今日は朝から快晴ながら寒い日です。溜まっていた洗濯をした。
昨日の午前中は雨模様だったが午後は暖かく晴れてきたので、介護付き有料老人ホームへ入っている義母を年内に一度見舞がてら、最初に日本ラインGC練習場の打ちっ放しへ行った。
その後亡妻の実家へ在所が贈ってくれたリンゴのお裾分けに寄った。
広い家に義弟が一人住まいで、幸い在宅していたので玄関先でお暇した。
老人ホームは何度も行っているが、駐車場でご婦人が手を挙げて車を停めたので、窓を開けると「この辺に〇〇館という老人ホームがあると聞いてきたのですがどこでしょうか」と聞かれた。「〇〇館ならここがそうです。ほら正面が玄関です」と妙な問答をした。
それらしい新しい建物であるが、T字配置でいろいろな介護ブースがあるので、どこが老人ホームの玄関なのか、初めての人はまごつくらしい。
玄関を入るとスリッパに履き替え、入館者名簿に目的居室の番号と、来館者の名、収容者との縁、時刻を書くことになっている。時刻が分からずドアを中に入って事務所をのぞき込み時計を眺めて、また外へ出て時刻を書き込んでいたら、職員さんが出て来て目の前にあったデジタル時計を教えていただいた。小さすぎて目に入らなかった。
エレベーターで2階に上がる。階段はない、危ないから階段は作ってない。収容者が2階からボタンを押して勝手に降りられないよう、ボタンを押してもドアは開かない作りになっている。見舞客も職員に頼まないとボタン操作ができない。
2階を入ると食堂、娯楽室兼用のホール、廊下などが一体になっている。
いつ行っても何人もの車椅子に乗った無表情な老人が、休んでいたりテレビを見ていたりしている。会話をしている人は見たことがない。
義母の部屋に入ると車椅子に乗り、ボケっとベッドのそばで窓の外を見ていた。認識はしっかりしていた。片方の足が壊死して大腿部から切断し、病院にいた頃はボケていてトンチカンなことを喋ったが、ここに入れて頂いた頃から認知症は出ていない。
いつ行っても「早くお爺さんに迎えに来てほしい、忘れてしまったのか」と、死にたいと愚痴る。年末にはひ孫二人を連れて、東京から孫が帰省すると義弟が言っていたが、見舞いに来てくれるだろうと楽しみにしていた。
車椅子を押して部屋の外へ出て、ホールや廊下を散策した。少しの時間しかいなったし、食べるものは持って行かなかった。また部屋に戻って夕食の5時まで待つというので、部屋に置いて辞去した。まだ3時半だった。
まもなく96歳になると言っていた。90歳代後半真珠湾攻撃の頃の生き残りが、テレビに映される。義母も同じで満州旅順の警察官だった夫の元へ嫁ぎ、3人の子を現地で出産し苦労して引き揚げてきた。