ぐ~たらEVERYDAY

平凡な日常を愉快に楽しく!

つまらないゴールデンウィーク

2019-05-06 16:26:43 | さち&コジ
小次郎のいない生活になって、だいぶ経ちました。

こんなにも会話がなくなっちゃうもの?
「小次郎どう?」
「ご飯食べた?」
「吐かなかった?」
「小次郎、今落ち着いてるね」
「あ、またヨダレ始まっちゃった」
「小次郎、寝返りさせようか」
「コジ、オチッコ出そうね〜」
ほとんどが小次郎中心の会話だったから。
会話だけじゃなくて、やる事なくて時間を持て余して2人でボーッとしてばかり。
ため息ついてばかり。
小次郎の晩年は24時間介護に等しく、2時間おきにチューブ給餌、合間合間で圧迫排尿とペットシート替えと流さないシャンプー。
小次郎の苦痛を少しでも紛らわせようと、身体をさすったり、マッサージしたり、ブラッシングしたり。
常に小次郎の寝床に目を向けて、ちょっとした変化にもすぐ気づけるようにしてて。
それがなくなっちゃったら、ホントにやる事がなくなっちゃったの。
コジの介護が100とするなら、一気に0になっちゃった。
さちの時は、さちが逝っちゃった後も小次郎の看病があったから0になる事はなくて。
母も「緊張感がなくなった」と言って気が抜けちゃったみたいに寝てばかり。
一気に老いなきゃいいんだけど…

それから、小次郎のモノを片付けたら家の中がものすごく殺風景なの。
「え、こんなにうちって何もないの?」って思うくらい。



ここに引っ越してから、小次郎が快適に過ごせる環境作りを優先してたから、ドームも、バスケットも、トイレも、寝床も、何もなくなった途端に妙に広く寂しい部屋になってしまって…



小次郎の居場所が我が家のアクセントになってたんだろうな。



この間、お世話になった動物病院に菓子折りを持って最後のご挨拶に行って来ました。
亡くなった翌日にお花も送っていただき、病気の判明には至らなかったとはいえ、ずっと手を尽くしていただいたお礼に。



こうして小次郎に関わる様々な事が片付いていく安堵感と共に、それ以上の寂しさがどうしても募ります。
何かで気を紛らわしいんだけど、何したらいいのかもわからず。
塞ぎ込んでちゃダメだと思っても、ゴールデンウィークと重なってたから、どこも混んでるだろうと出掛ける気にもならず。
ホントに連休中にちゃんと出掛けたの、昨日のお墓参りくらい (;^_^A
母は、5月に入った途端に歯痛で苦しみ、病院はどこもお休みなので治療出来ず、左頬が腫れ上がって、痛みにずっと我慢しなくちゃならなくて気の毒。
そういえば、父が亡くなった直後も連休に突入しちゃって役所が開いてなくて、大変な思いをした記憶が…
ゴールデンウィークを楽しめたのって学生時代だけだったなぁ。
今はもう迷惑なだけですよ〜(lll´д`lll)






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闘病の1ヶ月

2019-05-04 15:39:44 | さち&コジ
この1ヶ月、あまりにいろいろありすぎて、どう振り返ればいいのかもわからず、ブログも経緯が前後してしまっていますが(むしろ遡ってるし)やっぱり辛い闘病生活を思い返すまでには時間を要して…
それでも、いずれ記憶が薄れていってしまう前に、記録として残しておこうと思い、小次郎が懸命に頑張った証をここに記そうと思います。



3月初め頃、嘔吐は子猫の頃から1日2回なんて当たり前〜だった小次郎が、いつもと違う吐き方をし、回数も増え、2回ほど赤い泡のような嘔吐物を吐いたことから病院へ。
吐き過ぎによる逆流性食道炎の疑いありとのことで、とにかく吐かせないよう注意しなければならなくなりました。
あれだけしょっちゅう食べていた猫草も禁止。
でも、吐き気止め薬や胃薬を飲ませたものの、全く吐かないというわけにはいかず。



すると今度は、トイレに行ってはオチッコが出ない、出てもほんのちょっと、何度もトイレを行ったり来たり、そのうちトイレに座り込むという状態になり、膀胱炎の再発か!?と病院へ。
エコー検査や尿検査の結果、尿路結石の可能性は薄く、5日間通院し、皮下点滴と利尿剤を打ってもらい、そのうちオチッコトラブルは収束。
なんとなく小次郎の調子が上向きになってきたかなと思った矢先に、今度は小次郎の背中が曲がってることに気づきました。



本当に突然歪んでたんです。
そのうち、曲がった背骨のせいなのか後ろ足も曲がって来て、うまく歩けなくなっていきました。



ピクピクとしゃっくりのような小さな発作(?)も気になり、病院でレントゲン検査。
トータルに考えて、脳神経の影響かもと言われましたが、脳検査は全身麻酔をしなければならず高齢の小次郎には無理のため、先生からはあくまで可能性としての辛いお話もされました。
小次郎の下半身は、見る見る不自由になっていきました。



それと同時に、甲状腺機能亢進症の治療のために1年半続けてきたシリンジでの y/d缶の強制給餌を頑なに拒否し出し、何をしても受け付けてくれず、嘔吐やヨダレも始まり、小次郎自身がストレスですっかり元気をなくしてしまいました。
うまくいかない給餌に何度泣いたか…
それでも小次郎は泣く私の腕に何度も頭を擦りつけて慰めてくれたのです。
自分が一番嫌な思いをさせられているはずなのに。
私も母も「生きるために食べさせなければ」という思いと、本当にご飯を受け付けられなくなった小次郎の哀れな様子の板挟みに強制給餌の限界を感じ、病院に相談して経鼻チューブによる流動食給餌に切り替えました。



食事も薬も水分もこれでお互い楽に安心してあげられると思ったところ、薬を流し入れると必ず吐くようになりました。
今まで飲み続けてきたフォルテコールを3回に分けて少量にしてリキッドに混ぜても吐いてしまい、苦渋の選択として、リスクはあるけど薬を飲ませることをやめました。



