せせらぎ街道の谷 雪解け水が流れていた
年末の12月27日朝日「がんと向き合う6冊」寄稿 歌人・細胞生物学者 永田和宏さん推薦の1冊
図書館の本 「紅梅」 津村節子 文芸春秋 2011.7刊
帯から)吉村昭との最期の日々、がんに冒され、徐々に衰弱していった「夫」は自らの死を強く意識するようになる---一年半にわたる吉村氏の闘病と死を、妻と作家の両方の目から見つめ、全身全霊をこめて純文学に昇華させた衝撃作---
吉村氏は21歳の時、肺結核で喀血し、胸郭成型手術を局所麻酔で肋骨数本を取る前歴がある。2005.2月に舌の痛みで舌癌を疑う。文学取材で懇意な関係にあった医科大学の教授から紹介された加藤教授に連絡を取り、終末までこの教授のお世話になる。
舌癌治療を受けてから一年後、すい臓がんが見つかり、亡くなるまで1年半の記録を小説体で書かれた本だった。
永田氏のような高尚な感想文は書けないので、作家同士という家庭はどんな様子なのか興味があった。お手伝いが二人、死後の経済について遺書の一部で触れている。妻が無収入となった場合年間7百万の赤字と計算している。これは確定申告した税理士の計算した額と書かれていた。
吉村氏は最後に「もう、死ぬ」と言って、胸に埋め込んだカテーテルポートを引き抜いてしまうのであった。
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母が入院した初めての夜にナースさんに「補助ベッド一つ貸して下さい」と頼んだ。快く応じてもらい、今度行ったときもそのままに片隅に折り畳んで置いてあった。コタツでブログに熱中するので腰の筋肉を捻ったのか鈍痛があり、病室の椅子に掛けておれず補助ベッドを広げて横になって本を読んだ。ナースさんが通る度迷惑だった。
同伴した姉は孫娘から借りてきた文庫本、漱石の「こころ」と、県図書の廃棄本、曽野綾子の何か単行本を読んでいた。県図書の廃棄本は日時を限って、ここ遠方の地でも貰ってこれるらしいが、足がないので誰かに連れて行って貰わないと・・と嘆いていた。
また、83歳の姉は「小説というのはあっちへ行ったり、こっちへ来たり面倒くさいなァ」と、感想を述べながら読んでいた。ほんとそのとおりで、この本も上質の織物を丁寧に紡ぐような筆致で、純文学として純化されているせいか、短気者には初めから読み飽ぐ感じで、感動する場面もなく無理して読んだ。