もう梅雨に入ったのかな?
朝から小雨がぱらついている。
もっとも、天気予報によると、午前中には止むらしい。
まぁ、夏の暑い日差しをまともに受けるよりは、これぐらいの方が走りやすいかな?
2回に渡って利用した「ドニチエコ切符」も、(旧街道ランとしては)前回で終了。
帰路も考えると、鳴海駅まで自転車が良さそうだ。
雨が止むのを待ち、少し遅めに家を出る。
名鉄を乗り継ぎ、今日も広見線の旅を楽しみつつ、「御嵩」駅に到着したのは、13時近かった。
前述(旧中山道編11)の通り、ここまでの中山道、「摺針峠」(旧中山道編5)「うとう峠」(旧中山道編10)など、局所的な峠越えはあったけど、全体的に平坦だった。
でもここからは、一気に山岳路となるようだ。
自販機もない山の中を、延々と上って下ってを繰り返すらしい。
しばしお付き合いいただいた名鉄も、この御嵩でお別れ、ここからの交通機関は、地域循環バスが部分的に走る程度で、事実上無しに近い。
この先、主要交通機関と巡り合うのは、ここ御嵩から30km以上離れた、JR中央本線(西線)「恵那」駅となる。
平坦ならちょっと頑張って恵那(中山道的には大井宿)まで走ろうと決断できるけれど、何せひたすら起伏の連続で、しかもトータルでは上っていることになり、かなりハードな道程が予想される。
とりあえず恵那まで行くつもりで、途中でコースアウトすることも想定してリサーチしておいた。
旧街道ラン初の給水対策(といっても、500mlのペットボトルをリュックに入れただけだけど)をし、いざトレーニングスタート!
駅前をそのまま直進するのが中山道。
「願興寺」は前回訪問済みだから省略し、先へ進む。
前回見学した「中山道みたけ館」。
併設の図書館には中山道関連の書籍も多く揃い、ぜひ再訪したかったけど、出発を遅らせたことも考慮し、ここも省略。
すぐ先には本陣跡。
その隣はかつての旅籠、「竹屋」が資料館として保存されている。
1つ1つ丁寧に見て回りたい気持ちは山々なんだけど、頭の中には「恵那まで30km超」があるからね、先を急ぐことにする。
それに、今、まじめにトレーニング中だから!(出た!毎度のセリフ)
案内表示も整備されているし、一応、この道は県道341号にも指定されているようだから、この県道に沿って走れば問題はない。
表示に従い、県道に沿って左折。
やがて国道21号に合流し、そのまま右に折れて走る。
しばらくは国21を走る。
「長岡」の信号もそのまま直進し、道なりに進む。
(※2013年現在、21号可児御嵩バイパスが完成し、この先「井尻」の交差点で合流するようだ)
やがて左側、あぜ道のようなところから少し奥に入ると、「和泉式部廟所」。
平安時代の代表的歌人だけど、ここに眠っているらしい。
もっともこれまた諸説あり、和泉式部の墓とされる場所は全国各地にあるんだけどね。
小さな川を渡り、県道358を左折。
さぁ、いよいよここからが山岳路だ!
周囲は、一気に農村風景になってきた。
そしてこれが醒ヶ井宿辺りから続いてきた、国21との永遠の別れ。(旧中山道編5参照)
21号さん、長らく目安として先導してくれて、ありがとう。
この先、案内板は整備されているけれど、見落としに注意。
すぐの道を右折。
またすぐ左折。
くねくねした道の突き当たりを左に折れ、すぐに右に分岐するのが中山道。
ここから先、案内板に従うしかなく、細かな道のりを文章にするのは難しいな。
途中に馬頭観音があり、その先でまた右折し、山の中に入っていく。
道路も狭くなり、未舗装となる。
厳しい上り坂は、「牛の鼻欠け坂」。
牛車で登ると、先導の牛の鼻が欠けてしまうほどの坂、ということらしい。
もっともこれは通称で、正式には「西洞坂」だそうな。
いったんアスファルト道に出て左。
すでに周囲には、人家すらまばらな状況だ。
300mほどで「耳神社」
名前の通り、耳の病気にご利益あるらしい。
そこから400mほど先で、右に分岐し、山の中に入っていくのが中山道やね。
さらにもう一回右折し、再び山中の未舗装路に入る。
すぐに石畳となり、激しい登りは「謡(うとう)坂」。
謡坂の石畳として、整備されているんだけど、厳しい登りにさらされ、楽しむ余裕はない。
すでに汗ダクダクだ。
途中、「聖母マリア像 左」の案内板。
こんなところにマリア様?
