ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

テイチクうたものがたり 朗読劇公演日

2016-11-27 | にぎわいの家・奈良関連
さて、月2回稽古してきた朗読劇の本番です。出演者は7名、舞台経験者、ラジオパーソナリティー、朗読活動されている方に加え、初めて舞台に挑戦のお二人。元々、私の演劇活動、小町座は子育て中母親たちの劇団として、奈良からオリジナル劇を発してきました。母親ですから、もちろん、素人。ところが、声を出すことでどんどん、変わって行きます。今回初参加のお二人も、まさにそうで、初めは中々、声が前に出なかった方も、今日の堂々と自分の声を出す姿に感心しながら見ました。
全体、45分のミニ朗読劇ですが、町家の座敷の三間に、満員のお客様。昭和6年に南口重太郎が創業した、レコード会社「テイチク」。もちろん、当時のことを知る方はいません。
40代の方のアンケートにも、初めて奈良にレコード会社があったと知ってびっくりした、とありました。
テイチクの黎明期を解説と劇中劇と、歌で振り返りましたが、実際に、昭和三十年代から四十年代にテイチクにお勤めだった、元社員の方が「本当に良かった。」と声をかけて下さったので、書き手としてはほっとしました。
今回、脚本を書きながら感じたのは、会社が一つの家族のような時代だったということです。
テイチクは戦時中に出火し、工場が全焼したのですが、その時のエピソードに、社長の南口重太郎が、責任を問うより先に「ケガはなかったか。」と聞くシーンがあります。そして「また一からやろうやないか。」と社員に声をかけます。こういう熱い?!感じは、今の時代には向かないかもしれません。けれども、上に立つものの覚悟や社員への愛があるからこそ、会社は家族のような場所であり、そこで一生を終えるのも当たり前、という時代の感覚をみました。
今、終身雇用なんて時代遅れの言葉を言うと、はあ?と首を傾げられそうですが、自分の能力で会社を渡り歩き、キャリアにしていく今の仕事のスタイルとは違う、会社に所属し、一生をかけて働く、だからこそ退職しても、会社でつながった人たちと同時代の思い出を語ることができる…。非正規雇用が多く、めまぐるしく職場環境が変わる今、必然、会社と人の関わりも変わってくるでしょうが、「テイチク」という会社を懐かしむ皆さんの声は、温かいものを感じました。
さて、アンケートの中で、え?!とびっくりしたのは、「祖父のことを取り上げて下さりありがとうございます。」とのお返事が。つまり、テイチク創業者、南口重太郎さんのお孫さんが見て下さったのです。これには感激しました。
100年の町家で聞く、この100年間に奈良を生きてきた人の物語。奈良の暮らしや仕事のお話が集まる町家になればいいなと思っています。
(以下は、スタッフが書いてくれた、奈良町にぎわいの家フェイスブックのレポートと写真です。)

「テイチクうたものがたり」無事に終了いたしました。
チラシを見て、とテイチクでお勤めされていた方が事前にレコードの原板や、レコード、写真などもお貸しくださり、会場も昭和歌謡のムードに包まれました。
テイチク創業者の南口さんと昭和の大作曲家古賀政男さんとのエピソードなどを盛り込んでの朗読劇、歌ありダンスあり!
テイチクの関係の方もたくさん来てくださり、みなさんとても喜んでくださっていました。
また、テイチクのことを知らない方も、奈良にこんな大きな会社があったことを知ったと、勉強になりましたとご感想をいただきました。
石原裕次郎や八代亜紀など、日本の歌謡界を代表するたくさんの歌を奈良から発信していたこと、奈良の財産として皆さんに知っていただいくよい会になったのではないかと思います。朗読劇にご参加いただいた参加者のみなさん、足をお運びいただいた観客のみなさま、ありがとうございました!
公演後、懐かしいレコードをみなさんと一緒に楽しみましたよ。


