2019年、あけましておめでとうございます。
更新がなかなかできないのが悩ましいですが、今年も屈ブログをよろしくお願いします。
新年だからさ、明るい話題から始めよう!
今シーズンから与田新監督!
そして昨年末のドラフトで、お隣岐阜県が生んだ怪童、大阪桐蔭の根尾君を引き当て、根尾フィーバーに湧く中日ドラゴンズ。
期待感いっぱいの中、そういえばやり残した企画が…。
ベストナインを指名打者制でやっただけで、投手のこと、まったく語ってなかったよ。(つぶやき10参照)
ってことで、今回は投手編♪
ベストナインの際と条件は同じ。
与那嶺監督以前のドラゴンズについては、資料や記録でしか知らないため、除外ね。
以下、選手名・背番号・左右の別。
★ベスト先発 星野仙一・20・右
★ベストセットアッパー(中継ぎ) 岩瀬仁紀・13・左
★ベストクローザー(抑え) 郭源治・33・右
★特別賞 近藤真一・13・左
こんなところかな?
少し解説ね。
長いドラゴンズの歴史。
そりゃもうたくさんの候補がいるけれど、やっぱり背番号20を背負い、20年ぶりの優勝に先発抑えにフル回転!
この年の沢村賞にも輝いた、あの星野さん。
その後は監督してドラゴンズを2度の優勝に導いたことはすでに説明不要かと。
現在、6年連続Bクラス、と、まさに球団史を塗り替える長いトンネルの中にいるドラゴンズ。
一気に立て直すには「星野イズム」しかないと思ったりする。
その魂を受け継ぎつつ、キャンプは落合流と、良いとこ取りをする与田監督。
ドラゴンズの再生を期待します。
岩瀬仁紀。
愛知大→NTT東海、の経歴には親近感も湧くけれど、もちろんそんな理由で選んだわけじゃない。
球界初の400セーブ、1000試合登板の、前人未到の記録は例える言葉もないほど凄いけど、元々はセットアッパーとしてデビュー。
その1999年、正津(右)→サムソン(左)→落合英(右)→岩瀬(左)→ソンドンヨル(右)の、5枚看板の一角を担い、リーグ優勝に貢献。
5枚だからね、5枚!
他球団も含め、いろんな勝利の方程式があったけど、こんな凄い方程式は他に記憶にない。
5回・6回あたりでリードしてたら、あとは上の5人を順番に投げさせるだけ。
相手チームも仕方なく早めに勝負をかけて代打を送ってくるけれど、バランス良く左右交互に出てくるから、最後は代打の駒もなくなり、はい終了!という感じだった。
「中継ぎ」の重要さを野球ファンに認識させた優勝だった気もする。
それがきっかけになったのか、セットアッパーなんて言葉もこの頃から使われだした記憶がある。
ってことで、岩瀬はあえて「セットアッパー」としてランクインさせました。
コスモタイガーにとっての最高の「抑え」は、やっぱり郭。
1988年優勝時の胴上げ投手&MVP。
現在の「クローザー」は、9回限定などという暗黙のルールもあったりするけれど、郭投手の時代はそんなものはなく、7回ぐらいから普通に出てきて登板。
まさに「困ったら郭!」であり、文字通り相手を「抑え」た。
その結果としての、7勝37セーブ。
後に2010・2011年、浅尾→岩瀬の「勝利の方程式」で連覇を成し遂げたドラゴンズだけど、郭投手はこれを一人で担当したようなもの。
何となく外したくないのが、近藤真一。
活躍期間が短く、通算成績は大きく見劣りするけれど、何といっても1987年の、プロ初登板初先発でのノーヒットノーラン!!
それもペナントレースの大勢が決したあとの消化ゲームとかじゃない。
8月9日。
首位を行く巨人と2位中日の、天王山!
こんな時にルーキーを投げさせる星野監督も凄いが、臆することなく巨人に立ち向かい、1本のヒットも打たせなかった近藤投手。
まさに記録じゃなく記憶に残る熱投だった。
当時ナゴヤ球場でアルバイトをしていたため、目の前で起きたこの出来事は、昨日のことのように覚えている。
ま、こんなところかな?
まだコスモタイガーの頭の中は正月モード?
とりあえず今回は、明るく軽い話題で終了~!
(※文中、敬称略)
ナゴヤ球場でアルバイトまでしていたとは、ファン冥利に尽きます。
単身赴任の身であれば、家族のいる地元に吸引されるのは当然ですが、帰省ラッシュには悩まされます。ごくろうさまです。
もっとも、今回の年末年始では新幹線の降雪による大幅な乱れを冷静に、別ルートに座れて安く利用するとはナイス判断 でした。
転んでも ただでは起きぬ心意気に乾杯
そうです、大阪住まいとなっても心は名古屋です!
住民票ももちろん名古屋のままです。(ってか、嫁子供は名古屋ですし)
4月以降、移動する機会がグンと増えました。
定時運行を誇る日本の鉄道網ですが、これだけ乗ってるといろんなことに遭遇します。
西日本豪雨や大阪北部地震で、交通網はマヒ状態となりました。
特に西日本豪雨はこれまた帰省のタイミングと重なり、その時は新幹線も近鉄もアテにならず、JR在来線乗継で名古屋にたどり着きました。
乗車したアーバンライナーに飛込自殺があり、急停車。
現場検証と称して警察官が乗り込んできたなんてこともありました。
結局その時は大阪到着が大幅に遅れ、深夜に社宅に到着!となりました。
乗車中に停まってしまったら、、さすがの鉄ちゃんの私もお手上げです…。
昔の強いイメージが焼き付いている私にとっては、ピンときませんね。
地味な存在だけど、中継ぎはホントに重要ですよね。
強いチームは中継ぎがしっかりしています。
郭投手の様に、7回ぐらいから普通に出てきて登板出来るクローザーがいたら監督も苦労しませんよね。
そうでしたか、当時ナゴヤ球場でアルバイトですか。
尚更、思い入れが強いハズです。
そうです、優勝から6年、ではなく、Bクラスが6年続いています。
ドラゴンズにとって、球団史を塗り替える暗黒時代になっているわけです。
セリーグで、もっともクライマックスシリーズから遠ざかってる球団、でもあります。
落合監督のもと、毎年優勝を争っていたのがついこの間なのに。
落ちるのはアッという間。
強くなる、のではなく、強さを継続することの大変さ・ありがたさを、それ以降の監督や関係者は痛感していることでしょう。
強さを継続しているドラゴンズを「つまらない」と言ってた人たちは、ドラゴンズに何を求めていたのでしょう。
広島カープのファンが心底羨ましいです。
球団とファンが一体となって、「強くあり続ける」努力をしています。
1988年の郭投手の涙の胴上げシーンは、自分にとって過去の優勝シーンの中で、もっとも印象的な場面ですね。
まだセットアッパーなんて言葉も概念もなかった時代。
郭投手の獅子奮迅の活躍は、ドラファンとしては忘れられませんね。