中山道!
随分とご無沙汰してしまった。
その間に岩倉街道を完全走破してしまった。
まだ前回は寒かったのに、すっかり春になり、桜も散ってしまった。
その中山道もすでに最終盤となり、関東圏内。
もう、鉄チャン的な楽しみもほとんどなくなった。
名鉄→新幹線こだま→JR京浜東北線・高崎線の、毎度のルートで、北本駅到着は、ほぼ13時。
3ヶ月ぶりにこの地に降り立った。
空はどんより曇っているものの、天気予報では何とか今日一日持ってくれるらしい。
どこにでもある駅前の風景で、長居する場所ではない。
ロータリーから駅舎のシャメを証拠に?撮影し、「駅前」交差点から、本日のトレーニングをスタート!
この県道164号がかつての中山道ね。
というより、今日はこの道をひたすら南へと走るだけ、といっても過言じゃないぐらい、コースは単調なんだけどね。
分岐してまた合流、というあの街道名物?も、リサーチ通りなら皆無だ。
まだ汗もかかない、すぐの交差点は「多聞寺」。
その名の通りの寺が、左手前方にある。
開山は1661(万治4)年とあるから、それなりの名刹には違いないけれど、まだ走り出したばかり。
スルーして、先へ進もう。
今度は右手に観音堂。
13体のお地蔵様が並んでいる。
でもなぁ、ここまでの中山道の道程を思い起こすと、やっぱりこの辺は単調で、イマイチなテンションだよな~。
まだ西側の京都市内や滋賀県内(近江路)の方が、平坦なりに変化があった気がする。
「本宿」の交差点はすぐ。
その手前に、北本の由来を示す、説明板がある。
「北本」なんて言うからピンと来ないけど、前回通った鴻巣宿に移転前は、ここが宿場だったらしい。
だから正式には「元宿」。
いつしか「本宿」になり、その北端に駅が出来たから「北本」なんだね。
愛知県にある、名鉄名古屋本線(街道的には旧東海道)にある本宿も、同じ類だったことを思い出す(※旧東海道編4で通過済)
本当にこれといった見所もなく、とにかく道なりに走るしかない。
ある意味、トレーニングに専念できるって話でもあるけど。
コスモタイガーは走ってるからまだ良いけどさ、徒歩の人はここをさぞ黙々と歩くことになるんだろうなぁ。
などと、いらぬ心配をしてみたりする。
「二ツ家」という、いかにも古くからの地名も残るけど、街道らしさを偲ぶものは何もない。
いつのまにか行政区域は「桶川市」となり、「市役所入口」の交差点。
どうやらこの辺りからが「桶川宿」ということらしい。
交差点を渡ったところに、それを示す「北の木戸跡」の碑が、目立たぬように建っている。
桶川といえば、もう随分前に「桶川ストーカー事件」なんてあったなぁ。
自分が学生時代だったと思うから、もう20年以上経つのかな?
確か事件から数年後にTVドラマ化され、内山理名さんが、被害者の役を演じていて、その無念さに涙しながら見ていた記憶がある。
「ストーカー」という物騒な言葉が使われだしたのも、この事件が発端だった気がする。
いずれにせよ、こんな事件は2度と起こらないように願うのみだ。
さらに約100m。
左手に大きな家具屋があると、そこは「桶川一里塚跡」。
ポツンポツンと、旧家らしき建物もあるんだけど、その由来を示す看板があるわけでもなく、少しもったいない気がする。
それでもしばらく走ると、右手に「中山道歴史館」。
これが桶川宿脇本陣だそうな。
で、斜め前方、道路の反対側に目をやると、何やら由緒ある門構えの建物があって、これが桶川宿の本陣跡ということらしい。
続いて現れるのは、矢部家住宅。
明治初期の建物で、桶川市の指定文化財にもなっているそうだ。
「桶川駅前」の交差点をそのまま直進。
文字通り、右へ折れればすぐに桶川駅だ。
続いてまたポツンと古風な和建築が…。
「武村旅館」。
かつての旅籠であり、今も現役で旅館業を営んでいる。
少し走れば、「南木戸跡」の石碑があり、これにて桶川宿終了となる。
そしてまた、単調な県道run。
微妙なうねりだけが、かすかに旧街道を匂わせる。
上尾市に入ればすぐに「北上尾駅入口」の交差点。
ここも文字通り、その名の駅が右手にある。
だんだん人通りも車の量も増えてきた。
上尾市の中心に入っていくことを実感しつつ、北上尾駅から約1km。
右に高崎線の横断橋が見えてくると、そこに中山道の案内板があり、ホッとする。
そう、これだけ単調だと、本当にこの道が中山道なのかと不安になってくるんだよね。
上尾駅の真ん前を素通り。
街中にポツンと鎮座してるのは、氷川鍬神社と云うらしい。
いつのまにか上尾宿に入ったらしく、左手には上尾宿本陣跡の説明版。
隣り合うように、脇本陣井上家の説明版もあったりする。
とはいえ、この説明版がなければ、周囲は上尾市の繁華街。
ここが中山道とは想像できない。
右手にJR高崎線を従えながら、延々と県道runは続く。
左手に宮原図書館。
どうやらさいたま市に入ったらしい。
この辺りは合併前の大宮市になるんだね。
国道16号(新大宮バイパス)の高架下を潜って約100m。
「加茂神社」。
残念ながら詳しい由緒は不明らしい。
でも久し振りに街道らしい雰囲気が嬉しい。
とにかく県道に沿って走るしかない。
「宮原駅前」
今日はいくつ「駅前」を通過しただろうか?
