ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

人間国宝 梅若実玄祥師 舞台歴70年記念祝賀会

2020-10-24 | 演劇
10/16、大阪リーガロイヤルホテルで梅若実先生の舞台生活70年の祝賀会が開催され、伺いました。元々は、4月に予定されていたもので、コロナ下で延期されましたが、無事の開催となりました。大きな宴は今年、私も初めてでしたが、リーガロイヤルの行き届いたコロナ対策に安心、美味しい食事も堪能しました。何より、会の全体は、梅若先生の舞台をプロデュースされている、西尾智子先生の心配りが行き届いた、温かいものでした。
司会は桂南光さん。聞き手がリラックスできるユーモアのある語り口。そんなほっとする空気の中、祝宴の鏡開きは名人がズラリ。能の大槻文蔵師、京舞の井上八千代家元、能の小鼓方の大蔵源次郎大蔵流宗家(お三方とも人間国宝)、ベルばらの植田紳爾先生などなど…。中々、お目にかかれない方たちです。
そして、挨拶は観世流宗家、観世清和師。まず観世家と梅若家のえにしを、江戸時代に遡ってお話されました。徳川家康のことをこの間のことのようにお話されるのを聞きながら、能の持つ時間の感覚は現代の普段の暮らしにはない、はるかなものだなと感じました。当時、観世太夫は蟄居の身で、江戸に不在時期があり、梅若家がかわりに勧進能を行っていた、蟄居が解かれ太夫が江戸に戻った折、観世、梅若、両太夫で謡初式(うたいぞめしき)をしたと伝わっている…と宗家を梅若家が支えた歴史に触れ、続き、実玄祥先生のおじい様である、初代実師のお話(明治期、式楽でなくなった能を復興した名人)や、ホール能、新作能など新しいことに挑み続ける、梅若先生へのエールと続きました。そして、宗家は来年の宮中の歌会始のお題が「実」である、まさに「実」イヤーとなりますようにと、締めくくられました。こうしたお話の間に、宗家が幼い頃、稽古をつけてくれた、先代梅若六郎師(実玄祥先生のお父様)の「眉」についてのエピソード、お母様にとても大事にしてもらったことなど、家族の姿がかいまみえる温かいお話に和みました。(最後、梅若先生のお話の中でのお父様は、「私には非情なくらい厳しい稽古を父から受けた」とのことで、芸を極める名人のいろんな顔を、お話から感じました。)
宗家のご挨拶の後は、大槻文蔵師の高砂の発声に始まり、日本舞踊、宝塚の方の歌の披露、チェロの生演奏など、贅沢な時間が続きました。そして、画面には、昨年のパリ公演現代能「マリー・アントワネット」が映し出されます。テレビ番組をダイジェストにしたもので、レポーターは女優の木村多江さん。西尾先生から、パリ公演のことはなんとなく伺っていましたが…この映像を見ながら、なんとももう…胸がつまりました。これは、演じる側と支える側のドラマなんです。この時、梅若先生の移動は車椅子、本当に最悪のコンディションでした。(先生は大病を患って以降の海外公演)舞台袖で梅若先生を送り出す西尾先生は「昨日よりいいですよ。」と声をかけます。いえ、本当はそんなことはないのです。それでも必死に送り出し、舞台上の梅若先生を祈るように見つめる…。舞台が輝くためには、こうした舞台裏の「まなざし」があるということを、観客席はあまり意識しないでしょう。けれど、このパリ公演の番組は、そうして舞台が成り立っているということを、伝えるものでした。マリー・アントワネットの最後の立ち姿は、梅若先生の必死の立ち姿と重なったのではないかと思います。そして、先生は番組中、そのマリーの最期の時間についてこのように語りました。「(死ぬ前のマリーをお世話した人たちがいたということ)アントワネットは一人でないとわかるんだね。そういう人たちがいるので寂しくなかったのではなかったと思う。死ぬことは幸せなことでなくちゃいけない。」
宴会もお開きという時に、なんと素晴らしいサプライズが!先生と能舞台で公演された、あの葉加瀬太郎さんが登場、生演奏を披露。やさしいメロディーが会場を包みました。
会を締めくくる梅若先生の挨拶は以下。「大きな幸運を頂戴しました。六十を過ぎてから、教えていただいた方の大切さ、それを忠実に守れるかということを思っている。私がやっていること(能)は、自分がやっているのでなく、教えていただいたことをしているのです。(略)新作能を始め、今があるのは、西尾智子さんのおかげ。西尾さんは本当に芸術を愛している方、大恩人です。」
なんだかとても幸せな気持ちになって、帰途につきました。舞も音楽も人の声も…豊かな時間を芸術はもたらしてくれます。
この度の祝宴は、梅若先生の芸の大きさ、そして能を主役に様々なジャンルをつなぐプロデューサー西尾先生の大きさを感じました。こうしたつながりが、次世代にもありますように。



