優雅にコーンパイプ(トウモロコシの殻)をくわえて厚木基地に降りたつマッカーサー元帥の姿からは、想像もつかない歴史的事実があった。昨日のテレビ朝日「ザ・スクープスペシャル終戦企画 緑十字機 決死の飛行 誰も知らない空白の7日間」を観た。はじめて知る隠れた歴史秘話で大変いい番組だった。再放送を望む。(以下はテレ朝のサイトの引用です) ”日本で終戦記念日とされる8月15日。しかし、それはあくまでポツダム宣言受諾を国民に知らせる玉音放送が放送された日であって、太平洋戦争が終わったわけではなかった。 実は、日本の存続に関わる本当の危機は8月16日から始まる。 対応を誤れば、再びアメリカと交戦状態となり、ソ連の北海道侵攻を招きかねなかった。 真の終戦に導いた“太平洋戦争ラストミッション”、それは戦争を1日も早く終結させるための生きて帰る保証が全くない旅。“平和の白い鳩”緑十字機の決死の飛行だった。・・・(以下略) 夜は同局映画「日本のいちばん長い日」も観た。この映画は劇場でも観たがいい映画です。 同、昨日8月14日朝日新聞、書評ページ、「次の戦争を起こさない責任」歴史に学ぶ 作家・赤川次郎氏の次の一文が目を引いた。 ”・・残念なことに、第二次世界大戦に関わった国の中で、日本は今も侵略や虐殺の事実を認めようとしない人々が国の中枢部に多くいる「特殊な国である」・・”
正午には戦没者追悼式に合わせ、静かに頭を垂れ黙とうしましょう。
もう大分前、市立図書館の廃棄本・寄贈本棚から貰ってきた本 「日本の戦歴」編者:発行者:毎日新聞社 昭和42年4月刊 ・・この写真集は、報道カメラマンの血と汗と涙の結晶である・・。(あとがきより)
巻末に昭和6年9月18日 柳條橋事件おこる(満州事変の発端)から20年8月15日終戦までの、15年間の日本の戦争の年表が載せてある。
不許可の写真や虐殺などの悲惨な写真は少ない。下↓ ”昭和13年6月、カラカラに乾ききった土手を負傷した戦友を背負って兵隊は駆け下りてきた 徐州攻略戦だった”
下↓ ”昭和16年4月19日 海南島へ日本軍は上陸した その中心都市・海口では気がとおくなるほど多数の中国兵が捕虜になった 中には少年兵もいた”
最終ページの写真 昭和20年夏 長崎天主堂
・・戦陣に死し職域に殉じ非命に斃れたる者及びその遺族に想いを致せば五内為に裂く 且(かつ)戦傷を負い災禍を蒙り家業を失いたる者の厚生に至りては 朕の深く軫念(しんねん:よこぎるの意)する所なり 惟(おも)うに今後の帝国の受くべき苦難は 固より尋常にあらず 爾臣民(なんじしんみん)の衷情も朕善く之を知る 然れども朕は時運の趨(おもむ)く所 堪えがたきを堪え 忍び難きを忍び 以って万世の為に太平を開かんと欲す・・(終戦詔勅・当方の現代文読み下し)
終戦の詔勅 (玉音放送) VIDEO
天皇陛下「お気持ち」表明 ビデオメッセージで公開(16/08/08) VIDEO