今日は、家族だけで密かに覚えていた・・心筋梗塞記念日。
そう・・、25年前の今日・・
愛するおとっちまが、心筋梗塞を発症した日。
あの時のこと、鮮明に覚えている。
おとっちまは、朝から具合がすぐれなくて、いつもは、クルマの運転大好きなのに、
車の運転をいやがって、ワタシがおとっちまの車を運転して、正絃社に乗せていった。
そのあと、私は、いやな感じがしながらも、出かけました・・・。
正絃社で仕事をしていた、おとっちまは、ピースあんぱんを食べたあと、胸やけがするといって、
知り合いのお医者さんのところに行くも・・救急車で、日赤病院に転送されたとのこと・・。
慌てて、病院に駆けつけるも・・・おとっちまは、ICUで、昏睡状態。
あの時も、ワタシは、ずっと、ずっと、おとっちまの手を握っていました。
「この手を伝わって、私の命をおとっちまに移してください」
付き添っている間じゅう、ずっと、そう祈っていました。
それから、24時間、48時間、72時間・・・おとっちまは、お医者様に「そこがヤマです。」と
言われた刻限を、次々のりきってくれました。
そのあと、体力が恢復するまで、手術はムリ、とのことで、4月まで、リハビリ生活。
毎日、かーちまと私が交代で病院に泊まりました。
危ない時もあって、何度、泣いたことか・・・。
4月になり、ようやく、20時間に及ぶ心臓バイパス手術。出血が止まらないため、夜中に再手術したりして、
もんもんとした一夜があけて、ようやく無菌室で、かーちまと、Sおねえちゃんと、3人で面会したおとっちまのカラダには、
クモの巣のように、コードやドレーンや機械がついていて、立ちくらみがしました。
けれども、心臓の鼓動に合わせて、ドレーンの中を行ったり来たりする真っ赤な血液には、力がみなぎっていました。
それから、24年と8カ月・・・本当に、あの時の私の命以上に、おとっちまは長生きしてくれました。
神様は、私の祈りをきいてくださったのかなと思います。
あの時、もっと祈っておけばよかったのかなとも思いますが、本当におとっちまはがんばってくれました。
その後も、十二指腸潰瘍、胸骨の癒着障害、大腿部の縫合崩れ、など様々なことがあって、半年後に退院するも、
家族は、「あと何年生きられるだろうか」と心配しました。
それから、毎年2月24日は、心筋梗塞記念日として、家族で大なり小なり・・おとっちまの生あることをお祝いしていました。
この写真は、退院して1年半後のお正月に撮ったモノ・・・。
バイパス手術の時の、40人分以上の輸血が、そのあとのC型肝炎を引き起こし、肝臓、腎臓、そして加齢により
どんどんカラダが弱っていくことになってしまいましたが、おとっちまは、作曲も続行したし、演奏も、指揮も、糸しめさえもしました。
昭和の時代を、モラトリアム、戦争、出家、創作、創立、普及・・、駆け抜けたおとっちまにとっては、
平成の時代は、家族とゆるりと過ごした時間だったと思います。
今年・・、おとっちまが、いないことはとても悲しくて、思い出すたび泣いているけれど、
がんばってくれたおとっちまに感謝の祈りを捧げます。