キリスト教の信者じゃないけどさ、ちょっと気になり、寄り道する。。
石畳から左にはずれ、案内板に従って広いアスファルト道に出ると、目的のマリア像の前に出た。。
この像自体は、1987(昭和62)年製ということで、特段珍しくもないけれど。
実はここ、隠れキリシタンの墓地なのだ。
1981(昭和55)年、道路工事の際、地中からたくさんの十字架が発見されたとか。
それらの十字架や五輪塔をまとめ、記念碑として建てられたのがマリア像、ということらしい。
京~江戸を結ぶ主要街道でありながら、東海道に比べりゃ人目に付きづらい中山道。
貧しい農村で、密かにキリスト教が信じられていたんだね~。
いや~、しんどいはずなのに、楽しいなぁ。
正直、京~御嵩までは、平坦部分が多いため、どこか東海道とかぶる部分もあったけどさ。
(特に草津までは重複区間だしね~)
ここに来て、「隠れキリシタン」の影響もあってか、明らかに今までとは違う「匂い」がある。
石畳に戻り、再び上り坂を走る。
登りきって右の方に行ったところが、十本木茶屋跡。
こんな田舎にかつては茶屋が並んでいたらしい。
すぐ先には両側に「十本木一里塚」で、塚のみが復元されている。
さらに進み、広いアスファルト道に合流、すぐに小さなお地蔵さんと湧水がsetになっている。
「一呑の清水」と言われたらしいが、現在は飲用不可。
ここでアスファルト道は左にカーブするけれど、直進する形で狭い道を入っていく。
再び未舗装だけど。
しばらくは静かな山中、ひたすら登りを走る。
右側には今度は「唄清水」。
山深いながら、昔から清水が湧き出て、旅人達の喉を潤してたんだね。
ここも同様に、飲用不可らしいけれど、水質が落ちたのか?
あるいは現代の日本人が過敏すぎるのか?
突然、何やらオシャレなケーキ屋さんが現れ、ビックリするけれど、目印にはなる。
途中、御殿場跡の説明板。
皇女和宮様がここで休息したから。
休息といっても、その辺に茣蓙(ござ)敷いて弁当食べて…じゃないからね。
それは我々下々の発想。
事前にここで休息することが決まってて、ちゃんとしたお屋敷(御殿)を作ったのさ。
だから御殿場なのだ。
峠を1つ越えたらしく、少しづつ下りながら山中をくねくねと走り続け、パッと開けたところが「津橋」集落。
一応五叉路になっている。
標識に従い、左斜めのアスファルト道を選択。
現代でもこの辺りの集落を結ぶ主要道の位置づけらしく、県道65号に指定されているようだ。
しばらくは国21に代わる、旅のお供となる。
津橋集落の中心と思われる交差点に出た。
ここには「津橋北」のバス停もあるけれど、御嵩町により運航されている「ふれあい予約バス」なるもので、1日8本、利用者から予約があった場合のみ、タクシー車両によって、運航されるらしい。
興味はあるけれど、まだトレーニングとしては全然距離足りないし、本数も少ないから、予定通り素通り。
県道65は左折のようだけど、中山道はそのまま直進し、未舗装のクロカン道となり、激しい上り坂。
「ふじあげ坂」というらしい。
「山内嘉助屋敷跡」なる史跡が案内されているけれど、ごめん、誰それ?
