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丹後半島へ逃げた間人皇后

2018-04-14 14:13:04 | 74丹後半島に間人皇后を求めて

丹後半島に間人(たいざ)を訪ねました。

間人(たいざ)は、丹後半島の北にある美しい漁港です。

日本海の荒波の打ち寄せる間人(たいざ)の立岩(たていわ)。とても有名な岩場です。

立岩は玄武岩の柱状節理の岩場で、荒々しい岩肌が風にさらされていました。ここは、竹野川の河口です。竹野川は立岩にぶつかり、そっと日本海に注ぎ込みます。

河口が立岩に遮られているので、水は少しずつしか海に流れ出ることはできません。

この立岩の真正面に「母子像」が置かれています。

この母子像の前の石には「間人皇后」と刻まれています。

この砂浜の入り口にも碑が建てられていました。そこには、

第三十一代用明天皇の御后であり、聖徳太子の母君であらせられた穴穂部間人皇后は六世紀のおわりころ大和における蘇我物部の争乱をここ皇后の御領であった大浜の里に避けられた。やがて乱おさまり再び斑鳩の宮へ還幸される時、名残を惜しむ里人へ次の御歌を賜ったと伝えられている。

大浜の 里にむかしを とどめてし 間人邑と 世々に伝へん

 ふむふむ、日本海側の漁村に「間人」と云う漢字が用いられたのは、皇后伝承によるという、それを示す歌です。

 大浜の里を離れるに際して詠まれた皇后の歌は、三首あります。

大浜の あら潮風に 馴れし身の またも日嗣(ひつぎ)の ひかり見るかな

大浜の 里に昔を 留めてし 間人邑と 世々に伝へん

大浜に つとふみやこの ことの葉は 行く末栄ふ 人の間人

 間人皇后は「大浜の荒い潮風にも馴れた私ですが、宮に帰ればまたもや皇位継承の話を受けるのだろう」と思っているのです。

「この大浜の里に、昔の事を留めているという間人村という名を、長く世に伝えよう」

 「大浜に 集まった京の言葉は、いつまでも栄え残るであろう 人々の間で」

この三首には、物部蘇我の争乱の頃の古式の歌とは思えない、新しさがありますね。

この地に隠れた皇后は、穴穂部間人皇后でしょうか。それとも、わたしのいう孝徳帝の間人皇后でしょうか。

間人(たいざ)に残る伝承を探査します。

では、また明日。

 


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