それでも、嘔吐とヨダレは止まらず、とうとう全く歩けなくもなりました。
リハビリや鍼治療も施してくれる往診専門の病院を探し、自宅まで来ていただきましたが、リハビリ以前に、ヨダレを何とかしないとという事で前もって先生に問い合わせをし、注射や点滴を打ってもらいましたが、ヨダレが治まってたのは1日だけでした。
この先生には、いずれ小次郎が歩けるようになるためのリハビリを本気でお願いするつもりでいたのに、これっきりになってしまいました。



自分で寝返りも打てなくなり、よくこうして捻れて寝ていました。



トイレに行けば、30分〜1時間も這いずり回りながら、オチッコが出るまでもがき続ける日が続きました。
夜中もずっとトイレに行ってはもがき、オチッコが出ても、またすぐトイレに行こうとし…
そのたびにトイレと寝床に抱っこして連れていかなければならないので、私も母も寝られない日が続きました。
自力でオチッコを全部出しきれなくなってるということで、圧迫排尿を教わりました。
でも、私が仕事の時はどうしても長時間家を留守にしてしまうため、その間の小次郎のオチッコの処理は母に任せなくてはなりません。
なので、圧迫排尿のやり方を直接母にも教えてもらうために、また病院へ。



「オチッコを出し切らないといけない」というプレッシャーを感じてたんだけど「完全に出し切るのは我々医師でも難しいです」「最初のうちは、こまめに出してあげればいいし、マッサージしてあげるだけでもいい」という先生の言葉を聞いて、少し肩の力が抜けた感じ。



ウンチはいつの間にか寝ながらしてくれてるので助かりました。



食べて(正確には勝手に胃に流し込まれて)オチッコして、ウンチ出して…
こんな当たり前の事が、生きていく上でどれだけ大切か。
ただ、私も母も圧迫排尿になかなか慣れず。
それでも、寝床でそのまま圧迫排尿(もどき)をしてあげると、たまに気持ち良さそうに目を閉じて枕に頭を横たえて大人しくしてくれてる事もあったから、まんざらヘッタクソなわけでもないのかなぁ…なんて思ってたんですが、そのうち圧迫排尿する前にオチッコをお漏らしで出してしまうようになりました。



なので、常にペットシートを下半身の下に敷き、トイレは不要になりました。
たまにえづく事はあっても、だいぶ回数は減ったんですが、ヨダレはどんどん酷くなり、1日中、口をピチャピチャして辛そうでした。
寝てる時だけが小次郎の休まる時間でした。
起きている時間はずっとヨダレに苦しみ、病院でも原因はわからず、小次郎はもう自力で何も出来ない状態にまで弱りました。
業を煮やして別の病院で診てもらい、やっと『消化器型リンパ腫』と診断されました。
末期なら余命は1〜2週間とか、希望が持てない情報ばかりがネット検索で目に入りました。
それでも、せめてヨダレが少しでも治まって、今小次郎を苦しめている痛みや気持ち悪さが和らいでくれれば…との思いで、処方された痛み止め薬を飲ませた結果、激しい発作を起こして、苦しみながら亡くなりました。

この1ヶ月の小次郎の容体は日1日と変化し、さちの時のように対応が間に合わないほどで、こんなに弱ってしまっているなんて思いませんでした。
ついこの間まで元気に歩いて甘えてきてくれたのに、なんでなんで!?という思いばかりで、なんとか回復してもらおうといろいろ試みましたが、小次郎の老体はもう限界だったようです。
たくさん嫌な思いをさせてしまったのに、小次郎は最期まで頑張ってくれて…
本当に耐え抜いてくれて…
今思うと、さちが亡くなってからの1年9ヶ月、食欲不振や舐めハゲなど病院に厄介になってばかりだったけど、さちを失って悲しんでる私たちを慰めるために、ここまで生き延びてくれてたんじゃないかと思えるんです。
私たちはもっともっと一緒にいられると思っていたけど、小次郎は本当ならもっと早く天に召されてもおかしくない身体だったのかも。
勝手な思い込みですが。
小次郎には懺悔の気持ちと共に感謝してもしきれない。
いつだって小次郎の存在に勇気付けられました。



昨年の引越しも心配したけど、引越しした当日、ずっと鳴き喚いて挙動不審だったのに、夜になって母と私と弟と、家族が揃ってる様子を見て安心したのか、すぐ新居に慣れてくれました。



小次郎が確実に「家」ではなく「家族」に懐いてくれてたんだって嬉しくもありました。
毎日、小次郎が待ってくれている家に帰宅するのが楽しみでした。



あんな形で小次郎を失ってしまった我が家。
母に言われました。
「アンタはこれからはもう保護猫カフェとかで猫と触れ合うだけにしてよ。もう猫は飼えないからね」」
…やっぱり来た!
私が「そんな風に言ったら小次郎が自分のせいだと思って可哀想じゃん!」と言ったら、母は「もう猫を飼っても面倒見きれないでしょ。あんた1人になっても出来る?」と。
確かに、さちの時もコジの時も、母がいたから私は仕事に行けたし、母も私が家にいる時間に出掛けられたし、小次郎のように24時間介護が必要になった時、母が先立って私が1人になったら、どこまで行き届いた世話をしてあげられるんだろう。
単に「もうこんな悲しい思いをしたくないから飼わない」ということだけではない母の言葉は重かったです。
そして、私自身もさちと小次郎の看護・介護を通して、飼い主失格だと思い知らされました。
母も弟も口には出さないけど、私のこと呆れてるんじゃないだろうか。
正直、動物を看取ることへの恐怖心も芽生えました。
私じゃ、最期を苦しませるだけだと自信も失いました。



それでも…
それでも…
猫のいない生活にどこまで耐えられるだろう?
一生面倒を見れずとも、里親に託すつもりで保護するってことも出来なくはない。
でも、絶対情が移るから、やっぱり一生一緒にいたいって思うだろう。
だって、小次郎とのお別れの時に言っちゃったんだもん。



「小次郎、さちと一緒にまたうちに戻っておいでね」って。





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病気判明と最期の日

2019-05-03 09:07:55 | さち&コジ
あの日から1週間。
小次郎が亡くなった日の記録です。
やっと大元の病気がわかった数時間後に逝ってしまうなんて想像も出来なかった。
小次郎の命を奪ったどうしようもない飼い主と非難されようとも、いつまでも忘れないように戒めのために自分の過ちも書き記そうと思います。