よく分かんないからパス!
もはや車の心配もない。
完全な林の中のハイキングコース状態で、絶好のクロカントレーニングにはなってるはずだけど。
案内表示の見落としだけは注意しないとね。
やがて3つに分かれる地点に。
ここは真ん中の道を選択。
マイナスイオンたっぷり、汗もたっぷり、こりゃ、きついね~。
どれほど山中を彷徨った?だろう。
どうやら瑞浪市に入ったらしい。
すぐに正面にゴルフ場が見え、その手前にあるのが「鴻巣一里塚」。
両側とも現存する貴重な史跡だ。
相変わらず、クロカンコースをひたすら走る。
起伏もあって距離感つかみにくいけれど、600mぐらいかな?
道は3つに別れる。
真ん中が中山道。
案内板によれば、右の道は「鎌倉街道」らしい。
瑞浪市に入ってから、少し道が広くなった気がする。
実は瑞浪市、中山道に力を入れているらしく、市域内の中山道には、案内板も比較的整備されている。
しかも変に舗装したりせず、ハイキングコースとして自然を保ちつつ、というのが嬉しい。
下りに入ると足は快調。
もともと「下り」の選手だからさ。
何やら左手に石垣のようなものが。
「秋葉坂三尊」といって、石室が3室並び、中にはそれぞれ1体づつの石仏がおさめられているとか。
県道65に合流し、そのまま下り坂を走る。
久しぶりに人家が密集した集落に出る。
平岩集落ということらしい。
県道366号と交わるところに、この辺りでは唯一の個人商店(雑貨屋?)&自販機がある。
ペットボトルのお茶にも飽きてきたから、ここで缶ジュースを購入。
うまい!!
すぐに分岐があって、ここは左の狭い方が県道65&中山道だ。
しばらくは県道65をそのまま走る。
この一帯は集落も途切れ、見所もないけれど、何といっても静かな山間の集落をのどかに走るから、実に気持ち良い。
細かな起伏も気にならない。
と思ったら、また別の集落に遭遇。
ここが中山道「細久手宿」だ。
残念ながら、本陣・脇本陣も、跡地を示す標柱が建つのみで、宿場町らしさは失われているけれど、1軒だけ、目玉がある。
左手にいかにも風格ある和風家屋が見えてきた。
「大黒屋旅館」。
元々は、旅籠だったんだけど、尾張藩が参勤交代の際、他の藩と一緒になるのを嫌い、ここを尾張藩専用の常宿としたんだね。
だから旅籠ながら別格扱いで、「尾張藩本陣」と称されるようになった。
現在も旅館として営業を続けており、宿泊して連続で中山道を歩く人などには良く利用されているらしい。
東海道赤坂宿の大橋屋を思い出すなぁ。(旧東海道編4参照)
もっとも、周囲の風景は、こっちの方が圧倒的に上だけど。
コスモタイガーも尾張人の端くれとして、いつか堂々と?泊ってみたい!