10/11 演劇公演「ゲルニカ」鑑賞

2020-10-12 | 演劇
女優のキムラ緑子さんにご案内いただき、京都劇場で公演の「ゲルニカ」を鑑賞しました。コロナ対策がいわれたこの春から、全く観劇していなくて、今回、久々の観劇。良いものを見ました。「ゲルニカ」と聞くと、ピカソの大作、「ゲルニカ」を思い出しますが、お話はまさにその「ゲルニカ」に書かれた、スペインはバスク地方、ゲルニカの空襲までのドラマです。
①戯曲…スペイン内戦、フランコ将軍、第二次世界大戦、このあたりの流れがあらかじめ頭にあると、すぐに物語に入っていけるのですが、私と一緒に見た劇団メンバーは、始めのとっかかりが難しく、しかも歴史背景を細かく口にするスタイルなので、中々、芝居の中に入れなかったようです。導入の書き方は難しいなと感じましたが、とにかく、劇作家、長田育恵さんの筆力はたいしたものです。3時間の中に、歴史を書き込み、人間を書き込み、ドラマとして成立させた力量に拍手です。後、もう少し、台詞に「詩的な余白」があれば、絶品になると思います。長田さんには、昨年の劇作家協会の全国大会でご挨拶しましたが、今後も、良い作品を送り続けください。
②演出…さすが、日本を代表する演出家。何もかもピシッとあっていて、言うことありません。舞台には、あのマーク・ロスコの美術作品を思い出すような、手触り感のある壁が出現し、空間を構成していきますが、この質感が、バスク地方の「土」のイメージを想起させ、また映像やイメージや、とにかく使い方もうまければ、色合いも素晴らしい。音楽もメロディがなく、そこがフラメンコのリズムを象徴するかのようでもあり、ビジュアルと音は言うことありませんでした。最後、ピカソのゲルニカが私たちの前にドーンと迫ってきます。ここにきて、演出家がこのピカソの絵の怒り、戦争への怒りを私たちに、「さあ、どうする、どうするんだ私たちは!」と突きつけてくるような迫力でした。優れた演劇人たちが集まり、このような作品が出来るということ、日本はまだ大丈夫、まだ思考停止になっていない、と思わず唸っていました。
②キャスト…キムラ緑子さんは、旧体制、旧支配階級を象徴する、女主人、マリアを演じました。中々、複雑な役どころで、女として家を守るには弱く、神をただ信仰することで精神の均衡を何とか保っているかと思えば、最後、ゲルニカの運命(空襲)を決める怖ろしい決断においては、「神」の下僕ではなくなる、といったあたりの構図が、なんとも緻密に演じられていました。既に内部では爆発して破綻している精神を、表には出さず、押さえ込みつつも、「神」と対峙する時、逆にふと、本性が出てしまうような。個人的には、更に高貴な破滅?が見たかった気もしますが、緑子さんの佇まいと所作、例えば、嘆きながら下手に退場する時の前かがみな姿勢、にもマリアを感じました。とにかく、プロ中のプロ!演技、堪能しました。
さて、この芝居で最も輝いていたのは、主役のサラ、上白石萌歌さん。舞台では初めて拝見しましたが…ああ、参ったです。とにかく良かった。私の好みもありますが、まとっている空気がいつもまっさら。まっすぐ心地良い風が吹くような、そんな演技です。もちろん、サラという役柄の素直さ、ひたむきさ、懸命さが、彼女の性質に響いてのものでしょうが、お姉さんの上白石萌音さんもそうですけど、二人とも、不思議な透明感があり、何をしてもさわやかになるというのは、天性のものでしょうか。年をとったら、この透明度はどうなるんでしょう。うーん、見ていたい役者さんが増えました。
それと、サラ付の女中であり、実の母親である元ジプシー?役の石村みかさんにもひかれました。何かしら目が行く、雰囲気があります。
さて、男優陣ですが、女優陣と比べると、「演じている」人たちという枠で見てしまうようなところがありました。もっとご本人の雰囲気が前に出たら良かったのかな?皆さん、ものすごく上手いのです。ただ、熱演と「何かひかれる」というのは、また別で、何というか、きちんと演じられすぎているので、安心がすぎて中に入り込めない、といったような贅沢な不満?でしょうか。牧師さん役の方は、もっと変態?!にできるところをかなり押さえていましたが、役柄の自由度に関しては、これは演出の絡みもあるので、全体の中での位置づけもあり、難しいところです。
と、少し長く、なりましたが、良い作品でした。負けずに、頑張って書こう!と元気をもらいました。ブラボー!!

劇場ポスター

奈良町にぎわいの家 2020芸術の秋!第1弾「つし2階アート企画・加藤史江展」

2020-10-04 | アート
毎年、秋は町家美術館企画を始め、全館の展示企画を開催しています。今年は、コロナ対策下ということもあり、展示企画を充実させようと考え、10月は四つの企画を同時に、奈良町にぎわいの家でご覧いただけます。
まずは、21回目となる恒例の現代アートの企画展。今回、つし2階で繰り広られるのは、加藤史江さんの作品「たゆとう記憶」です。(キュレーター・嶋田剛)未生の世界、現世、未来まで、いのちの流れを感じるような、紙と墨によるインスタレーション。素材の持つ特性が、加藤さんの感性と融合、「形」がしっかり見えながらも、紙や墨の持つ、細胞感のようなものが伝わってきます。こうした作品は、やや外連味が過ぎたりもしますが、加藤さんの作品は、「作り考える、考え作る」という、いたって当たり前のことなんですが、その手触り感がクールに、しかし、冷たくなく伝わってきます。。なお、加藤さんは「木津川アート」のディレクーターでもあり、関係者の方が沢山来館、木津川市長も来場され、町家空間の加藤作品を鑑賞されました。つし2階だけでなく、渡り廊下や六帖床の間など、なんとも良い感じで、「たゆとう記憶」があります。つし2階の奥の小部屋は「え?」と思いますよ。是非、ご覧ください。

つし2階手前の部屋にて