小次郎のえづきとヨダレは一向に治まる事はありませんでした。
逆にヨダレは日に日に酷くなって、夜中ずっと悶えながらチュパチュパやってる。
もう可哀想過ぎる。



結局、食道炎でもストレスでもなかったの?
ネットで調べても、どれもこれも症状が当てはまって堂々巡り。
やっぱり脳神経か!?
数値は正常とはいえ、腎不全になったのか!?
胃腸炎なのか!?
甲状腺機能亢進症の数値が悪化したのか!?
どれにしろ、胃薬も制吐剤も吐いちゃうし、どうしてあげたらいいの、小次郎!
毎日泣きたい気持ちで過ごしてても埒があかない。
掛かりつけの病院はとても信頼しているけれど、原因がわからないままじゃ辛い!
そこで、迷ったけれど近所の別の病院に行って来ました。
出来れば、掛かりつけの病院にセカンドオピニオンとして話を通しておきたかったけど、時間の猶予がない!
ぐったりした小次郎をキャリーに入れて、自転車で行くにはちょっと怖い道。
狭い道なのに自動車の往来が激しいから、小次郎を連れてなくても通りたくない道。
でも仕方ない!

今までの診察の経緯と現在の症状、血液検査のデータも見せて、とにかくヨダレをどうにかしてほしい旨を伝えると、先生いつの間にかエコー検査に入ってた!
そして「やっぱり」と。
腸に1cmほどの腫瘍があると。



エコーの映像で説明を受けたけど、イマイチ分からず。
しこりも触らせてもらいました。
そして、やっとヨダレの原因がわかったんです。

『消化器型リンパ腫』

高齢猫には多い病気だそうです。
ガンとわかった途端に、また大人気なく泣き出してしまう私。
情けない。
腫瘍が食べ物の通り道を狭くしてしまい、スムーズに通らないことによって嘔吐やヨダレとして反応してしまうとのことで、これは生理的なものとして仕方ないんだそうです。
先生は、この腫瘍が早くに見つけられなかった事も踏まえて、掛かりつけの病院の診察をフォローしながら説明してくれて「今行なっているリキッドでの食事療法は正しいと思います」と言ってくれました。
そのまま続けるべきと。
きっとそれしかなかったんだろうな。
しっかり食事を摂らせる事以外に出来ることは限られていたんだろうな。
でも、原因がはっきりわかってスッキリしました。
だって、今後はリンパ腫のことだけに絞って治療法をリサーチ出来る。

帰宅してから『消化器型リンパ腫』を調べてみると、3月上旬に激しい嘔吐から始まって、オチッコトラブルや足の麻痺など、すでに腫瘍による症状がもう始まっていたのかもと思えてきました。
目にする余命の短さもショックだけど。
小次郎の今の状態と年齢を考えて、抗ガン剤などの治療はやらずにおこうと思っていました。
延命よりも今ある苦しみを緩和してあげたいだけ。
それにしても、さちも小次郎も結局ガンかぁ…
しかも別の病院で腫瘍が見つかるパターンも一緒。
どこまでも仲良しだな、お前たち…



夜になって、病院で処方された痛み止めの「メタカム」を飲ませてみました。
先生には薬を飲ませると必ず吐いてしまう事は伝えていました。
この薬は、ハチミツ味のシロップで副作用もないらしく、吐いたらやめるようにと言われました。
薬への拒絶反応にヒヤヒヤしながら、少量のシロップを水と一緒に慎重に流し込む。
どうか小次郎の痛みを少しでも抑えてあげて!
静かに寝ていた小次郎の様子がたちまち変わりました。
発作のように頭を震わせながら苦しみ出したのです。
今までのように吐くどころの騒ぎじゃない!
「コジ!コジ!どうしたの!苦しいの!?」
「ゴメンね、ゴメンね!」
泣きながら小次郎の頭を支えて、身体をさすって落ち着かせようとしますが、かなり長い時間苦しみました。
小次郎の身体は完全に薬を受けつけなくなっているのか…
翌日から飲ませる予定だった粘膜保護薬も断念せざるを得ません…!
もう小次郎に薬を飲ませる事は不可能。
呼吸を懸命に整えようとして横たわっている小次郎が不憫で不憫で…
それと同時に、苦しませることしか出来ない自分の不甲斐なさに打ちひしがれて…
もうこのまま何もせずにいた方がいいのか…

しばらく落ち着いて寝ていた小次郎。
それでも普段より呼吸するお腹の起伏が大きいのは気になってたんです。
そして、ふと小次郎に目を向けた時、明らかにおかしな動きを始めました。
慌てて小次郎の元に行くと、前足が突っ張ったようになり、数年前に何度か起きた発作のような感じに。
母と身体をさすりながら落ちつけようとしますが、今までした事もない呼吸で、そのうち息が一瞬止まり…
「小次郎!小次郎!」
また大きく息を吹き返し…
数秒に一回の呼吸になり、私は泣きながら叫びました。
「小次郎!ダメだよ!まだ逝っちゃダメだよ!おねーちゃん、まだコジに何もしてあげられてないんだよ!」
悶えながら苦しむ小次郎の頭を抱えて、必死にさすって刺激を与える。
このところずっと小次郎の鳴き声を聞いてなかったのに、この時は小さな可愛い声で「アァーン」「アンン」と微かに鳴き声をあげました。
「助けて」「辛いよ」「もう終わらせて」って言ってるようにも感じました。
こんなに苦しんでるのに、まだこの世に引き寄せようとする私のエゴ。
私が毒を盛ったようなものなのに、酷いもんです。
でも、これが本音!
「まだ逝っちゃダメ!こんな風に逝っちゃダメ!」
だいぶ経ってから、少し呼吸が落ち着いて来たような。
それでも苦しそうなのは変わらない。
名前を呼び続けながら、身体をさする。
よりにもよって、こんな病院もやっていない時間に…!
以前教えていただいていた夜間救急の病院に電話もしたけど繋がらず。
お願い、朝まで持って、コジの命!
でも、長い、朝まで長すぎる!
動揺する私の腕の中で再び小次郎の呼吸が止まり出しました。
止まっては大きく吹き返し、止まっては吹き返し…
「コジ!これじゃ、さっちゃんの時と一緒だ!ゴメン、ゴメンね!おねーちゃんが余計なことしなければ!薬を飲ませたりしなければ!ゴメンね!小次郎、まだ逝かないで!」

