ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

10/11 演劇公演「ゲルニカ」鑑賞

2020-10-12 | 演劇
女優のキムラ緑子さんにご案内いただき、京都劇場で公演の「ゲルニカ」を鑑賞しました。コロナ対策がいわれたこの春から、全く観劇していなくて、今回、久々の観劇。良いものを見ました。「ゲルニカ」と聞くと、ピカソの大作、「ゲルニカ」を思い出しますが、お話はまさにその「ゲルニカ」に書かれた、スペインはバスク地方、ゲルニカの空襲までのドラマです。
①戯曲…スペイン内戦、フランコ将軍、第二次世界大戦、このあたりの流れがあらかじめ頭にあると、すぐに物語に入っていけるのですが、私と一緒に見た劇団メンバーは、始めのとっかかりが難しく、しかも歴史背景を細かく口にするスタイルなので、中々、芝居の中に入れなかったようです。導入の書き方は難しいなと感じましたが、とにかく、劇作家、長田育恵さんの筆力はたいしたものです。3時間の中に、歴史を書き込み、人間を書き込み、ドラマとして成立させた力量に拍手です。後、もう少し、台詞に「詩的な余白」があれば、絶品になると思います。長田さんには、昨年の劇作家協会の全国大会でご挨拶しましたが、今後も、良い作品を送り続けください。
②演出…さすが、日本を代表する演出家。何もかもピシッとあっていて、言うことありません。舞台には、あのマーク・ロスコの美術作品を思い出すような、手触り感のある壁が出現し、空間を構成していきますが、この質感が、バスク地方の「土」のイメージを想起させ、また映像やイメージや、とにかく使い方もうまければ、色合いも素晴らしい。音楽もメロディがなく、そこがフラメンコのリズムを象徴するかのようでもあり、ビジュアルと音は言うことありませんでした。最後、ピカソのゲルニカが私たちの前にドーンと迫ってきます。ここにきて、演出家がこのピカソの絵の怒り、戦争への怒りを私たちに、「さあ、どうする、どうするんだ私たちは!」と突きつけてくるような迫力でした。優れた演劇人たちが集まり、このような作品が出来るということ、日本はまだ大丈夫、まだ思考停止になっていない、と思わず唸っていました。
②キャスト…キムラ緑子さんは、旧体制、旧支配階級を象徴する、女主人、マリアを演じました。中々、複雑な役どころで、女として家を守るには弱く、神をただ信仰することで精神の均衡を何とか保っているかと思えば、最後、ゲルニカの運命(空襲)を決める怖ろしい決断においては、「神」の下僕ではなくなる、といったあたりの構図が、なんとも緻密に演じられていました。既に内部では爆発して破綻している精神を、表には出さず、押さえ込みつつも、「神」と対峙する時、逆にふと、本性が出てしまうような。個人的には、更に高貴な破滅?が見たかった気もしますが、緑子さんの佇まいと所作、例えば、嘆きながら下手に退場する時の前かがみな姿勢、にもマリアを感じました。とにかく、プロ中のプロ!演技、堪能しました。
さて、この芝居で最も輝いていたのは、主役のサラ、上白石萌歌さん。舞台では初めて拝見しましたが…ああ、参ったです。とにかく良かった。私の好みもありますが、まとっている空気がいつもまっさら。まっすぐ心地良い風が吹くような、そんな演技です。もちろん、サラという役柄の素直さ、ひたむきさ、懸命さが、彼女の性質に響いてのものでしょうが、お姉さんの上白石萌音さんもそうですけど、二人とも、不思議な透明感があり、何をしてもさわやかになるというのは、天性のものでしょうか。年をとったら、この透明度はどうなるんでしょう。うーん、見ていたい役者さんが増えました。
それと、サラ付の女中であり、実の母親である元ジプシー?役の石村みかさんにもひかれました。何かしら目が行く、雰囲気があります。
さて、男優陣ですが、女優陣と比べると、「演じている」人たちという枠で見てしまうようなところがありました。もっとご本人の雰囲気が前に出たら良かったのかな?皆さん、ものすごく上手いのです。ただ、熱演と「何かひかれる」というのは、また別で、何というか、きちんと演じられすぎているので、安心がすぎて中に入り込めない、といったような贅沢な不満?でしょうか。牧師さん役の方は、もっと変態?!にできるところをかなり押さえていましたが、役柄の自由度に関しては、これは演出の絡みもあるので、全体の中での位置づけもあり、難しいところです。
と、少し長く、なりましたが、良い作品でした。負けずに、頑張って書こう!と元気をもらいました。ブラボー!!

劇場ポスター

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