昨日最終日、あわてて写真美術館まで。主人と息子が「入江泰吉の文楽人形の写真が面白い。」とのことで。
この展覧会は、森山大道「大阪」・入江泰吉「文楽」・百々俊二「大阪」とサブタイトルがあるように、三人の写真家ならではの「大阪」が感じられる写真展です。
入江泰吉は奈良の方ならよく知る写真家。森山大道は、関西出身の海外でも評価の高い、ちょっとアングラ?なメジャーな写真家。そして、百々俊二。私はこの方の写真を見たことがなかったのですが、今回、一番、ぐっと来ました。なんでも、昨年、写真美術館の館長になられたとのこと。(百々は「どど」と読みます。まさに、「どどーん」の作品!)
さて、その百々さんの作品、六十年代、七十年代の新世界の写真がありました。街の写真は、七十年代に子どもだった者としては、なんともリアルで、それは懐かしいとか、ノスタルジィとか、少しセンチメンタルな感情を呼ぶ、それとはまた異質のものです。存在がドーンとあり、この風景は今はもうないとしても、写真が生きもののように、そこにあるのです。
新世界界隈の人物をとった写真は、飲み屋で笑うおじさん、夜の商売のお姐さん、日々の労働の後の一杯、それを味わうおっちゃんたち。あのフォークのカリスマ、岡林信康の「山谷ブルース」に「♪今日の仕事はつらかった、後は焼酎をあおるだけ」とありますが、そんなぎりぎりの暮らしの顔なのに、まあなんとも良くて、その顔の写真の前にずーっと立っていました。
演劇をしているから、というわけではないてずが、30代後半くらいから、なんとなくいつも「見ていたい顔」に会いたいな、と思うようになりました。
それは、たまたま、20代の頃に手に入れた「バートン・ホームズ」の展覧会カタログにあった、昔の日本人の顔の写真を見てからでした。バートン・ホームズは、まだ写真がめずらしかった百年以上前、世界各地を回り、各地の名所や人物を撮影、これらの写真を見ながら各地を講演して、好評を博した写真家です。彼の写真の中に、大正時代初期の日本の風景と日本人の写真があり、牛をひいている人、薪を背負って坂を登る女の人、子守をする女の子など、たくさんの日本人の顔があります。これを見ながら、ふと、こういう顔に会いたい、見たい、と思うようになりました。そうしていたら、NHKで番組名は忘れましたが、そのころの日本の映像をカラー化した番組があり、それで車夫(だったと思いますが)仕事を終えて、一杯の蕎麦を食べる映像があり、食べながら見せるその男の人の素朴な「笑み」に、ああ、いいなあ、と。同時に、こんな顔は、今、どこにあるのだろうとも。
平たくいうと、これら昔の日本人の顔は、その人がその時にそのままの顔なわけで、現代の、マニュアル化された接客の顔とは全く違います。また、昔は「見られる」という意識もなかったでしょう。食べるために、黙々と目の前のことをして、糧を得るだけ。では、それで悲惨な顔をしているかというと、そうでない。
百々さんの写真もまさにそうで、新世界近辺の、おっちゃん、おばちゃんの「顔」は、生きているなあと思う顔でした。
哲学者の鷲田清一さんが、百々さんの写真に一文を寄せられたものが紹介されていて、そこには「おっとり」という言葉がありました。さすがは鷲田さんの言葉です。つまり、百々さんの写真の人物たちは、日々の暮らしに余裕がないけれども、確かにその顔は「おっとり」しているのです。
「おっとり」というのは、優雅で余裕がある言葉だなと思います。ぎりぎりに生きている人たちが、そんな味わいを持っている、そういう顔をして生きていたことは、実に素敵じゃないか、と思います。久々に見ていたい顔に会えて嬉しい限りの写真展でした。
あ、入江泰吉の文楽の写真も良かったですよ!良弁僧正の人形の顔のなんとも端正で静かな思索を感じる顔であることか。そして、すごかったのが、亡霊「お岩」の顔。
これは、すさまじい迫力、人形ならではの力ある形相です。
百々さんの写真の顔、文楽の人形の顔、百年前のバートン・ホームズが撮った、日本人の顔…。
私たちは「私」の顔をして、生きているのでしょうか。
(バートン・ホームズ コレクション カタログより)
この展覧会は、森山大道「大阪」・入江泰吉「文楽」・百々俊二「大阪」とサブタイトルがあるように、三人の写真家ならではの「大阪」が感じられる写真展です。
入江泰吉は奈良の方ならよく知る写真家。森山大道は、関西出身の海外でも評価の高い、ちょっとアングラ?なメジャーな写真家。そして、百々俊二。私はこの方の写真を見たことがなかったのですが、今回、一番、ぐっと来ました。なんでも、昨年、写真美術館の館長になられたとのこと。(百々は「どど」と読みます。まさに、「どどーん」の作品!)
