ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

12/1小町座公演、後少し!

2019-11-27 | 小町座
いよいよ、この日曜日に本番を迎える小町座の二本立公演。小町座は母親たちの劇団として12年前に立ち上げ、メンバーも変わりながら続いていますが、今回は出演7名のうち、初舞台組が5名。時間をやりくりしながら、直前稽古に皆、必死です。力をぬいたり、計算しながらということができるほど、皆、器用でないので、1回1回が真剣で、本番までこれで走ると大丈夫?!と心配にもなります。けど、私がきついダメだしをするのでそれに応えようとすれば、力も抜けない…。きっと間際まで私は「違う、こうよ!」とうるさく言い、皆は最後まで、どうしたら?!と考えるのでしょう。この遠慮のない?!やりとりの中で確実に変わっていきます。よくなっていきます。
全国には沢山の劇団があります。大小あわせるとかなりの数になるはず。けれど、食べていける劇団、舞台人として生業をたてていける人はほん少し。もちろん、プロの舞台は完成度も高く、対価を払っただけの、舞台演出、装置、衣装、演技です。エンタメとして楽しめる流石の舞台、なのですが、いつの頃からか、「リアリティ」と「ポエジー」をプロが持っているかといえば、それは別の話かもしれないな、と思うようになりました。演劇は、舞台に立つその人の「背景」が、「セリフ」から透けて見えます。この役者さんがこのように「セリフ」を言うということは、この人の人物に対する捉え方は、この程度?など、というように見てしまうのは、演出しているからでしょうか。私は何の演出のメソッドもありませんが、書き手なので、「こう読んでほしい」という方へひたすら、皆をもっていきます。ところが、今回、まず形にすることに必死で、人物に対して丁寧に話していなかったので、ここに来て、出演者の「読み」がズレた方向にいっていました。10日前に「母帰る」の長女役の読みをガラっと変えました。一人を変えるとつきあう皆のキャラクターも変えなければならず、本番前になって、こんな状態…。ですが、切羽詰まると…本当に皆、すごいですね。先日は、今までとは違った通し稽古になりました。どこまで自分がいけるのか、探りながら必死の出演者…。いつも私は「こんなに怒ってダメだし厳しくても、最後、私の手の及ばないのが本番だから、最後はどうか伸び伸びと、自分を出して。」と言います。プロなら、これはあり得ないでしょうが。それでも、日々の暮らし中でセリフに向き合う、未完成な人たちの「セリフ」になぜ、こうもひかれるのでしょう。子どもが必死に走るのを応援している感じ?!そう、私たちは年をとっても子どものようにずっと、成長し続けられるのです。演劇を通して。
さて、今回、照明は、関西を中心に全国で多くの舞台をてがける、大川貴啓さん。大川さんとは昔、30年前、新神戸オリエンタル劇場がオープンした時のニューウェーブシアターの一貫で、私の作品を上演しましたが、その折の照明さんです。この夏、日本劇作家協会の全国大会で久々の再会を果たし、今回舞台のお願いとなりました。こうしたことが、おきるんですね。二十代に演劇に関わった人たちが、ずっと現場で頑張って、一線で活躍している…素晴らしいです。
おかげさまで、チケットも良い感じでうまってきましたが、まだ余裕もありますので、是非、日曜日、いらして下さい。(小さなホールのため事前予約をおすすめします。予約→komachiza.theater.com@gmail.com