でもさ、今はトレーニング中だしね。
そもそも旧街道ランで、宿泊は考えてないのさ。(中山道編0参照)
金銭的事情もさることながら、背負って走る荷物が多くなりすぎる。
「歩く」のとはちょっと事情が違うんだよね。
200mほどで高札場跡。
ここも案内板が建つのみ。
細久手宿はこじんまりした宿場町だったらしく、この辺りで早々と人家が途切れ、右手に工場を見ながら、県道は山中に入っていく。
こんな山の中、何やら場違いな車のエンジン音が聞こえてくる。
「ブンブン」とかなり噴かしてるようだし。
実は左手、山の上の方に、「瑞浪モーターランド」という、サーキット場があるらしい。
しばらく山中を走ると、両側に大きな塚が。
「奥之田一里塚」。
ここも当時のまま現存している。
先述のように、瑞浪市は中山道を大切にしているらしく、市内にある4つの一里塚も、当時のままの姿を残すべく、保存・整備に尽力しているのだ。
2km以上、何もない山中を走る。
自分以外には誰もいない。
サーキット場の音も遠のき、静かさが戻ってきた。
小さな池がある。
「弁天池」というらしく、池の中には弁財天もある。
200mほど先で、道は2手に分岐。
実はこの辺りの中山道は、東海自然歩道とコースが同一になってるんだけど、ここで東海自然歩道は、左の小道を行くように案内している。
雰囲気的にもいかにも旧道らしいから、うっかりその表示に従ってしまいそうだけど、中山道はあくまでもこのまま県道を直進。
1kmほど走って「天神」のバス停があったら正解だ。
変則4叉路で、左側から来た東海自然歩道と再び合流。
500mほどで、再び2手に分岐。
ここで県道から外れて、左を選択する。
またまた未舗装の山道の始まりだ。
ほとんど草の道で、足には優しいけれど。
そしてもう何度目かわからないぐらいの登り坂。
「琵琶峠」の入口らしい。
すぐに石畳となった。
ここも「琵琶峠の石畳」として整備されている。(冒頭写真)
実は長い間、土に埋もれていたところ、1970(昭和45)年に発見され、見事に復元されている。
その距離約600mで、日本一の規模らしい。
視界は一面緑に囲まれ、風景に綺麗に溶け込み、見事な石畳だ!
その途中にあるのが、「八瀬沢一里塚」。
瑞浪市に入って3つ目、ここも綺麗に保存・整備されている。
登りきると、琵琶峠の頂上。
標高540m、中山道美濃路としては、最高地点らしい。
もっとも、周囲は大きな木に囲まれ、見通しは全然だけど。
今度は石畳を降りて行く形になり、高度を下げて県道に再び合流。
今度は右手に大きな建築物が。
大湫(おおくて)病院と書いてある。
名前からして、次の大湫宿が近いことがわかる。
ちょっと進むと、左手崖に沿って、大きな岩が続けざまに2つある。
それぞれ、烏帽子岩、母衣岩と云い、まとめて2つ岩と称するらしい。
すぐ、左に分岐。
でも200mぐらいでまたすぐに県道に合流。
さらに400m弱、ゆるやかに左にカーブすると、T字路に差し掛かる。
左側には、復元された高札場が見える。
実はここが大湫宿の入口。
当然、このまま直進するのが中山道。
恵那までの道のりの、ちょうど中間点ぐらいなんだけど。
でもさ、時計を見るとすでに16時近い。
ここまでで実走距離も多分18~19kmという感じかな?
でも終始、起伏ばかり走ってたイメージだし、半分ぐらいはトレイルランのような状況だったから、距離以上に足が疲れている感じがする。
途中でコースアウトできるとしたら、ここが唯一の地点なのさ。
このT字路、県道65号は右に折れ、坂を一気に下り、3.5kmほど先にある最寄り?のJR中央本線釜戸駅に繋がっている。
(ちなみに直進の中山道は、ここから県道394ということになるらしい)
一応、この大湫地区にも、瑞浪市の地域循環バスがあるらしいけれど、完全に地元民対象のダイヤで、朝の通勤通学時に1本あるだけ!で、無いに等しい。
うーむ、今から恵那目指すのは、ちょっと時間的にも体力的にも厳しいか?
それにここからの中山道の方が、さらに厳しいトレイル状態が続くらしいし。
幸い、釜戸駅周辺は、若干の土地勘もあるので、今日はここでコースアウト決定!
右に折れ、そのまま県道65を一気に下る。
車も通行する普通の舗装路ながら、一気にふもとの「釜戸駅」を目指すため、急激な下りが延々と続く。
コスモタイガーとしては、得意な状況ながら、調子に乗ると膝痛めるからね、フォームチェックしながらペースアップ!