NHK「終わらない人~宮崎駿」を見て

2016-11-17 | 映像
ジブリの作品は、子育てと共にありました。幼稚園の運動会の入場行進は「となりのトトロ」の「♪歩こう、歩こう、私は元気」で、背が一番小さな三歳の次男が果たして、きちんと歩けるのかとどきどきしながら、トトロの音楽を聞きました。この歌の作詞は、中川李枝子。幼稚園の保護者なら、多くの方が知っている、ロングセラー絵本「ぐりとぐら」シリーズの作者です。トトロの主人公、さつきの妹、メイは、まさにこうした幼稚園の子どもたちの象徴のような存在でした。あの不安定で元気で、いつこけてもおかしくない動き。なんでも大騒ぎする元気なメイと、対して姉のしっかり者のさつきの凸凹に、きょうだいの良さを我が家に当てはめて見られたおうちも多かったことでしょう。
と言っても、私はジブリ映画が公開されたらすぐ見に行くタイプではなく、もっぱらテレビで見て知るタイプ。ですので、宮崎駿さんのことも、ファンのように詳細にはよく知りません。
ジブリのことで、有り難いなと思うことは、直木賞作家、野坂昭如氏の「火垂るの墓」をアニメにしてくれたこと。これは宮崎さんでなく、高畑勲さん。ジブリのもう一人の主です。平たい言い方になりますが、アニメの「火垂るの墓」があるおかげで、「戦争」についてのことを、お母さん方が情報の一つとして持てる、この意義は大きいと思います。余程、意識しないと、平和な暮らしの中で、ネガティブな戦争ということについて、お互い話すことはないでしょう。けれども、「火垂るの墓」の兄妹の姿を見ながら、自分の子どもがこういう状況だったら…と少なくとも、子育て中の人なら、この映画を見れば考えながら見ると思います。「戦争」を伝えることは、中々、難しい時代になりましたが、この
「火垂るの墓」があることは、とても意味のあることと思います。
さて、引退宣言をした宮崎さんが、テレビにとなると、ファンにしてみれば、それは大変なことですよね。私はたまたま、テレビがついていた延長で見た感じですが…これが中々、面白かった。理由は二つあります。
一つは、「毛虫のボロ」という作品をCGで作るための作業で、宮崎さんがCGで動き出す「毛虫のボロ」に対して、ダメ出しをします。ボロが誕生し、周りを見るために「顔を動かす」のですが、この「顔の動き」にダメ出しをする宮崎さん。その風景は、まるで演劇のダメ出しのようで、思わず見入ってしまいました。
何がダメかというと、宮崎さん曰く「初めて世界を見るボロが、そんなに早く首を回すわけはない」というようなことだったと思います。その通りで、CGの動きというのは、いわば物理的な計算式の果ての動きでしょうから、「初めての世界を目の当たりにする」毛虫のボロの「ものを見る」といった「個別」で「未熟」な赤ちゃんの手触りは、出ないわけです。宮崎さんは「メイだよ、メイ。」と言ってましたが、まさにそうで、子どもを知る手触り感がCGでは出てこない。なるほど、宮崎駿のアニメというのは、それぞれの登場人物の「個別」の動きの演出も兼ねているのだと思うと、これはものすごいことでないか、とやっと、この番組を見て、思った次第です。演劇ならば、それぞれの役者ならではの動きがあり、それが演出家の思うようになるところとならないところと、そのせめぎ合いが面白い共同作業のようなところがありますが、アニメの場合、絵は役者のように動いてくれないのだから、自分で動きをつける、それも、先に言った「毛虫のボロ」ならではの。これは凄いことです。
さて、番組を見入った二つ目の理由は、若手の方たちが、ある映像を宮崎さんに見せているシーンでした。それは頭がない、ゾンビのような、けれど、頭がないから、人間ではあり得ない、独特の動きをする生きものが動く映像でした。
宮崎さんはゾンビのような動きの画像を見て「非常に不愉快、いのちに対する冒涜」と怒りました。身近な知り合いに障がいを持った方がいて、ハイタッチをするのも難しい、とも言われました。画像を見ながら、そういう方たちのことが頭によぎるのは、やはり、本当に「動く」ということ一つがどれだけ大変か、宮崎さんがわかっているからでないかと思いました。「動くということ」を考え続けているから、「怒り」になるのでしょう。「絵」を「動かす」プロの宮崎さんにしてみれば、どれだけ障がいを持っている人が、「ハイタッチ」をするのに、一期一会のような動きをされるのかを、いつも切実に感じているのではと思いました。
というわけで、これまで漠然と宮崎駿作品を見ていましたが、この番組から、あらためて「絵」が「動く」ということの奥深さを感じた次第です。
「毛虫のボロ」の初めての「振り向く」動き、どんな風に、その「動き」から「初めての世界」を見つめるのか、興味津々でいます。


