6/1、本日より、奈良町にぎわいの家は通常の開館となります。休館中に、案内版の追加や各部屋の説明など一新しました。コロナ対策をしながらですが、元々、当館は、玄関から奥の離れまで、開け放ち、町家を通り抜ける風の心地良い日も多いです。どうぞ、ゆっくりと、お気をつけてお越しください。
さて、この度のコロナウィルスに関しては、既に様々なところで今後の暮らしのスタイルや文化芸術に関して、様々な言葉が飛び交っています。演劇や舞台が一番、大変であったことは言うまでもありません。6月になり、公民館も開館し、小町座もいつも通りの稽古が再開できると思っていましたが、演劇や歌などはしばらく無理とのことでした。
こうした事態に文化芸術は必要ないのか?後回しにしていたら、文化芸術が滅びる、という意見も目にしました。どんな時も歌や物語、音楽、絵…はなくてはならない大切なものだし、緊急時であろうがなかろうが、その大切さと必要性は変わることはないと思います。実際、この度は家の中で過ごす時間が多かったので、映画を見たり、本を読んだりといった機会が増えた方も多いでしょう。
またここに来て、ようやく、文化芸術関係者への現実的な「補償」の話が出てきました。が、一方で、文化芸術分野が、職業の一つとして、他の産業に比べてどうかというと、携わるのは少数でしょう。また、一家庭人としては、まず衣食住を優先しますし、予算も一番大変な医療現場や社会インフラを支える人たちへ、と思います。それはそうとして、社会のシステムの中で、私たちが対価を払ってもなお、必要である、というところまで、文化芸術というジャンルが重きをなしているかといえば、やはり後回しになってしまう現実は否めません。
こういう言い方は、文化芸術が「産業」の一つであると述べているようなものですが、もちろん、そうでなければ、社会の基軸の一つにならないし、職業人が増えなければ、具体的な物言う力も持てないでしょう。けれども、「産業」でないところ、職業として文化芸術を背負わない、他の生業の人たちが、恒に文化芸術の現場に関わり、教育の中でも当たり前のように、小さい時から身近に文化芸術があれば、状況は変わってくるのでは?そんな風にも思います。これは、小さい時から才能を伸ばすために、一つの芸事に秀でたプロ、芸術で対価を稼ぐ、才能ある人を育てるということとは、全く違うところのものです。小さい時、同じ絵本を毎日読んでも全く飽きませんでしたが、そんな日々の延長に、様々なジャンルの芸術が「何気にある」。それが家で無理ならば、地域のどこかで、そう、家のように通える、芸術センター?!が身近にあれば、どれだけ楽しいでしょう。
個人的な見解ですが、何となく、一般の職業に比べ、芸術関連の職業となると、特別なイメージがあります。才能もいりますし、誰もがなれるわけでもなく確かに特別です。けれど、それも生業の一つなのですから、他の仕事と同じです。「仕事」というのは、それぞれの世界でそれぞれに苦労がある。どの仕事も社会の中で大事で役にたっている。「誰もがスターやアーティストになれる」わけではないし、なれなくても、別の世界や仕事に目を向けられるような、複眼を、逆に文化芸術は与えてくれると思うのです。もちろん、スターやアーティストに目が行きますし、多くの力をもらいますが、それを受け取る者の感性こそが実は主役ではないかと思います。素晴らしい表現に触れて、自分の生き方や考え方を深めたり、そんな大層なものでなくても、楽しかったり、心がおどったりして、自分の居場所や仕事や人間関係に、何かしら覇気や光をくれるということ。経済的余裕がなければ、文化芸術は味わえないのでなく、その担い手となる職業人としての芸術家を支えるためにも、受け手となる多くの様々な市井の人たちの文化的感性を育み耕す、大きな仕組みが必要ではないかと思います。新たな「家」のような場所が。
昨夜のNHKスペシャルは、コロナ下の各国の様子がレボートされていました。
ニューヨークの病院の医師がその大変さを伝えながらも「良いこともある。今日は一人退院した。この病院では、退院する時にビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」をかけるんだ。」そして映像には、ビートルズの歌が流れながら、退院する患者さんの様子が映りました。私はビートルズ贔屓なので…だからでもないですが、ジョージ・ハリソンのやさしい、明るい柔らかい陽差しのような声と曲は、閉じ込められているコロナ下の外に出られない人たちに、なんと優しく響くのだろうと…感動しながらテレビを見ていました。音楽の力。私にはこれが文化芸術の力と感じました。やはりビートルズはすごい!…となんだか結論が別の方向になりましたが…。けれどもまさに、おひさまの下に出られなくても、歌の中に太陽があるのです。ええ、本当に今こそ、「Here Comes The Sun!」
