御幸橋たもとに戻ってきた。
ここが東高野街道の起点なのさ。
振り返れば目の前には今登ってた男山。(冒頭写真)
右折が旧東海道57次(京街道)で、現在のコスモタイガーの通勤ランのコースでもある。
東高野街道は直進で、まさに今走ってきた道を進むことになる。
だからあえて脇目も降らずに黙々と走ってきたさ。
楽しむのはこれから!
今走ってきた道は見なかったことにしよう(笑)
ということで、ようやく旧街道runをスタート!
線路を渡れば石清水八幡宮の正門鳥居で、記念のシャメをしておく。
まだ汗もかいてない段階で見所満載でね、先へ進めない。
左手はさざなみ緑道として整備され、八幡八景なるものの1つらしい「安居(あんご)橋」が残されている。
1本道で、道標も整備されているのが嬉しい。
相槌神社という可愛らしい神社の前で升形のようになっている。
それにしても神社お寺が並ぶようにあるから、いちいち気にしていたら前に進まない。
その中でもひと際目立つた佇まいは徳迎山正法寺。
参道の先にある正門(唐門)は重要文化財に指定されている。
忙しいなぁ!
200m程で「京街道里程標碑」。
要するにここは追分になっていて、左の道は「在所道」ということらしいね。
もちろんコスモタイガーは直進。
さぁ、ようやくエンジンが掛かってきた。
300mほどで「一区公民館」が左にある。
ここを過ぎてすぐ、Yの字分岐で、ここは右の狭い方を行くらしい。
民家の間に「血洗池の碑」なんてあるから、かつてこの辺に薄気味悪い池でもあったのだろうか。
で、ここでまた狭いながらもY字分岐になってて、今度は左。
そのまま走れば広い道路に出た。
渡ったところには京阪バスの停留所(大芝・松花堂前)がある。
少し寄り道。
この広い道を100mほど東に行けば、バス停の名前通りの八幡市立松花堂庭園・美術館。
何だかお弁当の名前みたい…、と思っちゃうわけなんだが、実はそれは大当たりなんだよね。
コスモタイガーもリサーチして初めて知ったクチだから偉そうなことは言えないが、江戸初期の僧侶兼茶人兼書道家(芸達者!)の松花堂昭乗さんという方がここに庵を構えたということらしい。
そしてその松花堂さんが好んだ茶器や器などをベースに、後世、料亭として有名な「吉兆」があやかって作成されたものが松花堂弁当、になるとか。
松花堂さんご本人が考案したわけではなさそうなので、由来というにはちょっと微妙なものを感じるが、ともかくここには当時の立派な庭園などが今も残されている。
ぜひ観賞を…!と言いたいところだが、何と先日の大阪北部地震によりここも一部被災しているらしく、臨時休館中。
うーーん、残念。
あの地震、コスモタイガーも出勤途中、阪急電車の中で、しかも震源地近くの高槻市近くでまともに遭遇したからなぁ…。
こうして走っていられる平穏な日々に感謝感謝。
それに、お天道様に「寄り道するな」と言われてるのかもしれない。
街道に戻って南下を続ける。
しばらくするとさっき一区公会堂で別れた道と再合流。
この辺りは閑静な住宅街で、特段何もない。
400mぐらいかな?
信号のない横断歩道、右手前方にカラオケ喫茶があるT字交差点に出た。
ここはホントに目立たないからぼーっとしてると直進してしまいそうだけれど、実はここで右折。
そして緩やかに坂を登っていくことになる。
恐らくこの辺りは厳密な意味での街道は消失してるんだろうなぁ。
フツーの住宅街の中、直線の道が続いている。
幹線道路と思しき立派な道をトンネルで潜る。
街道は緩やかな左カーブを描いた先にあるのが、達磨堂円福寺。
約3万坪という広大な境内を持つ名刹らしい。
でもね、トレーニング中なのさ!
それに達磨さんについては、中山道の高崎市を走ってるときに楽しませてもらったからさ!(※旧中山道編31参照)
外見だけ拝ませてもらって、先へ急ごう!
