良でその語りを見る機会があってからです。「木津川計の一人語り劇場『無法松の一生』」。生駒市のコミュニティーホールでの上演でした。あの阪妻、阪東妻三郎の「無法松の一生」!
どんな語りになるのかと思いながら、けれど、生粋の舞台人でない方の語りはどうだろうかと思いつつ、拝見しました。
当時、77歳でいらしたと思いますが、その語りは、解説の中にせりふもあり、今、一般の演劇に欠けている、「知って考える」大切さが一杯の素晴らしい語りでした。それはそうですよね。演目「無法松の一生」に対する理解と眼差しが、役者とは違うのです。木津川さんの芸能全般に対する専門性と「愛」が、この語りに詰め込まれています。
5月に奈良町にぎわいの家で上演した、河東けいさんもそうですが、90、80歳というこうした優れた関西の舞台人が、専門家がいて間近に拝見できる至福、見逃してはならないと思います。こうした先達の素晴らしさは、絶えず私たちが「歴史」の中にいる、ということを意識されていることです。この歴史感覚は、単に時代を借りて舞台を創る、というのとは全く違う次元のものです。歴史の中に生きた、名も無き人たちが、どのように生きてきたのか、どう時代と向き合って葛藤し生きてきたのか、「人間」を見つめる作業を「演劇」がすることで、未来に対して投げかける「言葉」が見つかると思います。
木津川計さんの語り、是非ご覧ください。

今回は「番町皿屋敷 異聞」ということで、夏にぴったりのお話のようですね。
木津川計さんは、あの「上方芸能」の発行人、編集長として活躍、大学でも教鞭を取られていた、関西の古典、現代までの芸能、舞台に関するスペシャリストです。「上方芸能」では、30年前に、関西の女流舞台人名鑑のような特集があり、私も紹介、掲載してもらったことがあります。その頃は、沢山の劇場がありました。近鉄劇場、資生堂ホール、扇町ミュージアムスクエア、北浜の三越にもホールがあったんですから。これらが姿を消し、舞台の流れも、規模も変わってしまいました。(若い方は、カフェや画廊といった、30人から数十人規模のところでの公演も多いようですし…)
話を戻して。そんな芸能全般のスペシャリストの木津川さんが、シリーズで語りもされていると知ったのは、四年前。奈良でその語りを見る機会があってからです。「木津川計の一人語り劇場『無法松の一生』」。生駒市のコミュニティーホールでの上演でした。あの阪妻、阪東妻三郎の「無法松の一生」!
どんな語りになるのかと思いながら、けれど、生粋の舞台人でない方の語りはどうだろうかと思いつつ、拝見しました。
当時、77歳でいらしたと思いますが、その語りは、解説の中にせりふもあり、今、一般の演劇に欠けている、「知って考える」大切さが一杯の素晴らしい語りでした。それはそうですよね。演目「無法松の一生」に対する理解と眼差しが、役者とは違うのです。木津川さんの芸能全般に対する専門性と「愛」が、この語りに詰め込まれています。
5月に奈良町にぎわいの家で上演した、河東けいさんもそうですが、90、80歳というこうした優れた関西の舞台人が、専門家がいて間近に拝見できる至福、見逃してはならないと思います。こうした先達の素晴らしさは、絶えず私たちが「歴史」の中にいる、ということを意識されていることです。この歴史感覚は、単に時代を借りて舞台を創る、というのとは全く違う次元のものです。歴史の中に生きた、名も無き人たちが、どのように生きてきたのか、どう時代と向き合って葛藤し生きてきたのか、「人間」を見つめる作業を「演劇」がすることで、未来に対して投げかける「言葉」が見つかると思います。
木津川計さんの語り、是非ご覧ください。