スーパームーンの日に~歌集『ラビッツ・ムーン』の月

2016-11-14 | 短歌
11/14、今夜はスーバームーンとのこと。月が一番大きく見える夜ですが、奈良は雨…残念。何でも今年は68年ぶりに、月と地球が大接近するとかで、そうなると余計に気になるのですが…。雨雲の上のスーパームーンの輝きを想像するのは、まさに「歌」の世界かもしれませんね。
5月に出版した私の第一歌集「ラビッツ・ムーン」。「月の兎」なんですが、こんなタイトルにしたのは、いくつか理由がありますが、今日はその理由の一つを。
まず、「月に兎がいるよ」と思える暮らしの方が楽しいなということからのタイトルであります。科学万能の今、現実、兎が月にいないことなど周知の事実。だからといって、本当に「兎」はいないのか。私たちには、兎を見ることのできる「想像力」があります。現実には存在しない「兎」を、お話にしたり、歌うことの出来る力。
10年ほど前、下の息子が小学校に上がったばかりのころ、自転車の荷台に載せて、二人乗りをよくしていました。そんな昔、月がきれいな晩秋に、荷台に幼子を乗せたお母さんが後ろから近づいてきました。そのお母さんは、荷台の子に「ほら、見て、大きなお月さん。うさぎが見えるかな。」とお話しながら、自転車で通り過ぎていきました。
荷台のお子さんは、大きくなってそのことを覚えているかどうかはわかりません。ただ、夜に光る月を見よう、兎がいるかもしれないよ、とお話を聞く暮らしというのは、何かしら豊かなものに育まれている、と思うのです。その「豊かさ」は、物量で計れるものではない。けれども、そんな「豊かさ」が「歌」や「言葉」を育むのではと思います。
「月」に人間が降り立った1969年、私は小さくて覚えてませんが、それは大ニュースだったことでしょう。もちろん、宇宙開発が、米ソの覇権争いの舞台であったとしても、月にまで人間を送ることのできる科学の力に、これまでとは違った熱狂があったことは想像できます。
この月面着陸に対して、かの白洲正子は「それが何か?」と言ったとか。我が師、歌人、前登志夫は評論集『山河慟哭』(さんがどうこく)の中でアポロ着陸の月をこう言っています。
~「月が鏡であったなら」という唄があったが、もともと月はみずから発光するものではなく、水のような光を反映するものにすぎない。その意味では、月はどこまでも象徴的なものといえよう。アポロの月という科学の対象としての月でなく、夜の闇や木の葉やせせらぎとの関連の中に息づく月であり、われわれの内部に存在する月である。むろん、人間が到着したアポロの月と別だというのではない。万有の変容の中で、月の光は少しも汚されることなくすこやかなのである。」

21世紀、デジタル時代になり、2007年、探査機「かぐや」の月の映像がハイビジョンで鮮明に映された時、それはまことの月の姿だけれども、全部が見えて明らかになることで、われらの「月」は違ったものになってしまったような気持ちになったのを思い出しました。技術はどんどん進化し、何もかもをさらけ出し、もっと月は何物かを見せてくれることでしょう。けれども、かの昔、異国の地で「天の原ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と詠んだ阿倍仲麻呂はじめ、「月」を歌った和歌が非常に多いことを、私たちは忘れてはならないと思います。1300年の和歌の月へのまなざし…。それがこれからの私たちにも「豊か」と思えるものになればいいのだけれど…と、歌の世界の端っこにいる者として願います。

最後に、歌集『ラビッツ・ムーン』の表紙の兎は、息子の友達が、小学生の時に描いたものです。この兎に、前先生の書かれた先の言葉、「万有の変容の中で、月の光は少しも汚されることなくすこやかなのである。」と声をかけたい私がいます。

『ラビッツ・ムーン』表紙原画




11/27 朗読劇「テイチクうたものがたり」

2016-11-09 | にぎわいの家・奈良関連
奈良町にぎわいの家から近い京終エリアにあった、レコード会社「テイチク」には、この近辺の方も沢山、お勤めされていました。昭和40年代に、入社されたというFさんが、このたびの朗読会を知り、テイチク関連の懐かしいものを持ってきて下さいました。にぎわいの家のフェイスブックに、スタッフがあげてくれたので、以下、紹介します。

「奈良町にぎわいの家・フェイスブックより」

11月27日は朗読劇「テイチクうたものがたり」を開催いたします。
たくさんの流行歌を発信していたテイチクレコード。
その本社がこの奈良町からほど近い南肘塚町にありました。
「テイチクで働いていたんです!」
「テイチク懐かしい!」
など、たくさんのお客様が声をかけて下さっています。
中でも、関係者の方が持って来てくださった、レコードの原盤にはびっくり!
テイチクの社歌のレコードも一緒に持って来てくださいました。
月曜日の朝、本社工場で歌ってらっしゃったそうです。
そんな資料も当日展示いたします。
懐かしい方も、テイチク知らなかった!という方もぜひ、ご来場ください。



