ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

はじめての短歌~奈良町にぎわいの家

2017-01-21 | 短歌
暦は大寒。暦通りの寒さが続きます。さて、今年の宮中での歌会始も終わりましたが、にぎわいの家では、ヤママユ編集委員の喜夛隆子さんを講師に、はじめての短歌、ということで、気楽に歌の世界を感じ、作歌してもらう会を開きました。にぎわいの家の離れは、十五人が丁度向かい合うのにいい空間で、お顔も声も近くに感じます。喜夛先生が作って下さったレジュメは、現代から万葉集までセレクトして下さり、皆で声に出して読み、先生に解説していただきました。一部、紹介すると、

なんとなく 今年はよい事あるごとし。 元旦の朝晴れて風無し   石川啄木

これは本当にわかりやすいですね。まるで今年の穏やかな正月元旦のようです。

大寒の朝のスプーンのひいやりとみどりごが飲むりんごの果汁    俵万智

まさに今、大寒の歌。このように身近に季節の感覚をとらえられるのも、短歌ならではかなと。

たのしみはまれに魚煮て児らがみなうましうましと言ひて食ふとき  橘曙覧(たちばなあけみ

江戸時代の歌ですが、なんとも実感がありますね。「まれに」魚を食べる、それはすごいご馳走で、子どもたちが「うましうまし」と食べる…。こうした動画のような生き生きとしたシーンが31文字で残っている…有り難いことですね。

霜柱立てる土より引きぬきし太き大根(おおね)の首のさみどり  喜夛隆子

冬の畑の情景が生き生きと。(喜夛先生の畑のお裾分けを私も時々いただきます!)
さて、我らの師、前登志夫の歌は三首紹介あり、その中でも「今」をきりとった歌として

何といふ初夢なるや人間の手に負へぬほどロボット生るる   前登志夫

ちょっと怖い歌ですね。詩人は既に未来の世界の現実を詠み込んでいます。優れた文学者は、予言者でもあり。

さて、短歌鑑賞に続き、次は実作体験を。前先生の歌より上句をお借りして、それに続けて下句を作っていただきました。一部ご紹介すると…。

草の上にわれの家族の集まりて
              ~笑顔はじける日だまりの中
              ~風を待ちつつ凧あげ準備
              ~おんごろの穴じっとみている  ※おんごろ…もぐら
              ~フィーバーせしは遠き日のこと
              ~花を見上げる空を見上げる

皆さん、なんとも素直に楽しく詠んでくれました。
さて、前先生の本歌は…

草の上にわれの家族の集まりて夏至の青梅積みあげしむかし

また4月に「はじめての短歌VOl.2」を企画しますので、どうぞご参加ください。












にぎわいのお正月

2017-01-12 | にぎわいの家・奈良関連
新学期も始まり、15日はとんど。お正月の余韻もひいて、いつもの暮らしのリズムに戻りつつ…。けれど、にぎわいの家では、1月いっぱい、お正月ムードでお客様をお迎えしています。まず、広い座敷には、カルタ、お手玉、福笑いを。外のスペースでは、独楽回し。蔵の展示は、皆さんに書いていただいた凧を飾っています。昨年も同じように1ヶ月、こうした昔遊びを用意していましたら、皆さん、とても盛り上がって遊んでくれました。ゲーム画面に向かっている子が当たり前に思っていますが、案外、こうした懐かしい遊びが身近にあれば、その場で楽しめるのだな、とアナログな遊びの力を感じたものです。
座敷のカルタは、犬棒カルタ。「犬も歩けば棒にあたる」などのことわざカルタです。おじいちゃん、おばあちゃんと遊ぶお子さんや、また日本語がお出来になるのか、外国の方も。お手玉は、ボランティアのおばあちゃまが作ってくださったかわいらしい手作り。これを若い女性がポーズして、インスタグラムにアップしている姿も。
蔵の凧は、地元の作家さん、中学の生徒さん、来館の皆さんが書いて下さった新年を祝う凧がつながっています。
そして、外では、独楽回し。この独楽回しは、大和高田からわざわざ来てくださる、コマ名人!の方がいて、丁寧に教えてくださり…。全く回せない方も、しばらく遊ぶと回せたり、老若男女、集って盛り上がっています。年を重ねた大きな子ども?!と、平成の子どもが一緒に独楽に興じるのは、なんとも素敵です。
私が子どもの頃は、町に境界がなく、どこでも、そう、他人の土地でも、空いているところでは、どこでも遊んだものです。道にチョークや炭で絵を描いたり、ケンケンパーをしたり、屋根にボールを放り上げたり…その屋根も人の家の屋根で…。けれど、怒られた記憶がありません。世界が区切られていなくて、どこでも子どもが遊べる場所だったのです。ヨソの子も家の子も、同じように誉めて叱る…。境界の無さが、人間関係にも反映されていたのかもしれません。
にぎわいの家は、その立派な建物を味わっていただくと同時に、こうした境界の無さを感じてもらえたらなと思います。訪れた方が、懐かしい遊びによって思わず笑ったり、話が弾んだり、教え教えられたりする…。皆さんが昔の遊びで良い顔をされているのは、とても嬉しいです。
お正月遊びコーナーは、1月末まで。何気に立ち寄って遊んで下さいね。(写真は奈良町にぎわいの家のフェイスブックより)