とうとう小次郎の呼吸は完全に止まってしまいました。

私は子供のように泣きじゃくり「私のせいだ!私のせいだ!またやっちゃった!」と、未だに目の前で起きた事が信じられなくて、呼吸困難になりそうなくらい叫び続けました。
その横で冷静な母は「そんな事ないよ…小次郎、この1ヶ月よく頑張ったね…頑張ったよね…、お利口だったね」と、涙声で小次郎を撫でていました。
そして「もう目を瞑ってもいいんだよ」と、目が見開いたままのコジの瞼を必死に閉じさせていました。

散々泣き喚いた後、放心状態で小次郎をさする。
私はなんてバカなんだろう。
さちの時と同じ事を繰り返して。
薬を受け付けないのわかってて、なぜ飲ませたんだろう。
痛みを取り除いてあげたかったから。
吐いたらやめればいいと思ったから。
こうしていつもいつも楽にしてあげたい、辛いのを和らげてあげたいと思ってした事が全部全部裏目に出て。
結果、さちと同じように苦しいまま逝かせてしまった。
おそらく小次郎の身体は、もう薬どころか流動食とお水を受け入れるだけでも精一杯のギリギリな状態だったのかもしれない。
それならそのまま流動食とお水だけで少しずつあげていれば、小次郎はあと数日、生きていられたのかもしれないのに。
その反面、そこまで毎日痛いとか気持ち悪いとかで、前足で枕を引っ掻いたり、もがいたりしながらヨダレと格闘している小次郎の苦しみを早く終わらせてあげられたのかもしれないという傲慢な思いも湧いてくる。
勝手すぎる。
穏やかな余生をなんて言っておきながら、全く正反対じゃないか。
母の言う通り「薬やめたら?」「病院行くのやめたら?」「ネットで調べるのやめたら?」を実践していれば、結果は違っていたのかも。
こんな無知で判断能力の欠ける飼い主のせいで、小次郎に一番避けたかった死に方をさせてしまった。
小次郎への申し訳なさで胸が潰されそうになりながらも、なんとか小次郎を楽な姿勢で寝かせて、ずっと身体を撫でました。
病気になっても毛並みだけは綺麗だよね…

小次郎の前足を触ってみると…



後ろ足は特にだけど、もう紙っぺらのように薄くて軽くて…
体力が戻ったらリハビリして、完全に歩けなくても自分の行きたい場所に這って行けるくらいにまでなれたらなって、微かな希望を持っていたけど、もうそんな筋肉もなくなってたんだね…
本当にギリギリの身体で、私たちにされるがままに頑張ってくれてたんだね…!
可哀想な事をしてしまった。

今まで我が家を明るくしてくれた小次郎に恩返しがしたかったのに、何も出来ないまま…
どうしてこんな弱った身体の老猫が最期の最期で苦しんで逝かなきゃいけないんだろう。
どうして家族を癒してくれた動物がどの子も穏やかに眠るように死を迎える事が出来ないんだろう。

この日は、いつものように小次郎と私と母と並んで寝たんだけど、1つ違うのは、小次郎が辛そうにして一晩中寝られず、私たちも小次郎の世話で一睡も出来ず……から解放された事。
皮肉にも、私も母も、そして小次郎もようやく深い眠りにつける夜を過ごしたのです。





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苦しみからやすらぎの世界へ

2019-04-29 11:45:53 | さち&コジ
まだ…
気持ちが落ち着かなくて、小次郎の事も自分の記録として残しておきたいんだけど、まだ整理がつかなくて…
ブログに書くのが追いつかないくらい小次郎の容態が日々変わっていき、この1ヶ月の目まぐるしい毎日を振り返るのはまだまだ辛いから、それはもう少し後にして。
思いもよらぬ形で訪れた小次郎との別れの後から綴ろうかと…



夜中に突然逝ってしまった小次郎。
私と母の嘆きは相当でした。
それでも朝、病院に電話をして「鼻のチューブを外してほしい」とお願いしました。
すでに身体が硬直して、いつものキャリーバッグには入らない。
家にあったダンボール箱に小次郎をそっと入れて、雨に濡れないようにビニールを被せ、自転車の荷台に乗せて母と病院へ。
そしたら、ちょうど雨がひどくなって、私も小次郎の箱もびしょ濡れ。
ビニール被せてて良かった!
こういう時、車があって運転出来るといいですよね。

病院に着くと、院長先生からお悔やみの言葉をいただきました。
チューブの抜糸が終わり、小次郎の顔とお尻を見た先生「洗いましょうか?」
コジの顔はチューブとヨダレのただれで鼻と口周りがカサブタで汚れてしまっていて、お尻はお漏らしで濡れてしまい、一応家で綺麗に拭き取ったつもりなんだけど、やっぱり洗い流せてないから汚くて。
「ぜひお願いします」
私たちは、待合室で待機。
ずいぶん時間がかかってるなぁ?と思っていたら、終わって箱に寝かせられた小次郎の身体はとてもとてもとてもとても綺麗になっていました。
耳の中も掃除してくれたのかな。
シャンプーのいい香りがしました。



良かったね、小次郎、オチッコまみれのまま旅立たなくてすむよ。
顔も元気な頃みたいにハンサムだよ。
ちょうど空いてる時間帯だったため、院長先生や女医のT先生、他のスタッフさんが見送りに出て来てくださいました。
T先生「小次郎ちゃん、頑張りましたね」
「はい、小次郎は本当に本当に頑張ってくれました」
T先生「星野さんもお母様も一緒に頑張ってましたよ」
「いろいろ手を尽くしていただき、ありがとうございました」
泣きながらお礼を言い病院を出ると、雨は上がっていました。
一年前まで住んでいた団地の跡地の前を通ったので「小次郎、前のおうちのあったとこだよ〜」と声をかけました。
帰宅してからは、1人になると小次郎の顔や身体を撫でて、話し掛けては大声で泣き続けました。
身体は固くなってたけど、毛並みはサラサラで、顔も穏やかで、ふと目を覚ましてくれるんじゃないかと、何度も何度も名前を呼びました。
きっと母も1人の時は同じことしてたんじゃないかな。