奈良町にぎわいの家・「清水公照作品展」11/22~24 

2019-11-05 | にぎわいの家・奈良関連
奈良町にぎわいの家、正倉院展期間中でにぎわっています。さて、にぎわいの家では、現代アートから伝統美術まで、様々な展示を企画してします。「家」ですから、美術館のようにガラス越しの作品でなく、じかに作品を見られる空間となっています。毎年、この時期に、奈良ゆかりの美術作品を展示しますが、今回、3日間限定で「清水公照作品展」を開催します。東大寺の別当として、大仏殿昭和大修理を成し遂げた著名な僧侶ですが、書画、陶芸など、温かみのある独自の作風で多くの作品を創作され、多くの文化人とも親交がありました。その公照師の作品を間近に見られる3日間限定の展示です。(出品は地元のコレクターのご協力です。この方とのご縁も、オリジナル朗読劇「テイチクうたものがたり」を見て下さったことから始まりました。)
さて、にぎわいの家の私の役割は、事業企画、実施、制作ですが、広報の発行物のデザインもします。予算がないというのもありますが、企画のイメージを伝える時間より、自分で作った方が早い?!というのもあり、いろいろデザインします。
今回の展示リーフレットもしましたが、なんだか、かなり目立つのが出来、なかなか評判よいので、こちらにもアップします。
公照師は、大きな太陽と地面の土のイメージがあり、赤を使ってみました。
赤ちゃんという言葉の「赤」に通ずるような、まっすぐな赤いイメージで作ってみました。
公照師の天女の笑みは、まさにそんな感じです。以下、リーフレットです。
是非、3日間限定の特別展、奈良町にぎわいの家までどうぞ!



こちらはパンフのデザイン。


「エモい」?!~朗読劇「町家よ語れ」

2019-11-02 | にぎわいの家・奈良関連
10/22、奈良町にぎわいの家で上演した「町家よ語れ」。これは2年前、奈良町にぎわいの家、築100年を記念して、書き下ろした朗読劇で、オーディションをして参加型で作り、ならまちセンターホールで上演しました。その再演ですが、にぎわいの家のために書いた本なので、やっと、町家で「町家よ語れ」が上演できてほっとしています。出演は奈良町町家劇場の皆さん。いつものことながら、4回×2時間!の稽古で作ったとは思えない熱演。アンケートの声にそれが反映されています。アンケートには「町家が語る歴史が新鮮で輝いています。本当に声に耳を傾けてしまいます。いろいろな声をどうぞ、これからもすくい取って、観せて下さい。聴かせて下さい。楽しみにしています。」などなど…。皆さんのお声を聞かせていただけるのは、作り手冥利につきます、有り難いです。
さて、町劇の報告もあるのですが、今回のブログは「エモい」です。私は「エモい」を知りませんでした。ところが、町劇を見てくださった方がツイッターに感想をあげてくださっているのを発見、それは以下の内容でした。
「朗読劇「町家よ語れ」観劇。100年の歴史の町家で、人の命と暮らしと文化を感じる。いいなあ。全く、完全に、最も似つかわしくない言葉だけど、エモいなあ。」
これを読んで、「ん?!エモい…って?何?!」と調べてみますと…
「エモい」→「エモい」とは「エモーショナルな感じがする」ということであり、「感情に訴えかけて来るものがある」「心が動かされるようだ」「情緒を感じる」「趣がある」「グッとくる」というような説明しがたい感慨を述べる表現である。 「エモい」は英語の emotional(エモーショナル)に由来する省略表現である。」
とありました。要は、今の若者言葉なんですね。一つ、覚えた!と思っていたら、本日11/2の朝日新聞の書評欄に、なんとまた「エモい」を発見!
それは、作家のいとうせいこうさんの書評でした。『戦下の淡き光』(マイケル・オンダーチェ著)について書いておられました。こんな風にあります。「まさに成功者とは限らない「名もなき人」たちが少年の周囲にいて、彼の成長に影響を与える様もまた非常に「エモい」。」…なんとも、こんな風に表されていると、その「エモい」を感じたくて読みたくなります。(この一文だけではわかりませんが、全体の書評は大変優れたもので、単なる作品紹介でなく、まさに、いとうせいこうさんの「エモい」が湧き出ています…。)
というわけで…「エモい」という言葉を知りました。
これからも「エモいなあ!」とつぶやいていただける作品を書きたいと思います。

 町家よ語れ