op's weblog

文字通りのログ。経験したことや考えたことの断片のアーカイブ。

ミッキー・ザ・ハンサム

2010年08月09日 00時38分38秒 | Weblog
一日曇りがちで湿度も高くなく、室内にいる分にはまあまあ快適な日だった。昼間からビール飲んでみるが、つまみなしで飲み始めて350mlの半分ほどで十分。おそろしく酒に弱くなったのに加え、一人で自宅だと緊張する要素がないので早く酒がまわるのだ。

HDDの空きを増やすため、録り溜めた中から、ミッキー・ローク主演もの二本観てみる。

『レスラー』と『ジョニー・ハンサム』ということで、つまりロークの人生を皮肉ったような組み合わせ。若い頃あんなにお目目パッチリだったとは。せいぜい『ナイン・ハーフ』以降の顔の印象が強かった。

『ジョニー・ハンサム』はまあ、取り立てて語るものもない作品。『レスラー』は確かにドキュメンタリー風味で、壮絶な話ではあるが、演出は控えめにしてある。コアなプロレスファンでなくとも結構知られている業界の実情が素材になっている。

印象に残ったのは、露出が増えて慣れてしまったロークの顔よりやはり尻かな。コスチュームで覆われていない部分、染めた金髪やベビーフェースらしく美しい逆三角形を保っている上半身とは対照的に、その筋肉を維持するために繰り返し注射針を突き立てられる尻は、年齢相応に肉が落ち、皮がたるみ始めていた。

余りにも本当らしくやりすぎて、脚本・演出面でのストーリーの深みやフックがなく平板な嫌いはある。つまりミッキー・ローク出すのでなければ、『60 minutes』のような本物のドキュメンタリーの方がよかっただろう。そういう意味では主人公達が好む“ちょっと古め(1980年代が全盛期)のロックスター”の久方ぶりの最新アルバム(出せただけまし?)のような映画だ。

しかし、惣菜売り場に立つときさえ、プロレスラーとしてのセルフアイデンティティが「本当の」自分のそれ、となってしまっていることに気づかない様子をはじめ、万国の中高年労働者諸氏、殊に日本の会社員などは現役組リタイヤ組ともに「号泣メーン!」の内容。あまりにも“リアル”過ぎて嫌がる向きも多いかも知れないが、うまく宣伝していたらもっとヒットしてもよかったコンテンツではある。「「24」の脳みそ筋肉版」というのはちょっとひどい表現かもしれないが、通じるものがある。


つくづく思い知らされるのは、

未来をつくりたいのなら「今のストーリー」なんかに触れない方がいい。忙しくてそんな暇ない、というのがベストだ。「今のストーリー」のほぼ全部は直近の過去の事実や世の中の気分のいち解釈以上のものではないからだ。それは自分で感じ取るべきもので、他人から与えられるものではない。それは一番不毛なこと。

ということだ。

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