小次郎が発作で苦しみ出した様子を見ていながら死に目には会えなかった弟が家に寄ってから、棺代わりの箱の中の敷物を3人で変えました。



小次郎の寝床やバスケットに敷いていた薄いクッションで底上げし、寝たきりの小次郎の頭を支えてくれていた枕を入れて、小次郎が楽になる姿勢で寝かせて、小次郎がまだ自分で食べられていた頃に好きだったフードを口元に添えました。
1年半くらい薬の混ざった療法食のみで、しかも強制給餌だったもんね。
辛かっただろうに、よく耐えてくれたね。
もう存分に美味しいものを好きな時に好きなだけ食べていいんだよ。
Sっ気のあった性悪女(笑)のさちはひまわりメインだったけど、小次郎は絵に描いたような草食系男子だったので、ソフトな色合いの優しい花で包みました。
母は「私の好きな色だ」と喜んでいました。
弟は何度も「生きてるみたいだ」と小次郎の顔を覗き込んでいました。
「やっぱり小次郎が一番可愛いなぁ」
「皆可愛いけど、小次郎は特にだなぁ」
男同士、妬けるほど仲良かったもんな。
「愛された動物は、あっちで主人が来るのを待ってるんだってさ」
うわ…今そういう話やめてよ…また泣いちゃう!



翌日、ペット霊園の方が小次郎を迎えに来るまで、小次郎のそばにいました。
1ヶ月前まで元気だったから、きっとまだ回復出来るって信じて、いろいろやっちゃったけど、もう小次郎の身体はそれに耐えられないほど弱っていたんだね。
どうして犬や猫はこんなに寿命が短いんだろうね。
どうしてこんなに人間との寿命の長さに差があるんだろうね。
おねーちゃんはまた撫でたらゴロゴロ言ってほしかったの。
ちょっと触るだけで喉を鳴らす小次郎に、いつもみたいに「やっすい男だな」って笑って手櫛でブラッシングしてあげたかったの。
おねーちゃんはまた小次郎と会話したかったの。
「なー」「なー」「なー」「なー」って、正直何話してるかわからないけど、声真似しながら、小次郎の可愛い声をいっぱい聞きたかったの。
おねーちゃんはまた名前を呼んだら振り向いてほしかったの。
歩けないから寄ってはこられなくても、いつもみたいに小次郎の「こ」って言っただけでそばに来てくれてた小次郎に「おまえは自意識過剰だなぁ」って笑いながら、おでこを撫でてあげたかったの。
もう少し暖かくなったら、ベランダに出して日向ぼっこもさせたかったの。
そんなささやかな事だけを願ってたのにね。
でもその一方的な思いが小次郎を苦しめちゃったんだね。
私が感じる「あっという間の1ヶ月」は、小次郎にとっては、もっともっと長い1ヶ月だったんだよね。
人間の尺度でばかり考えてたおねーちゃんを許してね。
そんな事を心の中で語りかけながら、ひたすら顔を撫でていました。



猫の姿をした小次郎を撮影するのは、これが最後。
もう新しい小次郎の写真が増える事はないんだね。
やすらかな顔だね。
やっとやすらげたんだね。
可愛いよ。
お疲れ、小次郎…

予定より早く霊園の方が来てしまい、泣き顔のまま家に迎え入れる事に…

これが最後なんだ。
小次郎の姿がこの世からなくなっちゃうんだ。
このまま小次郎の身体が腐らないなら、ずっと家に置いておきたい!
小次郎のいない家なんて考えられない!
心の中では小次郎が連れて行かれる事に抵抗しながらも、表向きは淡々と説明をしたり聞いたり手続きしたり。
なんと、ここでクッションや枕は火葬の際に燃え残る可能性がある事が判明!
なんてこったい!
せっかくセンスのないなりにお花を敷き詰めたのに、霊園の方でクッションや枕を取り除く事になるらしい。
うわーん、小次郎ゴメンね!

最後のお別れと、箱の蓋に一言を書く時は、もう涙堪えきれず。
さちの時と同じ『うちに来てくれてありがとう』と書きました。
蓋を閉める瞬間に思わず「小次郎!またうちにおいでね」と声をかけてしまいました。

私が箱を抱いて、母と車まで降り、合掌の中、小次郎は旅立って行きました。
車は見送る私たちのためなのか、ゆっくりゆっくり遠ざかっていきました。

家に戻って、今度は小次郎のお骨を迎える準備。
あまり気乗りのしない作業でした。
仏壇に飾る写真は、前の日にすでにプリントしていて、小次郎の写真とさちコジ2匹一緒の写真。
やり方が分からず、お店のおばさんに教えてもらいながらネットプリントした時に、写真を見たおばさんが「まぁ、可愛い!仲良しね〜」と褒めてくれました。

小次郎の姿がなくなってしまった部屋を見渡して、また大泣き。



涙は枯れる事がないのかな…

2日後の今日、姿を変えて小次郎が我が家に帰って来ました。



小次郎らしい優しい控えめな色に包まれて。
(さちより主張しない色とも言えるかな)
28日10時10分に火葬されたそうです。



実は昨日、お世話になった動物病院からお花が届いたんです。
メッセージ付きで。
母に読み聞かせようとしたけど、涙でギブアップ。
お心遣いありがとうございます。



おかえり。
ちび②とさちと小次郎(ちび①は土に埋めちゃったので)
お骨を置くスペース作るの大変だったんだよ。
ここなら、いつでもおまえたちが目に入るからね。

おかえり。
おかえり。
おかえり…小次郎。





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ご報告

2019-04-26 08:29:49 | さち&コジ
2019年4月26日
午前0:40


星野小次郎


15歳1ヶ月で
天寿を全ういたしました



あまりに突然のことで
気持ちの整理がなかなかつきませんが
小次郎は今やっと苦しみから解放されて
穏やかな顔で眠っています


息のあるうちに
「ありがとう」を言えなかったことが
悔やまれますが
「お疲れ様」と100万回労いたいほど
忍耐強く頑張り抜きました
私たちのために頑張ってくれました


