ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

ならまちアートプロジェクト~にぎわいの家から

2016-08-31 | アート
9/3から、奈良では奈良市と文化庁共催の「東アジア文化都市2016」のイベントとして、現代アートの展覧会が、春日大社、東大寺、元興寺など八社寺と奈良町周辺で開催されます。奈良町にぎわいの家も会場となり、「FLOW」(流れ)と題し、二名の作家が100年の町家を新たな空間に作りあげて下さっています。一人は奈良町在住の作家で自らも町家に住む、岡田一郎さん。場所性を大事にされる作家さんで、今回は井戸と蔵とつし2階が映像を中心とした作品に。もうお一人は林和音さん。「編む」ことで不思議な空間を生み出していきます。四日前から準備が始まりましたが、作る現場に立ち会うのは楽しく、舞台の仕込みが進んでいく楽しみに似ています。
現代アートというと、伝統的な寺社や町家とはかけ離れているイメージがあるかもしれません。作品が場の力に追いつかない場合もあるでしょう。奈良町にぎわいの家は、大正時代の建物ですが、その大正時代は「文化」という言葉が新しいものの代表として流行った時代でした。文化住宅、文化人形、文化鍋など、とにかく「文化」という言葉を積極的に暮らしで使っていたのです。今回の「東アジア文化都市」イベントも、美術、舞台などまさに「文化」の祭典なのですが、現在の私たちは「文化」というと、ちょっと小難しい、あまり暮らしに関係ないな、という印象があるかもしれません。現代アートも然り?
けれども、どうぞ、奈良町にぎわいの家のアートをご覧下さり、町家の中でどんな風景が見えるか、感じてもらえたらと思います。館内全体に作品はありますが、高い天井のかまどのある台所、通り庭の梁に、林さんの大きな作品があるのですが、それを見たお客様の声が面白かったのです。その方は、アート作品というより、始めからこういうところにあるものだと思って見ていたとのこと。つまり、アートを見る、なんて気負わなくても、町家と共に同じ空気を感じながら、その空気が流れている作品と言えるのではないでしょうか。
あまりネタばらしはいけませんね。皆様、芸術文化の秋は、どうぞ奈良町へ!隠れ家的なスポットに、へえ!という発見がきっとありますよ!(詳細は以下…http://culturecity-nara.com/event_info/naramachi/)また、9/10(土)夕方5時から、作家さんお二人と、にぎわいの家の現代アートをコーディネートしてくださっている、野村ヨシノリさん(奈良アートプロム・Gallery OUT of PLACE 代表)のトークライブがあります。夕暮れの奈良町へぜひ、お越し下さい。









劇作家協会関西支部ドラマリーディングを見て

2016-08-27 | 演劇
日本劇作家協会が企画するドラマリーディングを初めて鑑賞しました。これは戯曲作家の作品のブラッシュアップや技量を伸ばすための企画で、まず、役者さんが朗読した後、意見を交わすというものです。正直、もう何年も演劇をきちんと見たことなくて…。ここ、数年はフェスティバルホール・アドバイザーの西尾智子さんのおかげで、人間国宝の梅若玄祥先生のお能をみる機会には恵まれていますが、小劇場に関しては奈良の若手のみ…。大阪の現在の役者さんもみたくて久々に関西の演劇シーンに触れるので楽しみに参加しました。
本日の採用戯曲は、横山拓也・作『車窓から、世界の』(どこかで聞いたような?!)劇作家協会の新人戯曲賞を受けられている実力派です。力があるなと思いました。きちんと破綻のない芝居になっているし、人物の書き分けや役割も的確。ただ…なんというか…だから何なんだろう、とまあ、そういう結論になってしまうのです。これは私が子育てをする普通の親?としての時間がそうさせるのかもしれませんが。
劇の内容はかなりシビアな話で、女子中学生三人が鉄道に飛び込み自殺をし、そこに関わる教師、PTA役員、中学生の所属していた団体のスタッフが、お別れの会にその現場のの鉄道の駅で電車を待っている間のお話です。それぞれの立場から、生徒が亡くなったことに関して、あれこれ話をしますが、テンポもよく、深刻な話の中にも、笑える部分もうまく仕込んで、飽きさせません。話も半ば過ぎて、中学生達が夢中になっていたマンガの同人誌の作者が登場、中学生の自殺の原因は、自分の書いたマンガのせいで、そのマンガの中には、まさに死んだ状態と同じシーンがあり…。とまあ、あらすじだけ書くと、ものすごく重くて暗いですが、それを具体的に登場人物にそれぞれの立場から互いの意見をはっきりと言わせるので、話の進行にも無理はなく、きちんとした芝居を見た、という感じにはなります。
…が、この内容によって、だから何?という感覚になるのです。私には、かなりハテナ?なのです。それは、身の回りの中学生や親や教師を目の当たりにしてきたので、ほんとにピンとこないのです。芝居の登場人物は、いわゆる「パターン」であり、「教師のパターン」「PTA役員」のパターン、とかで、人の姿が見えないのです。(このあたりの問題に関しては、終演後のディスカッションのゲストの劇作家の中津留章仁さんや岩崎正裕さんから、良いアドバイスがありました。)
ドラマはウソだけれども、人物に役割だけ背負わせてしまうと、まさにウソになってしまう気がします。人物を類型化しているというのともちょっと違って…なんというか、話を進めるためのツールに、登場人物が見えてしまった感じがあります。
だいたい、本当に中学生が「神」とあがめるような同人誌ってどんな?死ぬほどの何物か?ならば、その同人誌こその内容をもっと語らなければ、死んだ中学生のことが、何もわからないのではないの?死んだ中学生のことは最後まで見えなかった…。これは意図してなのかはわかりませんが…。
私は演劇を役に立つとか、何かの目的のためにとかばかりでは、つまらないと思いますが、やはりこういった内容をあえて書くというのなら、単に考えるきっかけになれば、でなくて、ある程度の覚悟ある視点がいると思いました。
後、「詩」をあまり感じなかったのも残念。劇中に「干し柿」が出てきて、それが物語をつなぐ大事なものの象徴にはなっているのですが…少し弱いんです。日常会話の中にいかにも「詩的」なものを仕込むというのでなく、一言、すごく印象に残る言葉があればなあ、と思いました。
役者さんは皆、好感が持てました。この稽古は、なんと当日のみだとのこと。皆さん、すごいです。
私は奈良で一般の方と劇をする時…稽古はとても時間がかかりますから、それはもう羨ましい…。けれど、おそらくその時間のかけ方が、子育てにかかる時間?のかけ方に似ているのかも?!暮らしの中で生まれるリアル…それがどう芝居のリアルに飛躍していくのか…なんとかそれを体温をもって書いていけたらと思っています。