 蔵企画「凧でつながるお正月」  正面はご近所の書家、谷真理子さん作

 奈良市立伏見中学美術部の皆さんの作品

 独楽で遊ぼう!

 1/8大雨の中、餅つき体験!ついたお餅をぜんざいでいただきました。


年の初めに「ホビット」をみて

2017-01-04 | 映像
以前、知人に、映画「ロード・オブ・ザ・リング」が良かったと話したら、その前日譚にあたる「ホビット」三部作のDVDを貸してくれました。お正月休みということもあり、一気に見ました。本編の「ロード・オブ・ザ・リング」には及びませんが、ドラマの核心となる「指輪」を持っていた、ゴラムが私は好き?!というか、とても気にいっていて、そのゴラムも登場するので、楽しみに見ました。映画「「ロード・オブ・ザ・リング」は2001から2003にかけて公開された三部作で、当時大変な人気で見た方も多いはず。私はトールキンの「指輪物語」の映画版と知っていたけれど、当時は全く興味がありませんでした。それがたまたまテレビで放送された時、主人公の水先案内人として登場した、ゴラムに釘付けになりました。ゴラムは骨と皮ばかり。目ばかりがぎょろりとして、言うことはその場その場で真逆になります。このゴラムが、話しかける時、「いとしいしと」(愛しい人、のこと)と言います。彼は目の前の相手にも、指輪にもそう言うのですが、この「いとしいしと」、人の「ひ」を「し」と発音し表記するところは、訳がすごいのか、元々の言葉がすごいのかわかりませんが、「ゴラム」そのものの空気をなんとも良く表していて、このゴラムが話しかける相手に「いとしいしと」と言うのをを聞くと、面白くも悲しく、哀れで、ゴラムこそがなんだか「いとしいしと」に思えてきます。
ゴラムのルックスは、病的で醜く、子どもが見ると怖いでしょう。ただ、地下の洞窟で光のないところに、たった一人でいるゴラムの楽しみは、自分や物に語りかけることしかないし、その語りかけるものへ「いとしいしと」と言うのは、唯一の楽しい、生きた時間に思えてきます。小さく貧弱で愚かなゴラムが美しい指輪に「いとしいしと」と言うのは、なんとも詩的で胸がうたれるのです。
さて「ホビット」三部作は、指輪がメインでなく、自分の国を取り戻すための王の旅にホビットが同行し、その中で闇の勢力と対峙するという展開でわかりやすいものでした。物語の核は、力のない小さなホビットが、知恵とユーモアと普段の暮らしの感覚で、武力を上回る助けをするところ。小さなものたちが世界を救うという、物語の根幹のテーマはこの三部作でも、わかりやすく描かれていました。
原作のトールキンがこうした「小さなもの」やゴラムのような「醜いもの」に背負わせた、本当に魔法をおこす力とは何か、考えさせられます。すっかり忘れてしまった「指輪物語」を今年は再度しっかり読もうと思いました。優れたファンタジーは、夢物語でなく、私たちの今いる世界の本質を代弁してくれています。

 「ホビット」三部作