おかーさんも
おねーちゃんも
寂しくて悲しくて悔しくて
一晩で涙枯れるくらい泣いたけど
小次郎との15年分の思い出は
永遠に尽きることはないよ


ねぇ小次郎
さちが迎えに来てくれたかな


頑張ったね
本当に頑張ったね
自慢の末弟だよ
ありがとね
ずっと大好きだからね





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圧迫排尿デビュー

2019-04-23 16:20:09 | さち&コジ
給餌の悩みは1つ消えたんですが、もう1つ並行して小次郎の苦しみになっていたトイレ。
頻繁にトイレに行きたがり、トイレでも30〜40分かけてオチッコ出して、もどかしいのか辛いのかペットシートをガリガリ引っ掻きながら、這いずり回ってて。
その間、こちらもずっと様子を見てなきゃいけないから、夜中もほとんど寝られず。
母も私も小次郎も疲労困憊。
何よりトイレの間、やっぱりヨダレがひどいのです。
もう見てられなくなって病院へ。

念入りにエコー検査していただいた結果、内臓からは特に原因となるモノは見当たらない。
疑いのあった膀胱炎とはちょっと違う症状だと。
頻尿ではなく、出す時はそれなりの量を出せているので、自力でオチッコを出し切れなくなってるそうで。
院長先生は「あなたが出してあげればいいじゃない」といとも簡単に言うんですけど、私たち飼い主、素人ですからぁ!٩(≧□≦)۶
そこで今後は、よく耳にする(目にする)『圧迫排尿』することになりました。
…いよいよ、来たか!(ll0艸0)

先生からレクチャーを受けます。
まず、膀胱の位置がわからない!
どれくらいの力で絞ったらいいのかわからない!
どれが出し切った状態なのかわからない!
ひえー、こんなの私に出来るかしら!
先生は「あ、これはもう少し残ってるから出し切れそうですね」と。
えー、わかんない、それがわかんないのよ〜
あんなに家でオチッコ出してたのに、病院でもかなりの量出ました。
下半身をシャンプーしていただき、皮下点滴と、ステロイド注射(往診の先生が打ったら、ヨダレが止まる効き目が少しあったという判断で)をして終了。

帰宅してから、食事の際のヨダレや嘔吐もなく、オチッコの残尿感もなくなった小次郎は、その日とても落ち着いて寝ていました。
たまに「死んでるんじゃないか!?」と心配になって見に行くくらいに。
久しぶりに穏やかな夜を過ごせました。

で、夜中にトイレに行きたそうにソワソワし出したので、いよいよ私の出番!
深夜3時に一人きりの圧迫排尿デビューです。

小次郎を横に寝かせて、足の間に手を突っ込んで膀胱を探る。
手加減しながら恐る恐る押し出すと、ピューではなく、ジワリジワリと尿がちょっとずつ出て来る。
時間がかかってしょうがない。
出し切ったって、どう判断するの〜?
この間、小次郎はヨダレを辺りに撒き散らす。
とりあえず大丈夫かなと、小次郎を寝床に戻して再び就寝。

すると、しばらくしてまた小次郎がソワソワ。
え、やっぱりまだ残ってた!?
圧迫排尿再チャレンジ。
小次郎が上半身をしきりに動かすので「痛いのか!?」「他の臓器弄ってんのか!?」と、もうヒヤヒヤしっぱなし。
これも出し切った感が私自身よくわからないまま、小次郎を寝床へ。
下半身、オチッコでびしょ濡れになっちゃう。
その後は落ち着いて寝ていましたが、朝からやっぱりヨダレが…
ヨダレ、いやーーーっ!
もう、ピチャピチャされると辛いーーーっ!
どうしてあげたらいいのかわからないーーーっ!O(≧ω≦)O

その後、腕に舐めハゲ発見!
やめてーーーっ!
舐めハゲ、私のトラウマ、やめてーーーっ!!!O(≧ω≦)O

圧迫排尿は母にも覚えてもらいたいけど厳しいかな。
いや、でも私がいない時間はやってもらわないと。
いくらネットでコツを調べても、結局は『慣れ』だと…(|||□|||)
また試行錯誤の日々が続きそうです。



おねーちゃん、早くコツを掴めるように頑張るね…!
1日も早く小次郎がヨダレから解放されるために…!(とは言うものの、ヨダレの原因だけはホントよくわからん!)





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薬やめました

2019-04-21 20:17:03 | さち&コジ
毎日、給餌の時間は緊張します。
あっという間に終わる点では、シリンジでの強制給餌に比べたら全然楽だけど、小次郎が苦しむ点ではあまり変わらない。
このチューブは命に関わるチューブ。
ずっと流動食だけを流していた時は問題なく与えられていたのに、フォルテコール1錠を粉末にして3回分に小分けにして、味もわからないくらいの少量にしてリキッドに混ぜて与えても、激しくえづく。
何も出はしないけど、もがいてるかのようにえづく。
もう可哀想で見てられない。

母からは「もう薬止めたら?」と何度も言われてたけど、病院で直接話を聞いている私からしたら「止めたら死んじゃうよ!?」
フォルテコールは、腎不全に効果的な薬らしいのですが、小次郎は以前発作を起こした時に処方されて、心臓の薬としてずっと飲み続けてきたんです。
その時に「毎日必ず飲ませてください。でないとリスクが高いです」と言われていたので、私は「他の薬はともかく、これだけは飲ませないと!」って頭凝り固まってて。
でも、ここ最近の小次郎の苦しむ姿を見ているうちに「延命にはなるんだろうけど、今こんなに辛い思いをさせて何になるんだろう」と思い始めて。
結局のところ、小次郎ともっと一緒にいたい私のエゴでしかない。
もう充分生きたじゃない。
さちが逝ってから2年も頑張ってくれてるじゃない。
80歳近いおじいちゃんをこれ以上苦しませてどうすんの。
薬を止めて、それで命尽きる日が早まるのなら、それが小次郎の寿命なんだよ。
そう思えたら、スーッと気が楽になりました。

