次の巻が出る頃になってやっと書く。いつのまにか28巻にもなっていて、こんなに長くひとつの漫画と付き合ったことがないので、驚く。しかも作品の方は内容がダレないどころかますます濃密になってきて、最新である雑誌連載のほうを見るとそれがますます顕著である。スポーツ漫画を謳っていながら、スポーツそのものをしっかり追及することなく「情緒的な」ドラマに頼ってきた(実は「その」「スポーツ」は味付け程度の役割でしかない)過去の凡百の作品との差がいやでもわかってしまう状況になってしまった。
こんな作品がずっと続いてきたのは奇跡とさえ思えるが、もしかしたら読者層の高年齢化も含む読み手(漫画文化)の成熟、その一方で「ライトな」読者も脱落させない漫画にする技術、そしてなにより「うそが無い」ことの強さがものをいっているのだろう。
ストーリー上も新しいステージ入った一方、今春からの地上波アニメ化によってコンテンツとしてもステージがアップ?したことになるのだが、ネットでチラチラ目にするアニメ市場の様子から察するに、期待は大きいものの、なかなかチャレンジングな企画であることは間違いないだろう。その一方で、この「新しいスポーツ漫画作品」は、競技スポーツへの深い理解、ドメスティックな思考に囚われない視点など、スポーツ文化の成熟度が高い海外への展開に有利な要素が揃っている。あとはどうやって年少の視聴者を脱落させない番組にするか。製作陣の頑張りに期待したい。
で、肝心の28巻だが、準決勝の対神田戦、もしかしたら描き手も疲れてしまったのか、長い長い試合の終りはいつもの密度を上げてゆくパターンではなく、終わるべくして終わったという感じである。ここで印象的なのは主人公より、むしろ(この作品では珍しく「いかにも学校テニス的な」キャラクターである)神田の方だった。1セットビハインドから追いつき、土壇場で自分の鍛錬の成果をアドバンテージとして勝ちを得たことは、本来何も非難される点などない、どこから見ても100点満点、よくやったおめでとう、という内容だったはずだ。が、それでも神田は「攻めきらずに勝ってしまった」ことにどうしても後ろめたさを感じてしまうのである。
これは非常に議論を呼ぶ場面だ。テニスをはじめ、実際に競技スポーツに携わっている人たちの多くが否定的な意見を述べてもおかしくない。非常に重要な大会の準決勝、猛烈に競った総力戦、攻めきらなかったと言っても、このレベルでは「受け身」ではとても勝てないのだ。ここで「あのような美学」を持ち出すのは明らかに間違った判断だと、例えばブラッド・ギルバートなら即座に断言するだろう。
あえて言うなら、あれは向上心のなせる業などではなく、単純に悔しかったのだろう。「“ぽっと出の”天才」をねじ伏せられなかったことが、である。
そこからしばらくはヒロインのターン。この作品の「もう一つの強力な武器」全開。惚れさせられる(笑)表情や描写をしばらく堪能できる。(もしかしたらこういう魅力も、少なからず存在する「スポーツ嫌い」の漫画読みには敬遠される理由なのだろうなあ。悲しいことに。)
その間に男子決勝は「こだわりを今度は貫き通す」vs「やっておかなくてはならないことをきっちりやって終える」の闘い。こう書いた時点で余裕というか現在いる位置が見えてしまうので、そのような結果となる。
ところで、女子決勝の試合場面で、ヒロインがバックハンドスマッシュを打つコマがあるが、テニス経験が浅い人の中には本当にあんな風に打てるのかと疑問に思う人もいるかも知れない。が、あれは正しい。逆にああしないとしっかり打てないのだ。つまりコツがあるわけで、それについてはまた別に書くことにする。
ここまで書いてまだ巻の半分まで、おまけにこの巻の「キモ」はこのあとの主人公の葛藤と決断のプロセスであることも確かなのだが、これについては作品から何か読み取るというより「全部書いてあることそのまま」だ。
まあ、大人になるともーっとめんどくさい状態になったりするので、これはこれで勿論若者には大切なアドバイスだが、思わず遠い目になってしまう自分です…
