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17 大宝元年・持統天皇と文武天皇の紀伊国行幸

2017-02-16 18:48:25 | 3持統天皇の紀伊国行幸

17 大宝元年辛丑冬十月持統天皇は孫を伴って紀伊国に行幸した!

紀伊の国の美しい風景は、いにしへの人の思いを今に伝えています。

この年は、特別な年でした。大宝と年号を建てた年であり、大宝律令が成った年でもありました。持統天皇が孫に譲位して五年目に、文武天皇を伴っての行幸でした

持統天皇は何を思って、孫を連れての旅に出たのでしょうか。

大宝元年(701)の「紀伊国行幸の歌十三首」は、既に紹介した「雄略天皇・舒明天皇・従駕した臣下の歌」と続く、あの巻九の意味深な編集に続く歌群なのです。また、巻一と巻九の編集には或る共通点があり、双方ともに「有間皇子事件を引き出すように編集されている」と述べてきました。まさに、その事を再び思い知らされる十三首なのです。

まず、巻九の冒頭歌を思い出してみましょう。既に紹介しています。

 

巻九の冒頭歌の三首は、愛する二人がある事情で引き離される歌でした。

1664 ゆうされば小掠の山に伏す鹿は今夜は鳴かずい寝にけらしも

(小掠の山に伏し隠れていた鹿は今夜は鳴かない。もう寝てしまったのだろうか、それとも)

1665 妹が為吾玉拾ふおきへなる玉寄せ持ち来おき津白波

(愛しい人のために玉を拾い、玉に願いを懸けたいのだ。沖の深い海の底から玉を寄せて持って来てくれ、沖の白波よ)

1666 朝霧にぬれにし衣干さずしてひとりか君が山道越ゆらむ

 (朝早くここへ来た貴方の衣は朝霧に濡れてしまった。その濡れた衣を干す間もなく、あなたはすぐに出発し一人で山道を越えて行くのだ。どうぞ、ご無事で)

 この後、大宝元年の十三首です。その冒頭歌1667番歌は、1665番歌にそっくりです。

巻一と巻九の冒頭は同じ方向を向いて編集され、十三首に集約するに到りました。一首目は、明らかに先の歌に連動しています。先の歌がかかわった事件に寄り添っているのです。その事件こそが、有間皇子事件だったのです。

 1667 妹が為我玉求む おきへなる白玉よせ来 おきつ白浪 

 

持統太上天皇は、十五歳で即位して五年目の文武天皇がいよいよ律令政治の新体制に入っていくその時期に、紀伊国行幸をしたのです。そこで、孫に伝えたいことがあったのです。

朱鳥四年(持統四年)の紀伊国行幸も、夫の草壁皇子を失った阿閇皇女を励ます意味がありました。そこでも、結松を詠んでいます。これから読む十三首にも「結松」が詠まれています。では、ご一緒に、持統天皇の最後の「紀伊国行幸」へ。翌年の十二月には、持統天皇崩御、なのです。

持統天皇はその最晩年に思い出の場所に行幸したのでしょう。最後の力を振り絞りながら。

では、また明日。

 


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