一応、病院に電話して、他の薬も含めてフォルテコールを止めることを告げました。
院長先生も「一旦止めて、体調が良くなったらまた始めればいい」と納得してくださいました。
その日から、トラウマなのかたまにえづくことはあっても、給餌の後、ピチャピチャせずに落ち着いて寝ている小次郎の姿に一安心。
ようやくお互いリラックスした気持ちで給餌出来るようになるかなって思った矢先、夜中に見たら、いつの間にか鼻からチューブが外れてたアクシデント!Σ(`oдО´)



翌朝慌てて病院に行って、チューブの再設置。
んもー、心休まる時間をなかなか与えてくれんのう、小次郎くん。

でも、食事へのストレスをなくして、ご飯の量を少しずつ増やして体力つけようね。
焦らず…焦らず…
ゆっくり小次郎との時間を…





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新しい給餌方法⑥

2019-04-19 16:12:03 | さち&コジ
1日の始まりに「今日はどんな思いをして過ごさなきゃならないんだろう」とため息の日々。
小次郎の様子を聞くのが怖くて帰宅するのに気が重い日々。

翌日、仕事を終えて帰宅。
小次郎、ぐっすり寝ています。



「ご飯あげた?」
「あげたよ、2回あげたよ」
「吐かなかった?」
「吐かなかったよ」
「2回とも!?」
「そうだよ」

ど、どういうこと!?

「ヨ…ヨダレは…?(恐る恐る)」
「あれから全然出てないよ」
「全然!?」
「全然」
「ウソだぁ!!!」

…薬が効いたのか!?

しかし…
私的にはかなりショック!
母の給餌は受け入れて、私の給餌は吐くのか!?
い、いや、薬の有無が関係しているのかもしれないし!
さっそく胃薬をリキッドに混ぜて、母に給餌してもらってみました。
私はドキドキし過ぎて、自分の部屋で静かに、祈るように終わりを待つ。



「終わったよ」
「は、吐かなかった!?」
「小次郎、微動だにしないで寝てるよ」

マ、マジかーーーーーっ!!!

薬の有無ではなく、やっぱり私の給餌を拒絶してたのか!?
そ、そりゃこのところずっと病院に連れて行って、診察台の上でコジの身体を押さえ込む役目ばかりだったけど、そこまで嫌がられてたなんて!

もうこうなったら、給餌の準備と片付けは私がやって、給餌だけは母にやってもらうことにしました。
少ない量で回数多く。
そして、少しずつ量を増やしていければ…

…またぬか喜びでした。
次の給餌、薬はナシ。
ところが、またヨダレが復活!
嘘でしょう!?
で、給餌直前にいきなりえづき出して「オエーーーーッ!(中身は出ない)」
やっぱり薬?薬なのか?
さっきの胃薬なのか!?
リキッドに混ぜてもダメなのか!?
胃薬だぞ!?

そして夕方の給餌、フォルテコールを混ぜたリキッドを母に託す。
流し始めた途端にむっくり起き上がって、歯ぎしりのような音を出し(気持ち悪い時)えづき出し、吐かないものの2回オエッ!
やっぱり薬入りだと反応するのか…?
なんで、わかるんだ?
どうしよう、フォルテコールは毎日欠かさず飲ませなきゃいけない薬なのに。
もう小次郎の体は薬を受け付けないの…?

しばらくヨダレが出てなかっただけで、口周りも少しだけ綺麗になってた。
ブラッシングしてあげたら、気持ち良さそうに何度も私の顔を見上げてくれた。
そんな嬉しい時間はあまりに短かった。



翌日、母が数度給餌した時、1回だけえづいたらしい。
そして、再びヨダレでピチャピチャしっぱなし。
やめて…もうやめて〜
またタンスの隙間に潜り込んでる小次郎。
不自由な身体でどうやって入ったんだよ…

ネットで原因を調べても、どれもこれも今の小次郎に当てはまりそうなものばかりで、結果的には「早めに獣医へ」ってなる。
病院行ってもわかんないんだっつーの!

…と、母の留守中に小次郎のトイレの介助をしていて、なんとなくわかったんです。
小次郎のストレスは相当なものなんだ。
トイレを済ませていつもの寝床に抱いて戻ったら、直後にまたタンスとタンスの狭い間に潜り込んだり、呼吸がとても荒かったり、腕をしつこく舐め続け始めたり…



そうか。
連日、小次郎にとって嫌なこといっぱいやってきちゃったもんね。
小次郎に楽になってほしくて必死にやったことが、小次郎には辛い結果になってばかりだもんね。
経鼻チューブ自体は大丈夫なんだと思う。
流動食は嫌がらずに受け入れてるから(寝てる間にあげられる時もある)
ただ、薬が入ってると必ず吐く。
なぜかチューブに流し込んですぐに反応する。
おそらくそれがトラウマで、次の給餌の時にもえづいたり、ヨダレが出たりするんだろう。
だって、寝床で誰にも構われずに落ち着いてる時にはヨダレ止まってるもん。

紆余曲折した結果、まさかのストレス。
ただ、薬だけは絶対飲ませないと!
寝床に近い場所にも簡易的なトイレは用意してるけど、もっと小次郎のしやすいスタイルに変えてあげないといかんな。
今の生活の中で小次郎のストレスを和らげる事なんて出来るんだろうか。
逆に治療法ないんじゃ…

流動食はまだ回数多めで少量ずつ。
フォルテコールは、3回分に小分けして、味ではわからないようにして飲ませてみる。
これが正しい方法なのかわからないけど仕方ない。
それでも数時間後にえづいてしまう。
今まではy/d缶に混ぜて飲ませられていたのに。
胃腸が弱ってるのかなぁ。
毎回、慎重すぎるくらい慎重に飲ませています。
神仏に祈るような気持ちで飲ませてます。
(あ、実際飲ませてるのは母ね。私は準備&遠くからの見守り役)
ヨダレの回数は減ったような気がするけど、トイレがままならなくて、ここでもピチャピチャ。
1回のオチッコにかなり時間を要し、かなり体力を消耗してる。