さて、この度のコロナウィルスに関しては、既に様々なところで今後の暮らしのスタイルや文化芸術に関して、様々な言葉が飛び交っています。演劇や舞台が一番、大変であったことは言うまでもありません。6月になり、公民館も開館し、小町座もいつも通りの稽古が再開できると思っていましたが、演劇や歌などはしばらく無理とのことでした。
こうした事態に文化芸術は必要ないのか?後回しにしていたら、文化芸術が滅びる、という意見も目にしました。どんな時も歌や物語、音楽、絵…はなくてはならない大切なものだし、緊急時であろうがなかろうが、その大切さと必要性は変わることはないと思います。実際、この度は家の中で過ごす時間が多かったので、映画を見たり、本を読んだりといった機会が増えた方も多いでしょう。
またここに来て、ようやく、文化芸術関係者への現実的な「補償」の話が出てきました。が、一方で、文化芸術分野が、職業の一つとして、他の産業に比べてどうかというと、携わるのは少数でしょう。また、一家庭人としては、まず衣食住を優先しますし、予算も一番大変な医療現場や社会インフラを支える人たちへ、と思います。それはそうとして、社会のシステムの中で、私たちが対価を払ってもなお、必要である、というところまで、文化芸術というジャンルが重きをなしているかといえば、やはり後回しになってしまう現実は否めません。
こういう言い方は、文化芸術が「産業」の一つであると述べているようなものですが、もちろん、そうでなければ、社会の基軸の一つにならないし、職業人が増えなければ、具体的な物言う力も持てないでしょう。けれども、「産業」でないところ、職業として文化芸術を背負わない、他の生業の人たちが、恒に文化芸術の現場に関わり、教育の中でも当たり前のように、小さい時から身近に文化芸術があれば、状況は変わってくるのでは?そんな風にも思います。これは、小さい時から才能を伸ばすために、一つの芸事に秀でたプロ、芸術で対価を稼ぐ、才能ある人を育てるということとは、全く違うところのものです。小さい時、同じ絵本を毎日読んでも全く飽きませんでしたが、そんな日々の延長に、様々なジャンルの芸術が「何気にある」。それが家で無理ならば、地域のどこかで、そう、家のように通える、芸術センター?!が身近にあれば、どれだけ楽しいでしょう。
個人的な見解ですが、何となく、一般の職業に比べ、芸術関連の職業となると、特別なイメージがあります。才能もいりますし、誰もがなれるわけでもなく確かに特別です。けれど、それも生業の一つなのですから、他の仕事と同じです。「仕事」というのは、それぞれの世界でそれぞれに苦労がある。どの仕事も社会の中で大事で役にたっている。「誰もがスターやアーティストになれる」わけではないし、なれなくても、別の世界や仕事に目を向けられるような、複眼を、逆に文化芸術は与えてくれると思うのです。もちろん、スターやアーティストに目が行きますし、多くの力をもらいますが、それを受け取る者の感性こそが実は主役ではないかと思います。素晴らしい表現に触れて、自分の生き方や考え方を深めたり、そんな大層なものでなくても、楽しかったり、心がおどったりして、自分の居場所や仕事や人間関係に、何かしら覇気や光をくれるということ。経済的余裕がなければ、文化芸術は味わえないのでなく、その担い手となる職業人としての芸術家を支えるためにも、受け手となる多くの様々な市井の人たちの文化的感性を育み耕す、大きな仕組みが必要ではないかと思います。新たな「家」のような場所が。
昨夜のNHKスペシャルは、コロナ下の各国の様子がレボートされていました。
ニューヨークの病院の医師がその大変さを伝えながらも「良いこともある。今日は一人退院した。この病院では、退院する時にビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」をかけるんだ。」そして映像には、ビートルズの歌が流れながら、退院する患者さんの様子が映りました。私はビートルズ贔屓なので…だからでもないですが、ジョージ・ハリソンのやさしい、明るい柔らかい陽差しのような声と曲は、閉じ込められているコロナ下の外に出られない人たちに、なんと優しく響くのだろうと…感動しながらテレビを見ていました。音楽の力。私にはこれが文化芸術の力と感じました。やはりビートルズはすごい!…となんだか結論が別の方向になりましたが…。けれどもまさに、おひさまの下に出られなくても、歌の中に太陽があるのです。ええ、本当に今こそ、「Here Comes The Sun!」