奈良町にぎわいの家 8/28イベント「タイムトラベル奈良町」

2016-08-26 | にぎわいの家・奈良関連
奈良町にぎわいの家は、奈良町の目抜き、奈良市中新屋町にあります。このあたりは、古くからいろんな生業で成り立っていました。奈良町で幕末から明治にかけて活躍した、奈良人形(一刀彫)の名人、森川杜園(もりかわ・とえん)は、にぎわいの家のすぐ近くに住んでいたのですが、その杜園の小説『芸三職・森川杜園』(大津昌昭・著)の中に、杜園のこんなセリフがあります。「…人の行き交いが多くてな。いろんな店が軒を並べとった。酒、油、青物、塩魚、醤油、豆腐、煮物、荒物、墨、筆、大工、古手、商人宿、髪結、戸障子、晒(さらし)、染物…。奈良いうは、昔からたいがいこんな商いと職人の町が百ほどくっついとる。」このセリフからみても、当時の奈良のにぎわいが目に見えるようですね。
さて、明後日日曜日、午後2時から、そんな奈良の様子が伺えるかもしれない、奈良町の古地図を見るイベントがあります。「中新屋町町絵図(なかのしんやちょうまちえず)天保六年(1835)」の古地図を身近で見て、史料保存館スタッフのお話を聞けるという企画です。(詳細はhttp://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1470275082025/index.html)
奈良町にぎわいの家のある「中新屋町」の180年前の町並、私も興味津々です。皆様、暑い中ですが、ぜひ、お越しください。
また、今回紹介した、森川杜園に関しては、作者の大津昌昭先生のお話と、朗読イベントを毎年企画しています。またそのお話は後日に。



オリンピック・リレーと閉会式から

2016-08-22 | その他
・400メートル・リレーのこと
400メートル・リレーの銀メダル…。予選の組ではトップでしたが、アメリカもジャマイカも2番手メンバーなので、メダルは厳しいだろうなあ、と思っていました。ところがの結果…。本当にびっくりしました。陸上でメダルが取れるなんて…。体格的に日本人は絶対無理だと思っていたし、実際、走者四人とも、個人レベルではいい成績を残せませんでした。だって、ボルトのストライドの長さには身体的にどう考えても、日本人は追いつけない…。そこをバトンでカバーしたことが勝因とのこと…。私ごとですが、昔、三年間、陸上をしていました。小さな学校で人数もなくて、何でもしました。100メートル、200メートル、走り幅跳び、400メートルリレー…。地域でしか通用しないレベルの走者でしたが、それでも、「走る」感覚が今でも、体の中になんとなくあります…。昔、地域の運動会で、大人も子どもも、裸足で走っていたのを思い出します。かけっこ、走るというのは、道具がなくても出来ます。「走る」と風がおきます。シンプルな動作の中に「詩」が見えることの多いスボーツかなと思います。本当に銀メダルには驚きました。