 レコードの原盤!当日ご覧になれます。

ファッション誌『装苑』から

2016-11-03 | アート
文化の日。現憲法が公布された日ということを、案外、知らない人も多いかもしれないですね。とまれ、文化の日はよく晴れるとのこと。我が家の屋上から全方位で見える、文化の日の奈良の山の稜線は、まさに「大和しうるわし」。「文化」がこの風景のように、いつも側にあればいいなと思う、晴れた日。文化勲章の授与も行われましたが、なんといっても、草間弥生、87歳!赤い髪で文化勲章をつけて、前衛芸術家ならではの迫力でしたね。
さて、草間弥生のみならず、創作者として生き続けている、おばあ様たちが大好きです。なんといっても、103歳、美術家の篠田桃紅。この方の本、とても売れているそうですが、その言葉は毅然としてて、究極の「1人」いる姿だな、と感心します。甘えがない。この「私は私」は、現在蔓延している「空気をよむ」の対極にあります。学生のころ、映画監督、篠田正浩さんの従姉ということから知ったのが始まりでした。1人でたつ、大きな芸術の母です。
で、なぜタイトルのファッション誌『装苑』かというと、今年になってからなんとなく、表紙がお洒落で、定期購読を始めたのですが、これがあたりでした。『装苑』は、若者対象のやや尖ったファッション雑誌ですが、誌面のヴィジュアルデザインもさることながら、内容のセレクトの仕方が、アバンギャルドなにおいが、全体にあり、きれいなものと尖ったもののバランス感覚がよくて、思わず、見てしまいます。そうそう、小さいころ、服を作っていた母の近くに、『装苑』がありました。洋服の「型紙」(昔の言い方ですねえ…)があるのも、この雑誌の特徴で、うーん、作ってみたいなあ、そんなパターンが掲載されています。
毎回の連載の一つに、デザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドの活動の紹介があります。彼女はイギリスのデザイナーで75歳のキュートで反骨精神のあるおばあ様。百貨店でそのブランドをよく見かけるので、知っておられる方も多いでしょうね。さすがは大英帝国の迫力とエレガンス、そこに、ロックな反逆の精神も見られる、知的で行動的なデザイナーです。今月号は、『装苑』80周年ということで、このヴィヴィアンの言葉に、デザイナー、ポールスミス(こちろらは70歳)そして、一番「わぁ!」と嬉しかったのは、表紙が、イラストレーターの宇野亜喜良!寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」の舞台美術で私には印象的なイラストレーター。宇野さんは82歳!皆さん、若者ファッション誌『装苑』に、ものすごくぴったりなんです。芸術は世代を超える!
私の短歌の師、歌人、前登志夫は82歳でなくなりましたが、前先生にも、これら芸術家と同じ匂いがします。伝統と前衛と保守と反逆が混沌とある…そこから照らされる世界の豊暁なこと!…前先生の話はまた時間をかけてするとして…。
『装苑』の話を。今月の80周年の企画で、ヴィヴィアン・ウエストウッドはこんなことを書いています。「自分の感覚は自分で磨くことができます。本を読んでアートを学んで、そして興味のあることに取り組んで、自分のあるものを磨いていくことによって、本物の文化を生み出すことができるのですから。(中略)一着の服のデザインも、100を越える決断をしながら形つくられていきます。デザインとは存在するのに正当な理由がなければなりません。それができなければ、世界はその服を必要としないのです。」
そして、もうお一方のポール・スミス。こちらも有名なイギリスのデザイナー。ポール・スミスを着ている人も多いですよね。実は今年、全国でポール・スミス展が。関西では、京都国立近代美術館で6~7月に行われました。私はそれを知らなくて、ある日主人が、京都に行くことがあり「ポール・スミス展は面白かった。」。もう最終にかかっていて、私は行けず…無念でしたが、とにかく若い方が多く、自由に写真を撮ることができるので、大変盛り上がっていたとのこと。
そんな70、80代の芸術家、デザイナーの創作が、美や世界の成り立ちを、教えてくれます。翁、媼のパワーでございます。年月を重ねて、変わらないものと、成熟していくものを大事に持ちながら、年をとることの素敵を見せてくださる皆さんに拍手!と、そんな感性を知らせてくれる『装苑』にも拍手。
最後に、この『装苑80周年記念号』の「ART」に取り上げられていたのが、クリスチャン・ボルタンスキー!彼は、空間そのものを作品にする、それでいて祈るような、懐かしいような、死がそこにあるような、作品なんですが、東京都庭園美術館で開催中の展覧会の紹介がされてました。彼の展覧会を25年前に見てから、その名前だけは頭にあって、時々、その時のインスタレーションの写真を見たりしていましたが…うーん、関西ではしないのかな…。奈良でしてほしい!!懐かしい名前をカムバックしてくれた『装苑』は、時代のラインと物を創ることへの意欲に満ちた雑誌です。皆さん、是非、ご覧ください。

  『装苑12月号』 宇野亜喜良さんの表紙