三寒四温だったが今日からからようやく春らしい天気になった。
昨年4月8日、ニ孫の高校入学式に爺も参列した。長孫の時も別の高校だったが行った。
昨年は大地震のまだ騒然とした余韻の中での入学式だった。式は型どおり開式の辞から始まり、ついで学校長式辞に進んで、壇上に立たれた校長は「今回の大地震の犠牲者と、児童と先生の7割近くが犠牲になった学校もあります。式辞の前に1分間の黙祷を皆で捧げたい」と発言され、司会者がそこで「全員起立」と号令があり、父兄保護者を含め総員が起立し黙祷を捧げた。
宮城県石巻市立大川小学校のことである。昨年の今頃はこれほどの大惨事とはまだ理解していなかった。
1年経って3月17日に他の学校を借りて卒業式が行われた。この報道はNHKの夜7時のニュースでも見た。
卒業式の模様を伝えた報道はどこかの新聞に、亡くなった児童にも卒業証書が渡され、遺族も参列した。その中の一人の遺族は震災当日不在で、助かった校長からの証書は貰いたくないと、児童の叔母が代行したと報じていた。
3月24日の朝日は、この校長(58)は31日をもって退職されると県教委が発表したと報じた。
「こどもたちのことを考え、落ち着いて授業を行えるようにするため」、一方で「最後の一人が見つかるまでの思いも強く、ずっと悩んでいた」ということだ。
遺族の一人は「校長は惨事の一番の責任者。辞めた後も遺族の前に足を運んで説明する義務がある。原因究明に協力して」とある。
退職は残念なことである。そのまま校長をつづけて教育と今後の避難対策を立てるなどをしてもらいたかったが、遺族感情や非難が校長一人に集中し、いたたまれなかったのであろう。
こどもと一緒に死んだ方が益しだったと思われたのではないか。
これからも苦難の人生でお気の毒でならない。魔女狩りはやめるべきではないか。
ネットで見ても各論百出の有様だ。
一方で「津波てんでこ」で難を最小限で済んだ学校もある。これからの学校の緊急避難の有り方を日本中が学校や家庭、地域、行政を含めて取り組むべき課題でしょう。
今日、東電の柏崎刈羽原発が検査で発電停止した。国内の54基中5月には全基停まる。
今後の原発のあり方を、特に使用済み核燃料の勉強をネットでした。六ヶ所村の再処理工場の前まで見に行ったこともある。
政治家河野太郎氏など原発事故が起こる前から、よく勉強し活動しておられた。原子力政策が腐る瞬間、使用済み核燃料で原発がとまる など氏のブログ「ごまめの歯ぎしり」は歯切れがいい。
使用済み核燃料の問題点を分りやすく解説しておられる。事故が起こる前2009年のビデオであることが値打ちがある。(約11分)
福島第一原発3号機は毒性の強いプルサーマル発電だったこと知っていましたか。
日本政府は隠蔽体質と外国はみていると「ミラノはミラノ」氏が指摘されていたのでコメントした。