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レビュー(っぽいもの):叛鬼(伊東 潤 著)

2014年07月18日 21時30分37秒 | Weblog
大分前に読み終わっていたのだが、まーサーバーやらPCやらでトラブル続き、その他なんだかんだで時間が経つと読了後の熱と記憶が薄れてしまうため、余計書きそびれてしまっていた。


『峠越え』と同じ作者の本作、やはり現代に生きる人間にも非常にリアル感を持てる、ということは、苦味と切なさを伴った共感を呼び起こす作品となっている。特に今回は主人公とその人生がまさに現代のサラリーマンのそれであることから、人によってはもしかしたら読んでいて非常に複雑な気持ちになるかもしれない。

父親が地方企業の重役、本人も同じ組織でエリートと言われてきた主人公。そこに政略的によそから配置されてきた年下の若社長。ファーストコンタクトからもう「動物的レベルで」気にくわない同士の関係。つまるところそれがすべてのはじまりか。

順調に功績を上げつづけたことも逆に災いし、父親が病死すると社長の(意図的な)不備をカバーするための行為を越権ととがめられ、ポジション剥奪、裏には強欲な叔父の画策があった。

このまま社内に残れば生命さえ危うい状況、つてがあるのは会社と懇意にしてきたところばかり。逃げ場を失った主人公はやむなく部下たちと長年のライバル企業に。快く迎え入れられたものの、忠誠心を証明するため、すぐさま古巣を攻撃するプロジェクトの先頭に立つ主人公。プロジェクトは成功、だが失脚したのはにっくき若社長ではなく、身代わりになった関連会社の社長。さらにその(関連)会社の重役は、主人公が年の離れた兄とも慕い、切れ者と名高い男(ちなみにこれが太田道灌)であった。

宿敵となった「若社長」を狙った戦いは、「兄貴」の圧倒的な戦略・戦術、そして運によって失敗を続ける。周囲の評価は決して低くないものの、やがて単身赴任で僻地に追いやられる主人公、最後には部下とも別れ身分を隠し独り西へ…一方、「兄貴」はそのあまりの有能さを恐れた新社長によって失脚。

「中央」の体制が実質崩壊しつつあった時期、まして地方は「中央」のコントロールも充分効かず長年地元企業が覇権争いを続けてきた状況。地縁が強すぎて「独立系ベンチャー」など不可能な土地柄、主人公は企業連合・合併・分社・提携・提携解消を繰り返す世界でめぐるましく所属を変えつづける。あげくには、宿敵の君臨する古巣に頭を下げて戻ったり、実の息子と一騎打ちする羽目にさえなる。

そしてやがて宿敵の運も尽き、失脚。そこで主人公の胸に去来したものとは。
景春は己れの時代の終焉を実感した。同時に、あれだけ憎んだ男の死が、景春の心に、これほどの風穴を開けるとは思ってもみなかった。
ーわしの生涯は私怨によって支えられてきた。私怨がなければ、わしに生きる宛所はなかったのだ。

恥を忍んで生き延び、最後に生き残って、勝った。「勝負」には勝った。が、
ーしかし、わが生涯とは、いったい何であったのか。
 勝利の余韻から醒めた景春は自問した。四十有余年、関東平野を駆け回った末に手にしたものは、父祖から受け継いだ本領でしかなかった。
 私怨が景春を支えたとはいえ、結局、私怨だけで手にできた収穫は少なかった。

果たして「こだわり」は本当に主人公の原動力だったのか?それとも人生を狂わせつづける病巣に過ぎなかったのか?

そして、かつて「兄貴」が予見し、一度は主人公にその期待を寄せていたとおり、「より大きなビジョン」を持った者が一帯を支配してゆくことになる。






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