狂言を観に行ってきました。
「棒縛」
太郎冠者 野村萬斎
主 月崎晴夫
次郎冠者 深田博治
後見 岡 聡史
二人に家来が留守中に酒蔵の酒を盗み飲みすると知った主人は、太郎冠者の両手をを棒に、
次郎冠者の手を後ろでに縛って出かけてしまう。
それでも酒が飲みたい二人は縛られたその状態で、なんとか酒を飲みたいと考え、そして成功する。
そのうちに盛り上がりに盛り上がって謡えや舞えやと大騒ぎ状態。愉快愉快な感じw。。。の所に主人が帰宅しちゃうワケ。
と、こんなお話だったんですけどね。非常に楽しいお話でした。
解説にも、観ているこちらも心楽しくなれる、狂言の代表作の一つですとありました。
「小傘」
僧 野村万作
田舎物 野村万之介
新発意 高野和憲
参詣人 月崎晴夫
参詣人 竹山悠樹
参詣人 岡 聡史
尼 石田幸雄
後見 時田光洋
この「小傘」は2回目。あらすじは田舎物が草堂を建立したのだが、堂守がいないので街出て探していると、
僧と新発意(しんぼち)(出家して間もない修行中の僧)がやって来たのですぐにつれて帰る。
しかし、この二人、実は賭博で食い詰めた主従であった。法事が始まると、僧は賭博で聞き覚えた傘の小歌を
お経のように唱えて参詣人たちをごまかし、皆が法悦に浸っている内
に新発意に布施を盗ませようとするのだが、なかなか上手くいかない。そうしているうちに念仏はますます高揚していき・・・。
というお話です。
狂言は、私にとって「鏡」。今考えていることを映し出してくれるものです。
そして今回感じたものは「支配」。
「支配」をネットで調べてみると「ある地域や組織に勢力・権力を及ぼして、自分の意のままに動かせる状態に置くこと」とありました。
ムム~。。。これも「権力」の意味合いと同様に、なんか違わなくない?と思うんですけど。
でも、先に読み進めていくと、『(統治)rule (統制)control』とあったんです。
。。。これっぽくない。ルールにコントロール。
国が存在するうえでルールやコントロールは必要ですよね。これがなかったらめちゃくちゃになる。
そして「支配階級」とあったんですけどね、それは「政治的、経済的、社会的に勢力を持ち、国家や社会を支配している階級」。
ルールが「法」だとしたら、「法」はその時の生活の中からうまれてくるものだと思っているので、
それは社会から創られるものなのかなと思うんだけど、それをコントロールするのが「支配階級」と言われる方々かな。
でも、この「階級」という言葉があまりいい感じじゃないですよね。
まぁ、コントロールすることが出来る力をお持ちであるというか、スペシャリストというか、それをお仕事にしている方々の事ですよね。
やっぱりこういう方々がいないと国がめちゃくちゃになる。めちゃくちゃにならないために、統治rule統制controlという「支配」が必要なんですね。
いやなんで狂言を観て「支配」に繋がったかというと、狂言に出てくる人物達は欲にかられてる事が多いんですよ。
今回の「棒縛」にしても「小傘」にしても欲があるんです。
仏教を観てみると、人間というのは欲だらけなんですよ。欲によって生かされているみたい。
まぁ、欲といっても、全てが悪いものばかりじゃないと思うんですけどね。
でも、欲が強すぎると、つまり欲に支配されちゃうというのはよくないですよね。
欲に支配されるのではなく、欲を支配しなければなんですよね。
きっと人間は、欲からは離れることができないんじゃないかな。だから、そんな欲を支配し、うまく付き合っていく。
そして、この欲とうまく付き合うことで「愛嬌」が生まれるんじゃないかな。
人間ってそんなとこあるよねって、なんかほほえましくなるのかな。本当におかしくておかしくて、人間っておもしろいよねぇって感じ。
それが魅力になることもある。
狂言ってそんなとこも教えてくれているんじゃないかなと思うようになってきた。
支配は、ルール・コントロール。今までわかっていたようでわかっていなかったその意味。
誤解してとらえているものもあるだろう。そんな言葉の意味をもっと調べていこう。
「棒縛」
太郎冠者 野村萬斎
主 月崎晴夫