食事、薬、排泄。
命を繋ぐための行為が小次郎のストレスになってしまってる厄介さ。

心休まる日はいつ訪れるのでしょう?
私もストレス溜まりそうです。





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新しい給餌方法⑤

2019-04-18 17:42:48 | さち&コジ
歩行が不自由になった小次郎のリハビリをお願いしようと検索しまくって、うちの地域が往診範囲の病院を見つけたので、予約を取ってた日。
でも、この小次郎の状態はリハビリどころじゃないんじゃないか?
ダメ元を覚悟で、今の小次郎の様子をメールして、食道炎に効果的な薬などを用意してもらえるか問い合わせ。
先生、すぐに対応してくれました。

車で来てくださった親しみやすそうな女医さん。
さっそくカルテの作成。
数年前の心臓から来る発作から始まり、甲状腺機能亢進症、嘔吐、膀胱炎、背骨の歪み、食欲不振、ヨダレ…
説明しながら、小次郎ずいぶん病院に厄介になってるなぁと改めて思った。
先生は、ヨダレや嘔吐の原因にやはり首を傾げながらも、点滴、ビタミン剤、コンベニア注射、ステロイド注射を打ってくれました。
炎症を抑える薬がどこまで作用してくれるのか。
コンベニアとステロイドは2週間くらい効き目があるそうなので、様子見ですが。
で、リハビリの方は延期になりました。
まずはご飯を食べて体力をつけるのが先。
腰の痛みとかもなさそうなので、鍼治療もなしにしました。
今の状態で出来る軽いリハビリを教えてもらい、診察終了。

そして、この日の朝に給餌してた時に気づいたんだけど、小次郎、リキッドとお水だけの時は吐いてないんですよ。
まぁ、給与量ははるかに少ないけど。
薬を溶いたお水になぜか反応しちゃうのかなぁ?
行きつけの病院では、薬とリキッドを分けた方がいいかもって言われてたから、そうしてたんだけど。
でもチューブを通って胃に流してるから味とかわかんないと思うんだけどな。
その話をしたら「なら、リキッドに直接薬を混ぜて大丈夫だと思いますよ」と。



小次郎が落ち着くのを待って、この日3回目の給餌。
薬はなしのリキッドのみのはずなのに、またえづいて、吐出はしなかったものの完全にオエーッとなりました。
もう何度目の絶望感…!
ただ、夜に母が給餌した時は微動だにせず、すんなり受け入れてたんです。
え、私が下手なだけ!?
だって、そんなに技術を要する作業じゃないよ!?

♪ もしかしてだけど〜
もしかしてだけど〜
私の給餌の拒絶反応なんじゃないの〜?
そういうことなの!?
ジャン!


…続く!





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新しい給餌方法④

2019-04-17 16:14:26 | さち&コジ
再び病院へ。
「はーい、ではお預かりします」と、サッと小次郎を奥へ運び、サッと処置を終えて返してきました。
あ、本当にチューブを取り替えるだけで、小次郎の診察的なものはないんだ。
チューブのサイズを8フレンチから6フレンチにしたという説明以外は、特になし。
すぐお会計。
ずいぶんあっさりだな。
細くなった方のチューブの予備もくれなかったな。
こっちは、これがダメならもう後がないくらいの気持ちで、待合室でずっと涙堪えてたのに。
3日飲ませていた腎臓サポートリキッド(3日目はまともな量を飲ませられてないけど)からクリティカルサポートに変更することに。
より高カロリーのものが望ましいと。
今後、ちゃんと小次郎が受け付けてくれるのか心配だったけど、とりあえず3本購入。
帰りは、なんだか小次郎の処置があまりに事務的に感じてモヤモヤ。
私がチューブの設置にケチつけたみたいに思われたのかな…

帰宅して、小次郎をいつもの寝床へ。
病院でのキャリーの中では、口をチュパチュパしてなかったから、願う気持ちでいたんだけど、寝床に横になったとたんヨダレが…
これはチューブを変えてもダメだったか…!
ここで絶望的になって大泣き。
小次郎の辛さを減らしてあげられない事を謝り、小次郎を撫でながら「ヨダレ止〜まれ!」「気持ち悪いの止〜まれ」「元気にな〜れ」と、ひたすらコジの体に暗示をかける。
こんな事したって何にもならないってわかってるけど、わかってるけど!



朝に少し飲ませて吐いちゃったきりのご飯をあげねばなりません。
正直、怖くてたまりません。
だって、これで吐いちゃったら、もう小次郎は…!
ちょっとずつあげよう。
給与表は無視しちゃって、今日は少しだけにしよう。
10mlで流してみる。
一瞬えづきそうでヒヤッとしたけど、吐きはしなかった。
少し間を置いて、また10ml。
夜にまた10ml。
この日はこれで終わらせよう。

でも翌日の2回目の給餌。
先に粉末にしたフォルテコールを溶かした水を流した時点で、小次郎が落ち着かなくなり、リキッドを流し込んだら5mlくらいでえづき始めて、口から何も出はしなかったけど、完全に吐出行為でした。
こんな少量も受け付けないのか。
辛そうな小次郎にそれ以上の給餌は出来ず。
口の周りもただれてきて、茶色くなって痛々しい。
どうしたら…どうしたら…



小次郎のヨダレや吐出の様子を思い起こしながらネットで調べてみると、食道炎が原因なのではないかと思えてきた。
そう、3月からの頻繁な小次郎の病院通いが始まったのは嘔吐の多さから。
その時、胃酸の逆流による食道炎の疑いがあると診断された。
治療法としてはとにかく吐かせないこと。
そのうち、後から後からいろいろな症状に翻弄され、食道炎が治ったのか、忘れちゃったのか、うやむやなままだったけど、食道が胃酸で荒れて、痛くて物が飲み込めないのだとしたら合点がいく。
それなのにチューブまで通しちゃったら、そりゃ痛いに決まってる。
何を於いても、まずはコレを何とかしなくちゃ。
でも病院はもう小次郎が疲れるだけ。
先日のヨダレへの特に積極的に何かしてくれそうでもなかった事にも、ちと不信感。
この日はリハビリのために別の病院の往診を予約していたので、ダメ元で食道炎に効果的な薬や治療法を問い合わせてみた。
私にとっては一刻を争う。
もう満足に胃に物が入っていない。
小次郎の口周りの状態もどんどん酷くなる。



私は80歳近いおじいちゃん猫にどんだけ酷いことしちゃってんだろう…!


…続く!





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