記念に案内板だけシャメしておく。
そのまま道なりに…と言いたいところだけれど、ここで旧街道は境内に沿って右折するらしい。
寄り道?して直進してみる。
100m弱で国1(京阪国道)に出て、そこに「洞ヶ峠茶屋」なる和風建築の蕎麦屋がある。
そう、ここがあの「洞ヶ峠」の頂上(といっても標高63m)で、現在も県境(京都府八幡市・大阪府枚方市)となっており、東高野街道はここから大阪府枚方市に入るわけだね。
決断せずどっちつかずの態度を取る日和見な人のことを「洞ヶ峠を決め込む」なんて言うけど、その語源となった場所。
山崎の合戦の際、明智光秀と羽柴秀吉双方から援軍を要請された筒井順慶は、とりあえずここ洞ヶ峠まで来て陣を構えたにも関わらず、どっちの味方に付くか迷っているうちに肝心の戦が終わってしまったという逸話から来てるんだよね。
もっとも最近の研究では、この逸話、創作の可能性が高いらしいけれど。
現在の洞ヶ峠は、この蕎麦屋が何となく雰囲気を残しているだけで、他に見るべきものは何もない。
目の前は国1(京阪国道)で、何の迷いもなさそうな車が結構なスピードで行き交っている。
さぁ、街道runに戻ろう。
境内らしき森に沿って走れば、両側とも何の変哲もない団地が建ち並ぶ住宅街の中。
京阪国道の1本西の裏道というイメージだ。
たまに右に左にうねるカーブがわずに旧街道であることを教えてくれる。
はい、また広い道に出て行き止まり。
ここは右折すると、すぐに西松屋高野道店がある。
この辺り、住所自体が「高野道」という字名なんだね。
で、西松屋を過ぎてすぐ左へ分岐するのがその高野道(東高野街道)。
この道はちょっと落ち着いた感じのうねり道で、街道の雰囲気がわずかに感じられる。
大きなショッピングモールの裏を走ると、やがてT字路で正面に工場らしきものに塞がれ、はい、またジ・エンド。
ここで旧街道は消失していることは明らかだ。
ってことで、しばらくはどこを走っても問題ないような状況だけど、一応リサーチ通りここは左折し、さらに100mほどで道なりに90度右折。
すぐ左側に国1(京阪国道)が寄り添う。
この辺り一帯は、枚方企業団地というそうで、町工場が連立してるだけの中を道は直線的に進んでいる。
信号に出ると、目の前に「ニトリモール枚方」。
ここで国1に出ましょうか。
残念ながらしばらくは街道らしさ0の京阪国道を走るしかなさそうだ。
涼しげな大型ショッピングモールに目もくれず、ひたすら足を進めるコスモタイガー。
1km以上、我慢の国道run。
曇ってるとはいえ、余計に暑さを感じるシチュエーション。
「出屋敷北」の交差点。ここでやっと左に分岐する。
300mほどは静かな道。
突き当たると府道144号で、結構な交通量だ。
正面には広大な山田池公園。
約1200年前にできたため池(山田池)を中心に整備された府営公園で、総面積73.7ヘクタール。
ジョギングコース・展望台・バーべQ広場なども設置されている。
せっかくのジョギングコース、しかも涼しそうな公園で、走っていきたいのは山々だけど、それじゃここで終わってしまいそうだ。
入口だけシャメしておこう…。
「暑いなぁ…」と心底思いつつ、旧街道に足を進めるコスモタイガーなのだ。
※後編に続く
松花堂とは、江戸初期の僧侶・茶人・書道家だったんですか、知りませんでした。
なるほど、ここがあの有名な「洞ヶ峠」の頂上で、「洞ヶ峠を決め込んだ」のは筒井順慶でしたか。
色々と勉強になりました。
またまた返信遅くなり、すみません。
まさに今朝、また東北で地震あったようですね。
あの大阪着任間もないころの大阪北部地震は記憶に残ります。
あの地震も震度6でした。
幸い?走るという武器があったため、高槻市から大阪の社宅まで走って帰ることができました。
ただ停電のため、ほとんどの自販機が停止していて、給水に難儀したことも覚えています。
私もここをリサーチするまでは、松花堂は弁当の印象しかありませんでした。
現地を見ることはホントに勉強になりますね。
百聞は一見に如かず、です。
洞ヶ峠は、言葉だけは有名ですが、現地は見るべきところ、何もありません。
かなりのスピードで車が走り去っています。
さぁ、この先の街道run。
早く更新しないと…('◇')ゞ