倶会一処 くえいっしょ 一つ処で倶に会う(阿弥陀経)
お彼岸のお中日は暖かなお彼岸日和、墓参日和であった。夜は仏教講座となった。
第93回 仏教講座 『生きるってどういうこと」 真宗大谷派・岐阜別院 少し寒いが3月から本堂に石油ストーブ、仏壇の打敷(うつしき)は満開の老い桜と春らしきしつらえだった。
演題 「後悔と愚痴」 講師 三島 多聞 氏 高山市 真蓮寺住職
講師は真宗大谷派宗門の最高議決機関の宗議会議員を兼務の重鎮である。宗派の機関紙『同朋新聞」のコラムも担当されたことがあって、宗派では全国的に名が通っている。お話しを聞くのは初めてだった。
壇上に立たれて既視感(デジャヴュ)があるなと思ったら、ドラえもんかアンパンマンのイメージだった。
先生からの予告メッセージは『私の友人が二年前、すい臓がんで亡くなった。余命半年と告知された彼は私を呼んで言った。「私の人生は後悔ばかりだった、私の人生は何だったのだ」と。仏教的に言えば、彼の言い分は愚痴である。だからといって、死期迫った彼に、「それは愚痴だ」ともいえず・・。彼の死期を通して「後悔の意味」を学んだことをお話ししたい』
講話の始めに講師は講演・座談の名手と伝わった。間の取り方、手振り身振り大きい動き、板書が堂に入っている。落語の名人の趣がある。
「立命」(りつめい)とは 人が天から与えられた本性をきずつけないように、完全に守り通すこと(辞書)である。安心立命という。この安心(仏教ではアンジンという)がないから、立命できないのである。立命という名の大学もある。
幼稚園から高校まで同級であった彼は、余命半年どころか、末期を迎えて少し頭がおかしくなったか、変なことを口走るようになった。
奥さんが心配して、「三島君に会いたい」とつぶやくので、一度見舞ってくれと頼まれる。
最初の見舞いが、予告メッセージの彼の愚痴だった。病室で長居はせず「後悔あっての人生だ」と別れた。2~3日してまた行った。
二度目の見舞いで彼は「俺は仏教を学んでいない。お前はいいなお寺に生まれて・・」と言った。そこで用意して行った「歎異抄」を読め、1条から9条までが親鸞聖人の直伝・口伝である。黙読するな、頭で理解してしまうので声に出して読め、解説書は要らないと渡してきた。
三度目の見舞いでは、彼は愚痴めいたことは全く話さなくなった。「ここを生きては出られんな」、「お前は奥さん亡くしたがその後どうか・・」と言った。そして出口へ向かおうとした私に彼は鞄から歎異抄を出して、これこれ・・というふうに振ってみせた。
二人で抱き合った、ハグした。「お前はよう肉がついとるな、生きてることはこういうことか」と彼は言った。
仏智うたがう 罪ふかし この心 おもい知るならば 仏智の不思議を たのむべし 悔ゆる心をむねとして (親鸞聖人 和讃)
生計を立てる、生業(なりわい)を立てる、小さい後悔の連続である。後悔あるからこそ人生だ。
親鸞聖人750回ご遠忌テーマ「今、いのちが私を生きている」 普段私達は、「私が私のいのちを生きている」と、いのちを私物化している。
1、いのちは一回しかない。
2、いのちは終わりがある。
3、代理不可(誰かに代わってもらえない)。
4、不確定(終わりがいつやってくるか分らない)。
この4つをどこで知るか。わが身の体で知ることになる。老い、病気、わが身の事実において人間はこの4つを知る。
昔はこころのままに随いし 今はこころを我(:わが身)に随え
ひと日ひと日 大切に生きんと思いしは 足萎えし 三年前のこと
之にしありて この夜の寒さに はらわたに 聖(ひじり)のことば しみとおりつ
老いる身を持っていることだけがナマンダブに遇える、親鸞に遇える道なのだ・・仏法は身で聞け、味は心で味わえ・・という講話だった。歌の作者は聞き逃した。
講演時間は午後6:45~8:15 1時間半を10分早く8時に「だらだら話しても、しゃないので」と、すきっと切り上げられた。質問も1問だけでさっさと司会者を無視して終えられた。
ひろ さちや先生の講演を犬山の寂光院で何度も聞いた。先生も講演の名人だが三島先生も劣らずだ。ひろ先生の講演料はウン十万~ウン百万だろう。三島先生は宗派の重鎮、足代ほどかと要らざる推側をした。故郷の先生なので飛騨弁まじりが懐かしかった。