りんころりん  (野村倫子のブログ)

りんこ。の日常と、ちょっとした感動、面白かったこと。虹の橋にいる3猫コペル・コロン・まるこの生きた証を綴ります。

心筋梗塞記念日

2012年02月24日 | おとっちまとかーちま☆兄弟姉妹家族っていいな

今日は、家族だけで密かに覚えていた・・心筋梗塞記念日。
そう・・、25年前の今日・・
愛するおとっちまが、心筋梗塞を発症した日。
あの時のこと、鮮明に覚えている。

おとっちまは、朝から具合がすぐれなくて、いつもは、クルマの運転大好きなのに、
車の運転をいやがって、ワタシがおとっちまの車を運転して、正絃社に乗せていった。
そのあと、私は、いやな感じがしながらも、出かけました・・・。

正絃社で仕事をしていた、おとっちまは、ピースあんぱんを食べたあと、胸やけがするといって、

知り合いのお医者さんのところに行くも・・救急車で、日赤病院に転送されたとのこと・・。

慌てて、病院に駆けつけるも・・・おとっちまは、ICUで、昏睡状態。

あの時も、ワタシは、ずっと、ずっと、おとっちまの手を握っていました。

「この手を伝わって、私の命をおとっちまに移してください」
付き添っている間じゅう、ずっと、そう祈っていました。

それから、24時間、48時間、72時間・・・おとっちまは、お医者様に「そこがヤマです。」と
言われた刻限を、次々のりきってくれました。

そのあと、体力が恢復するまで、手術はムリ、とのことで、4月まで、リハビリ生活。
毎日、かーちまと私が交代で病院に泊まりました。
危ない時もあって、何度、泣いたことか・・・。

4月になり、ようやく、20時間に及ぶ心臓バイパス手術。出血が止まらないため、夜中に再手術したりして、
もんもんとした一夜があけて、ようやく無菌室で、かーちまと、Sおねえちゃんと、3人で面会したおとっちまのカラダには、
クモの巣のように、コードやドレーンや機械がついていて、立ちくらみがしました。
けれども、心臓の鼓動に合わせて、ドレーンの中を行ったり来たりする真っ赤な血液には、力がみなぎっていました。

それから、24年と8カ月・・・本当に、あの時の私の命以上に、おとっちまは長生きしてくれました。
神様は、私の祈りをきいてくださったのかなと思います。
あの時、もっと祈っておけばよかったのかなとも思いますが、本当におとっちまはがんばってくれました。

その後も、十二指腸潰瘍、胸骨の癒着障害、大腿部の縫合崩れ、など様々なことがあって、半年後に退院するも、
家族は、「あと何年生きられるだろうか」と心配しました。

それから、毎年2月24日は、心筋梗塞記念日として、家族で大なり小なり・・おとっちまの生あることをお祝いしていました。

この写真は、退院して1年半後のお正月に撮ったモノ・・・。

バイパス手術の時の、40人分以上の輸血が、そのあとのC型肝炎を引き起こし、肝臓、腎臓、そして加齢により
どんどんカラダが弱っていくことになってしまいましたが、おとっちまは、作曲も続行したし、演奏も、指揮も、糸しめさえもしました。
昭和の時代を、モラトリアム、戦争、出家、創作、創立、普及・・、駆け抜けたおとっちまにとっては、
平成の時代は、家族とゆるりと過ごした時間だったと思います。

今年・・、おとっちまが、いないことはとても悲しくて、思い出すたび泣いているけれど、

がんばってくれたおとっちまに感謝の祈りを捧げます。

コメント
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