・閉会式の日本の演出から
ドラえもんにスーパーマリオにキティちゃん、お馴染みのキャラクターとコンピューター制御による電飾、クールジャパンの面目躍如、日本の「今」をものすごく感じる演出でした。パヒュームにきゃりーぴゃむぴゃむのスタッフも入り、完璧と思います。こういうエンタメ好きです。ただ、これが「オリンピック」の名の下にあると…単にエンタメとして楽しめないところもあります。クールがそのまま、冷たいのです。コンピュータ制御の中に人間がいますが、これは人間が機械のように動く、失敗したり、おかしな動きをしたら、途端に破綻する類いのものなので、出演者の緊張感は、それは大変なものだったことでしょう。この日本の出し物の後に、ブラジルのマスゲームがありましたが、かなり適当な感じで、私はそれもいいな、と思いました。クールジャパンの最先端が、人間というアナログを機械の制御にはめない、もう一つのシーンを、期待したいと思います。
さて、こうしたオリンピックのイベントで、さすがだなあと思ったのは、2012年のロンドン五輪。開会式での映画音楽の演奏になんと、Mr.ビーンが絡むシーン。Mr.・ビーンこと、ローワン・アトキンソンは、世界的に有名なコメディ・アクターですが、天下のラトルの指揮する、ロンドン交響楽団に絡ませるなんて…ものすこく洒落ていて、楽しい!オチの音にには、びっくりしました。ネット動画で是非、ご覧下さい。オリンピックという世界が注目する中で、馬鹿らしいことをして、楽しむ余裕があるイギリスは、さすが、批評精神にあれているなあ、ビートルズを生んだ国だなあ、と当時、拍手したのを覚えています。同じように、ビートたけしさんが、浅草の伝統背負って、「え?うそ?!」みたいな隙間を作り、大きな風を起こしてくれるようなオリンピック、イベント…できたらいいなあ、と夢見ています。


短歌体験は演劇から~寺山修司のセリフ 

2016-08-20 | 短歌
「短歌」…と言われても…というのが、一般の方の「短歌」と聞いた時の印象かなと思います。暮らしの話題にはまずのぼらないし、過去のもの、という印象もあるでしょう。かくいう私もそうでした。自分が詠む、歌をつくるなんて、思いもしなかったです。歌人、前登志夫先生に出会わなければ、関係ない世界でした。ただ、今思えば、「短歌」体験は、前先生に出会うよりもっと前、「演劇」が始まりだったように思います。詩人、歌人、映画監督、競馬評論家、劇団主宰者、シナリオライター、作詞家、などなど八面六臂の活躍をしていた寺山修司、その寺山の演劇に「短歌」を感じたのがリアルな短歌体験の一歩でした。寺山の主宰する「演劇実験室天井桟敷」の解散公演を、十代に見られたことは本当に幸運でした。寺山は劇中歌をよく作っていますが、この劇中歌が劇の「調子」を作り、しかも、セリフそのものが、歌の調べの延長にありました。もちろん、私は当時、寺山が歌人であったとも知らず、ただ前衛演劇の第一人者という認識でした。ところが、なんだかセリフは前衛というよりは、祖母が良く聴いていた、「浪花節」のような感触があり…不思議と馴染む感じがしたのを覚えています。もちろん、劇の内容はシュールで、演出も幻想的なんですが、「セリフ」は耳に入ってくるというか…残る。調べが残るのです。どちらかというと、演劇実験室天井桟敷は、「実験」とあるように、びっくりするような仕掛けや演出で、ヴィジュアルが先行する印象もあり、海外の招聘も多く、もしか「言葉」なくても通用するかも?などと漠然と思っていました。ところが。寺山が死に、劇団が解散し、名前を変えて「万有引力」という集団になり、その旗揚げ公演を見た時、演劇の方法論は変わらず、出演者も重なり、見た目はあまり変わらないのに、何かが決定的に違います。それは、寺山の言葉がない、ということでした。あの寺山の独特の調べ、セリフがないと、なんとも中心がないような、何か生まれる元になる種がないような、物足りなさを感じました。寺山の言葉は強い。その後、彼の歌を読んで、ああ、既に劇的空間は、歌人寺山の中に、言葉として確立されていたんだな、と思いました。だから、セリフが強いのだと。短歌の調べが、地下に潜った情念を現代につれてくるような…寺山の演劇の真骨頂は、そのセリフの調子にあったと、今つくづく思います。その後、いろいろ芝居を見る中で、やはり調べのある「セリフ」は、「詩」を持っているということも強く感じるようになりました。唐十郎の紅テントのセリフ、これも独特の言い回しと高揚感があります。戯曲というのはまさに「戯れる」「曲」なので、音として耳に残るセリフの「調べ」はとても重要でしょう。
では寺山修司の戯曲の一節を。戯曲『書を捨てよ、町へ出よう』より

「一番高い場所には何がある?嫉妬と軽蔑、無関心と停電の時代を目の下に見下ろして、はるかなる青空めざし!どこへ行こう?どこへ行こう?どこへ行こう?どこへ行こう?」
『テラヤマワールド』裏表紙

…本当に「歌」ですね。歌わざるをえない、セリフです。
こんな後に自分の戯曲の話をするのは何ですが、私の場合、核になるイメージが決まると、割合、よどみなく「ドドドドドー」とセリフがやってきます。このセリフがやってくるスピード感が、調べになっているように思います。
ところが、短歌は私にとって、まだまだセリフのようにはいかなくて…。けれども第一歌集『ラビッツ・ムーン』を上梓しました。その『ラビッツ・ムーン』から、今日は演劇の歌を。

壊された舞台の上にちらばるよ。あれはまことの雪であったよ。   おの・こまち