次郎冠者 深田博治
後見 岡 聡史
二人に家来が留守中に酒蔵の酒を盗み飲みすると知った主人は、太郎冠者の両手をを棒に、
次郎冠者の手を後ろでに縛って出かけてしまう。
それでも酒が飲みたい二人は縛られたその状態で、なんとか酒を飲みたいと考え、そして成功する。
そのうちに盛り上がりに盛り上がって謡えや舞えやと大騒ぎ状態。愉快愉快な感じw。。。の所に主人が帰宅しちゃうワケ。
と、こんなお話だったんですけどね。非常に楽しいお話でした。
解説にも、観ているこちらも心楽しくなれる、狂言の代表作の一つですとありました。
「小傘」
僧 野村万作
田舎物 野村万之介
新発意 高野和憲
参詣人 月崎晴夫
参詣人 竹山悠樹
参詣人 岡 聡史
尼 石田幸雄
後見 時田光洋
この「小傘」は2回目。あらすじは田舎物が草堂を建立したのだが、堂守がいないので街出て探していると、
僧と新発意(しんぼち)(出家して間もない修行中の僧)がやって来たのですぐにつれて帰る。
しかし、この二人、実は賭博で食い詰めた主従であった。法事が始まると、僧は賭博で聞き覚えた傘の小歌を
お経のように唱えて参詣人たちをごまかし、皆が法悦に浸っている内
に新発意に布施を盗ませようとするのだが、なかなか上手くいかない。そうしているうちに念仏はますます高揚していき・・・。
というお話です。
狂言は、私にとって「鏡」。今考えていることを映し出してくれるものです。
そして今回感じたものは「支配」。
「支配」をネットで調べてみると「ある地域や組織に勢力・権力を及ぼして、自分の意のままに動かせる状態に置くこと」とありました。
ムム~。。。これも「権力」の意味合いと同様に、なんか違わなくない?と思うんですけど。
でも、先に読み進めていくと、『(統治)rule (統制)control』とあったんです。
。。。これっぽくない。ルールにコントロール。
国が存在するうえでルールやコントロールは必要ですよね。これがなかったらめちゃくちゃになる。
そして「支配階級」とあったんですけどね、それは「政治的、経済的、社会的に勢力を持ち、国家や社会を支配している階級」。
ルールが「法」だとしたら、「法」はその時の生活の中からうまれてくるものだと思っているので、
それは社会から創られるものなのかなと思うんだけど、それをコントロールするのが「支配階級」と言われる方々かな。
でも、この「階級」という言葉があまりいい感じじゃないですよね。
まぁ、コントロールすることが出来る力をお持ちであるというか、スペシャリストというか、それをお仕事にしている方々の事ですよね。
やっぱりこういう方々がいないと国がめちゃくちゃになる。めちゃくちゃにならないために、統治rule統制controlという「支配」が必要なんですね。
いやなんで狂言を観て「支配」に繋がったかというと、狂言に出てくる人物達は欲にかられてる事が多いんですよ。
今回の「棒縛」にしても「小傘」にしても欲があるんです。
仏教を観てみると、人間というのは欲だらけなんですよ。欲によって生かされているみたい。
まぁ、欲といっても、全てが悪いものばかりじゃないと思うんですけどね。
でも、欲が強すぎると、つまり欲に支配されちゃうというのはよくないですよね。
欲に支配されるのではなく、欲を支配しなければなんですよね。
きっと人間は、欲からは離れることができないんじゃないかな。だから、そんな欲を支配し、うまく付き合っていく。
そして、この欲とうまく付き合うことで「愛嬌」が生まれるんじゃないかな。
人間ってそんなとこあるよねって、なんかほほえましくなるのかな。本当におかしくておかしくて、人間っておもしろいよねぇって感じ。
それが魅力になることもある。
狂言ってそんなとこも教えてくれているんじゃないかなと思うようになってきた。
支配は、ルール・コントロール。今までわかっていたようでわかっていなかったその意味。
誤解してとらえているものもあるだろう。そんな言葉の意味をもっと調べていこう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます