震災記念日の前日、ふるさとは名残雪が降った
もう1年ですね。昨年のこの日、この時間に、何をやっていたか。長良川の堤防道路を車で走っていて地震かなという程度でした。数十分後家に帰りネットニュースで震度7.8と出ていました.大変なことになるなとテレビと両方見ていて、すぐ震度9まで行きました。それからの報道はひどいものでした。
後日ネットで見た市の地震計は震度2でした。後日いつも行く千円床屋の人に聞くと、「気持ちの悪い横揺れが長くつづきましたよ」と言いました。
昨年のこの頃、何をやっていたかは北海道ゴルフ連盟の掲示板に私の筆跡が残っています。大地震で大変なのに何をのんびりゴルフルールのことなんか・・とご批判があるかと思います。この頃ホームコースで所属するプライベートコンペAで、その前の年からルールの研修を皆でやっていて、ある項目で私達一部の者が主張する解釈が、一部の会員に受け入れられず、解説資料を作っていて確認のため掲示板で質問したのです。
その時掲示板に、ある女性の初心者が「ゴルフの始め方」を質問していて、誰も答えず1ヶ月以上棚ざらしになっていて、未熟ながら私が答えました。この女性の目にすぐ止り答礼されました。その文言が素晴らしいものでした。ご覧下さい。広告募集欄にあるでしょう月間アクセスが15万もあるサイトです。誰かがこの問答を見て寄付行動してくれたかな、と想像すると嬉しいですね。
この問答で初災後7日目の3月18日に、私は郵便局へ行き義援金1万円を日赤に振り込んだことが間接的に立証されますね。恥ずかしながら私にできることはこの程度だったのです。確定申告で寄付金を証拠になる書類があるもの21,000円をe-Taxで自動計算し、9,000円が控除額となりました。私の所得税は1割負担なので900円が戻ったことになります。一昨夜日赤は寄付金の募集期間延長を決めたとテレビが言っていました。
昨日10日の朝日”「生きる 東日本大震災1年、NO,7」先生、あのね。両親と姉を亡くした岩手県陸前高田市の熊谷海音(かのん)ちゃん(8)は昨年11月マラソン大会の途中で家族の声がきこえた、と小学校の「あのね帳」に書いた。こんな言葉が並ぶ、
「がんばれかのん」。ママの声です。「うちの分まで」。おねえさんの声です。「つなみにまけないおまえがまけるわけがない。おれたちの分までがんばれ」。パパの声がしました。「うち、がんばっているからおうえんおねがいね」。楽しかったけど、ちょっといま一人になったことがくやしいです。
ノートに先生は花丸をくれた。海音ちゃんは、走りながら、びくっ、ってなったよ、楽しそうに振り返る。ママはアップルパイが好きなのと教えてくれる。
秋ごろまでは両親について語らず、涙を見せることもなかった。祖母の熊谷隆子(70)は言う。
「トイレにこもって、ママのばかぁって、なんでいないんだ、って泣くようにもなって。少しづつ受け止めて、表現できるようになったのかもしれない」”
海音(かのん)ちゃんと祖母が長生きして、健やかに育ってほしいと目頭が熱くなる震災記念日です。