国道17号&東北新幹線を越え、どんどん街中に入ってきた感じ。
高いビルも増えてきた。
さすがに政令指定都市だ。
「大宮郵便局北」の大きな交差点。
右折してすぐ、かの有名な鉄道博物館がある。
まさに鉄チャンの聖地なんだけど、残念ながら中山道とは何の関係もなく、しかも今、トレーニング中!
大宮駅前まで来ると、もうほとんど繁華街状態で、走るのも恥ずかしい。
旧東海道編42の銀座を思い出す。
ただ鉄チャン的には、ここで高崎線は終了。
併走するのは東北本線ということになる。
通称の京浜東北線の方が通用するかな?
いずれにせよ、中山道的にはどうでも良いネタだけど。
埼玉県の県庁所在地であり、東北新幹線と上越新幹線の分岐駅でもある、大繁華街。
そんな一角に埋もれそうな史跡が、臼倉本陣跡。
そう、一応ここは大宮宿のど真ん中でもあるんだよね。
県道の番号が「90」に変わったけど、ひたすら直進は何も変わらない。
江戸から走る(歩く)人は、まだまだこれから始まるであろう、大きな変化に胸躍らせ、なんて部分もあるんだろうけど、京都から来て、すでに大きな山場を制覇?してきたコスモタイガーにとっては、実に単調だ。
ただ「中山道完全走破」だけが心の拠り所。
「吉敷町」の信号を過ぎて約400m。
左後方に分岐する、旧道らしき道が分岐。
案内板もあり、ここから「氷川神社」の参道が始まる。(冒頭写真)
といっても、参道は延々と続き、約2kmも北上した先に本殿があり、周囲は大宮公園として整備されているらしい。
らしい、というのは、手元の資料で確認しただけだから。
心はかなり動いたものの、さすがに往復4kmも寄り道するのはちょっとな~。
その歴史は2000年を越すとされる氷川神社こそ、武蔵一宮とされ、「大きな宮」として扱われ、旧大宮市の語源となってたんだね。
続いての駅前は、「さいたま副都心」。
ここも素通り。
駅間距離が短く、すぐに与野駅前の交差点。
正確には「与野駅東口」の名が付いている。
ここに場違いなケヤキの大木が1本だけある。
「半里塚」と呼ばれていたらしい。
1.5kmぐらい走ると、右手に幼稚園。
隣接するのが「廊信寺」。
手元の資料には、サツマイモの女王、「紅赤」の発祥地なんて書いてあるけれど、都会の中の平凡なお寺にしか見えない。
北浦和駅前も通過。
もうホントに何もない。
中山道の中で、間違いなく今日が殺風景№1。
いいトレーニングだなぁ。
浦和橋で線路の上を通る。
今度は左手にJR、という構図になった。
リサーチ資料によれば、この辺りに浦和一里塚があったらしいけれど、現在は何の痕跡もない。
江戸から6番目、ということだから、あと約24km!
再び繁華街の雰囲気になったと思ったら、マンションの間にひっそりと神社がある。
「三峰神社」。
案内板も地味に整備され、この辺りが二七市場の跡であると書かれている。
毎月2と7の日には、市場が開催されていたんだね。
「仲町」の交差点。
名前からして「浦和宿」に入ったらしい。
こちらは名前の通り、かつての浦和市の中心街。
長々と走ってきた県道も、ここからは国道463、ということになるんだね。
さらに300mほど走ると、「浦和駅西口」の交差点。
左に目をやると、浦和駅。
大宮駅同様、大きなターミナル駅だ。
残りの距離も考慮し、今日はここでゴールとしよう。
中山道だけなら25~26kmぐらい走ったと思う。
でも平坦なコースを延々と道なりに走っただけで、強度的にはたいしたことないんだけどね。
寄り道もそんなにしてないから、実走距離もほとんど一緒かな?
そして残りは、中山道だけを黙々と走れば、約23km。
次回でついに中山道完全走破となるのかな?
いや、最後にしたい!
記念のシャメをパチリ。
市内を少しだけお散歩してたら、陽はすっかり落ちてしまった。
さぁ、ボチボチ帰宅するとしましょうか!
中山道の踏破、いや走破?まで、あと一息ですね。
いや~、正直、関東のこの辺の中山道は、単調でテンションがあがりませんよね。
そうです、浦和です。
都会です。
更家様にとっては、地元感覚になったのでしょうか?
変化に富んだ中山道も、ここまで来ると都会の中をただ走るだけ。
リサーチ段階でわかってたとはいえ、わざわざ名古屋から、県道を走りに行った私は、相当な物好きなんです・・・。
山道が緑におおおれて落ち着けます。
「二ツ家」とか「三軒茶屋」や「一本松」などの名は、町の目印をそのまま地名にした風情です。
東福寺の近くには、泉涌寺というお寺があります。
ここは神社の総元締めである天皇つまり皇室の菩提所なので「御寺(みてら)」と呼ばれています。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/cd699650b0ee848e4199adbca5c85cf3
ハイ、八百万の神々のいます日本ならではの宗教観です。
ただし本殿は2kmも奥。
泣く泣く断念しました。
ここも機会あればゆっくり時間を取って、リベンジしたいところですね。
泉涌寺。
皇室は確かに「神社」のイメージありますよね。
世界には宗教が原因で戦争にまで発展する国もある中で、我が国は神教と仏教が混在する不思議さ。
無節操、もとい、多様な価値観を持つ国民性なんでしょうね。