22 藤白坂で涙した持統天皇・紀伊国行幸の9首目
この歌は、紀伊国行幸のクライマックス、藤白坂で詠まれたものです。「わが衣手は濡れにけるかも」有間皇子事件から四十年も経って、皇子の終焉の地で泣く人は誰ですか?
有間皇子に所縁の人以外にありません。従駕の者は有間皇子事件を話として知っている程度です。現場で過去に泣けるのは遺族でしょう。有間皇子の妻か、娘と考える以外ありません。
ここで、父(中大兄皇子)が殺した政敵(有間皇子)のために、わざわざ行幸をして霊魂を慰めたと考えるには無理があります。過去の事件に深く向き合い涙を流すのは、所縁の人以外にいないでしょう。どう思いますか?
1675 藤白の三坂を越ゆと白栲の我が衣手はぬれにけるかも
藤白の御坂を越える時、あの方の最後を思い出してどうしても涙を禁じえず、わたしの衣の袖はぬれてしまった。あの時の悲しみを忘れることはできない。
持統太上天皇に成り代わって、従駕の者は歌を詠みました。まるで御製歌のようです。
ここで命を落としたのは有間皇子だけではありません。優秀な忠臣も斬刑になりました。子どもたちの中で男子は助けられなかったでしょうね。
哀しい御坂です。持統天皇もここに立って涙を流したのですね。
また明日
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