夢中人

sura@cosmic_a

情報機関

2010年11月30日 | Weblog
インテリジェンス(情報)は、国家の運命を担う政治指導者が舵を定めるための羅針盤である。
その「情報」は、「インフォメーション」ではなく「インテリジェンス」でなければいけない。
「インテリジェンス」は「精査し、裏を取り、周到な分析を加えた情報」。
上っ面の事実を知っているだけでは、単なる「インフォメーション」。情報としての生命力は宿っていない。
事前に決定的な情報を分析し、国家の舵取りに役に立つような形で報告されなければ、インテリジェンスとしての価値はない。

「インテリジェンス 武器なき戦争 著者・手嶋龍一+佐藤 優」の序章に書いてありました。
こういう情報収集をやっているのは、外務省なんだろうなぁと思っていたら、
「日本の外務省は、インテリジェンスを行なう組織ではなかった」と、ありました。
さらに、「インテリジェンスが」ないために、とんでもない素人外交があると。
「そもそも、専門の対外情報機関という「器」がないところでは、本当のインテリジェンス活動などできません」と、いうことです。

「本物のインテリジェンス・オフィサーは、表の世界に出てきたりしません」とあったのですが、
それはつまり、時代劇「水戸黄門」でいうところの、「風車のやしち」や、「鬼平犯科帳」でいうところの「おまさ」的な存在なんだろうなぁと想像しました。
風車のやしちは、「忍者」。「おまさ」は「密偵」。
つまりスパイ。。。てことは、昔は本物のインテリジェンス・オフィサーが日本にいたということでしょうか。
時代劇の話をしていますが、「忍者」は本当にいたんですよね。
よく、お話の中では、悪代官と越後屋の密会を、屋根裏の小さな穴から覗きながらその話を聞き取っていて、
忍者が、ちょっとしくじってミシッと音を立ててしまうんですよ。そしたら悪代官が「ねずみがいるぞっ!」と言って槍を天井にグサッグサッと刺すんですけど、
ギリギリセーフで忍者にはあたらないんですよ。それで悪代官は「勘違いであったか・・・」となるワケです。
このお話の流れからすると、インテリジェンス・オフィサーは、言い方はすごく悪いですが「ねずみ」となるワケですね。
でも、外務省というところのイメージは「孔雀」。なんか華やかなイメージがある。「表」と「裏」だったら「表」。
ということは、やはり、「日本の外務省は、インテリジェンスを行なう組織ではなかった」というのは、その通りなのでしょうか。
「日本の外務省には国際スタンダードでのインテリジェンスを支える基礎となる文化がないことが判明したんです」ともありました。

インテリジェンス・オフィサーは、国家からお金をもらい、国家のために極秘の集める。
ジャーナリストは、一般からお賽銭を頂戴して、その情報を還元する。

本の中に「リヒャルド・ゾルゲ」の事が書かれてあったんですよ。それを読んでいたら「スパイ・ゾルゲ」がみたくなったので、みてみました。
感想は別に書きたいなと思っているんですけど、でも、一つだけ印象に残ってる場面があって、それは、ゾルゲが囚われの身になったんですけど、
その時に、「私のバイブルは聖書ではなくて『資本論』だ」と言ったんですよ。
今のところ、その意味はわからないんですけど、佐藤 優さんの別の本に、「私は国家というテーマを扱うときに、原理的に相異なる二つの
アプローチをとっている」とあって、その一つのアプローチが「資本主義社会の論理を徹底的に解明することによって、社会に包摂されない部分から逆説的に
国家の内在的論理をつかむという手法である。ここではマルクスの「資本論」の言説が大きな意味をもつ」とあったのを思い出しました。
「包摂」①ある範囲の中に包み入れること。②倫理学で、ある概念をより一般的な概念の中に包み込むこと。
「社会に包摂されない部分から」って例えばどんなのだろう。
「国家論」というのは、目次をみていると、「資本論」もそうみたいだし、「宗教」というのもかかわってくるみたいですね。
ゾルゲが言った「私のバイブルは『資本論』だ」という言葉が妙に残っている。ということは、そういう人達がいるということなんだろうなと思った。
今回、初めて知った。ていうか、インテリジェンスのことなんて、今まで気にしたことなかったかも。
外国にはそういう組織があるんだなぁと思っていたくらいで、日本の情報機関なんて考えていなかった。
「インテリジェンス能力は当該国家の国力から大きく乖離しない」とありました。日本のインテリジェンス能力は(GDP)国内総生産と同じ潜在能力を
持っているが、日本ではその情報があちこちにあって機動的に使われていないということなんですね。
その日本のあちこちにころがっている情報を日本の国益にために使わなければいけないんですね。

ちなみに「スパイ・ゾルゲ」なんですけど、「龍馬伝」の最終回をみて、次に「坂の上の雲」をみて、そして「スパイゾルゲ」をみたんですよ。
「坂の上の雲」と「スパイ・ゾルゲ」の間が少しとんでると思うんですけど、歴史の流れに沿っていたようです。
龍馬は、「みんな」と言っていたんですけど、それは民主主義を望んでいたのかな。
それと、岩崎弥太郎に、「その金で、会社をつくって、みんなを幸せにしてくれ」と言っていた。それは資本主義ということかな。

「スパイ・ゾルゲ」は、いい映画だった。その当時の日本の風景がリアルに映し出されてあったと思う。帝国ホテルの当時の姿もあったりした。
しかし、なぜ「リヒャルド・ゾルゲ」という人の名前が日本に残っているんでしょうね。
「ゾルゲ級のインテリジェンス・オフィサーは、かつての日本にも山ほどいました」とあるし、1964年に勲章を与えられるまで、
ソ連のインテリジェンスの歴史から抹消されていたともあった。
お話としては面白いと思うんですけど、
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