さて、その百々さんの作品、六十年代、七十年代の新世界の写真がありました。街の写真は、七十年代に子どもだった者としては、なんともリアルで、それは懐かしいとか、ノスタルジィとか、少しセンチメンタルな感情を呼ぶ、それとはまた異質のものです。存在がドーンとあり、この風景は今はもうないとしても、写真が生きもののように、そこにあるのです。
新世界界隈の人物をとった写真は、飲み屋で笑うおじさん、夜の商売のお姐さん、日々の労働の後の一杯、それを味わうおっちゃんたち。あのフォークのカリスマ、岡林信康の「山谷ブルース」に「♪今日の仕事はつらかった、後は焼酎をあおるだけ」とありますが、そんなぎりぎりの暮らしの顔なのに、まあなんとも良くて、その顔の写真の前にずーっと立っていました。
演劇をしているから、というわけではないてずが、30代後半くらいから、なんとなくいつも「見ていたい顔」に会いたいな、と思うようになりました。
それは、たまたま、20代の頃に手に入れた「バートン・ホームズ」の展覧会カタログにあった、昔の日本人の顔の写真を見てからでした。バートン・ホームズは、まだ写真がめずらしかった百年以上前、世界各地を回り、各地の名所や人物を撮影、これらの写真を見ながら各地を講演して、好評を博した写真家です。彼の写真の中に、大正時代初期の日本の風景と日本人の写真があり、牛をひいている人、薪を背負って坂を登る女の人、子守をする女の子など、たくさんの日本人の顔があります。これを見ながら、ふと、こういう顔に会いたい、見たい、と思うようになりました。そうしていたら、NHKで番組名は忘れましたが、そのころの日本の映像をカラー化した番組があり、それで車夫(だったと思いますが)仕事を終えて、一杯の蕎麦を食べる映像があり、食べながら見せるその男の人の素朴な「笑み」に、ああ、いいなあ、と。同時に、こんな顔は、今、どこにあるのだろうとも。
平たくいうと、これら昔の日本人の顔は、その人がその時にそのままの顔なわけで、現代の、マニュアル化された接客の顔とは全く違います。また、昔は「見られる」という意識もなかったでしょう。食べるために、黙々と目の前のことをして、糧を得るだけ。では、それで悲惨な顔をしているかというと、そうでない。
百々さんの写真もまさにそうで、新世界近辺の、おっちゃん、おばちゃんの「顔」は、生きているなあと思う顔でした。
哲学者の鷲田清一さんが、百々さんの写真に一文を寄せられたものが紹介されていて、そこには「おっとり」という言葉がありました。さすがは鷲田さんの言葉です。つまり、百々さんの写真の人物たちは、日々の暮らしに余裕がないけれども、確かにその顔は「おっとり」しているのです。
「おっとり」というのは、優雅で余裕がある言葉だなと思います。ぎりぎりに生きている人たちが、そんな味わいを持っている、そういう顔をして生きていたことは、実に素敵じゃないか、と思います。久々に見ていたい顔に会えて嬉しい限りの写真展でした。
あ、入江泰吉の文楽の写真も良かったですよ!良弁僧正の人形の顔のなんとも端正で静かな思索を感じる顔であることか。そして、すごかったのが、亡霊「お岩」の顔。
これは、すさまじい迫力、人形ならではの力ある形相です。
百々さんの写真の顔、文楽の人形の顔、百年前のバートン・ホームズが撮った、日本人の顔…。
私たちは「私」の顔をして、生きているのでしょうか。
(バートン・ホームズ コレクション カタログより)