下りきったところで中央自動車道をくぐり、すぐに国道19号に到達。
ここから「JR釜戸駅」を示す案内板を頼りに狭い生活道路を走ると、すぐに「釜戸」駅に出た。
本日、ここをゴールとする。
実走は、最後の下りも含めて、22~23kmぐらいかな?
実はここ釜戸駅、コスモタイガーにとっては、思い出深い場所で、駅舎や周辺を見るととても懐かしい気分になってしまう。
ゆっくり散策したい気持ちは山々なんだけど、電車の時刻が迫ってるし、ちょいとお疲れ状態で、体が付いていかない。
駅前散策は次回に任せて、今日はすぐの電車で帰ることにしよう。
さて、釜戸駅は、大幹線「中央本線」の駅。
快速(といっても多治見までは事実上各駅停車)に乗って、「金山」駅まで約1時間、そこで名鉄名古屋本線に乗り換えれば、鳴海駅まではすぐ。
まだ明るいうちに鳴海駅に到着できたのは嬉しいけれど、そのわりには、旧街道ラン久々のボリュームに、お疲れモードのコスモタイガーなのであった。
凄い!
私の体力からは考えられません!
さすが、コスモ”タイガー”さんです!
そう、私も、大湫の五平餅の補給で、生き返りました。
そうですか、槙ヶ根追分で名古屋方面へ分岐する下街道が、国道19号と中央本線の元になったんですか。
勉強になります。
恵那→御嵩、、約31km。
トータルでは下ってますから、まだいいんですよ。
十三峠越え、引続き頑張ってください。
十三峠越え、ボチボチ頑張ります。
私は、「聖母マリア像」の案内板、気になりましたが、寄り道したために、
大黒屋に辿りつけなかったらまずいと思い、スキップしました。
そうか!
ブンブンとかなり噴かした車のエンジン音が聞こえてきたので、
暴走族の連中が、取り締まりのない山奥で無茶しているのかと
思いながら歩きましたが、サーキット場があったんですね。
最近、天候の方も安定しているようですし、何よりです。
そうそう、十三峠途中には、興ざめのサーキット場があります。
山中に不釣合いな爆音も、合法的に運転を楽しんでるわけですし、逆に街中にあんなもの作られたら、騒音等で訴訟問題になりかねませんから、仕方ないかもしれませんね。(笑)
十三峠の大きな特徴は、とにかく一里塚がよく保存されていること。
行政区域的には「瑞浪市」になりますが。
聖母マリア像といい、一里塚といい、主要交通機関から離れた状況が、結果として江戸の史跡を手付かずに残すことになったのかもしれません。
我々名古屋圏の人間にとっては、気楽に行けるハイキング・クロカントレーニングのコースとなりました。
大湫宿でお会いした細久手から歩いて来たという地元の方も、日帰りなので、ここから釜戸駅へ下りると仰っていたので、多分、地元の方は良くご存じの「大湫→釜戸ルート」なんでしょうね。
私は、この辺りの地理感が全く無いので、次の細久手へ進むしかありませんでした。
まさに上の最後の写真の場所で右折(江戸からだと左折)すると釜戸駅に出るんです。
とにかく道に沿って、ひたすら坂道を転げるように下りていくと、釜戸集落に出ます。
1本道ですから、迷うこともないかな。
途中には、「竜吟の滝」という、素晴らしい景勝地があります。
特に紅葉の秋は見ごろです。
釜戸集落は、旧中山道編13にも書きましたが、これといった見どころはないものの、「下街道」沿いに佇む静かな集落です。
竜吟の滝~大湫宿は、釜戸駅発着のJR東海主催のハイキングコースにもなっていて、わりと人気のある癒しスポットになっていますよ。
日ごろ静かな無人駅(釜戸駅)も、この日ばかりは、かなりの人出になります。