こんな作品がずっと続いてきたのは奇跡とさえ思えるが、もしかしたら読者層の高年齢化も含む読み手(漫画文化)の成熟、その一方で「ライトな」読者も脱落させない漫画にする技術、そしてなにより「うそが無い」ことの強さがものをいっているのだろう。
ストーリー上も新しいステージ入った一方、今春からの地上波アニメ化によってコンテンツとしてもステージがアップ?したことになるのだが、ネットでチラチラ目にするアニメ市場の様子から察するに、期待は大きいものの、なかなかチャレンジングな企画であることは間違いないだろう。その一方で、この「新しいスポーツ漫画作品」は、競技スポーツへの深い理解、ドメスティックな思考に囚われない視点など、スポーツ文化の成熟度が高い海外への展開に有利な要素が揃っている。あとはどうやって年少の視聴者を脱落させない番組にするか。製作陣の頑張りに期待したい。
で、肝心の28巻だが、準決勝の対神田戦、もしかしたら描き手も疲れてしまったのか、長い長い試合の終りはいつもの密度を上げてゆくパターンではなく、終わるべくして終わったという感じである。ここで印象的なのは主人公より、むしろ(この作品では珍しく「いかにも学校テニス的な」キャラクターである)神田の方だった。1セットビハインドから追いつき、土壇場で自分の鍛錬の成果をアドバンテージとして勝ちを得たことは、本来何も非難される点などない、どこから見ても100点満点、よくやったおめでとう、という内容だったはずだ。が、それでも神田は「攻めきらずに勝ってしまった」ことにどうしても後ろめたさを感じてしまうのである。
これは非常に議論を呼ぶ場面だ。テニスをはじめ、実際に競技スポーツに携わっている人たちの多くが否定的な意見を述べてもおかしくない。非常に重要な大会の準決勝、猛烈に競った総力戦、攻めきらなかったと言っても、このレベルでは「受け身」ではとても勝てないのだ。ここで「あのような美学」を持ち出すのは明らかに間違った判断だと、例えばブラッド・ギルバートなら即座に断言するだろう。
あえて言うなら、あれは向上心のなせる業などではなく、単純に悔しかったのだろう。「“ぽっと出の”天才」をねじ伏せられなかったことが、である。
そこからしばらくはヒロインのターン。この作品の「もう一つの強力な武器」全開。惚れさせられる(笑)表情や描写をしばらく堪能できる。(もしかしたらこういう魅力も、少なからず存在する「スポーツ嫌い」の漫画読みには敬遠される理由なのだろうなあ。悲しいことに。)
その間に男子決勝は「こだわりを今度は貫き通す」vs「やっておかなくてはならないことをきっちりやって終える」の闘い。こう書いた時点で余裕というか現在いる位置が見えてしまうので、そのような結果となる。
ところで、女子決勝の試合場面で、ヒロインがバックハンドスマッシュを打つコマがあるが、テニス経験が浅い人の中には本当にあんな風に打てるのかと疑問に思う人もいるかも知れない。が、あれは正しい。逆にああしないとしっかり打てないのだ。つまりコツがあるわけで、それについてはまた別に書くことにする。
ここまで書いてまだ巻の半分まで、おまけにこの巻の「キモ」はこのあとの主人公の葛藤と決断のプロセスであることも確かなのだが、これについては作品から何か読み取るというより「全部書いてあることそのまま」だ。
「自分の本心を裏切り続けてると自分の本心がわからなくなってくるんだ」
「どこまで弱気なのが本心で どこまで強気なのが本心じゃないのか?」
「感じてることも考えていることも どれが本当なのか疑わしくなってくるんだ…」
「そんな状態が続くと 自分ではなにも判断できなくなってきて 心はいつも不安定になるから他人に流されるようになる」
まあ、大人になるともーっとめんどくさい状態になったりするので、これはこれで勿論若者には大切なアドバイスだが、思わず遠い目になってしまう自分です…
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