ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

自意識が変容して、自分になった

2008-08-16 20:36:24 | 観想
○自意識が変容して、自分になった


青年の頃、自分の裡に、確実に自分を支配する精神の型が出来上がり、それを自我と呼び称するのだ、と知ったとき、果たしてその自我というものの存在が自分の裡で拡がりを持つものであり、自分という精神の容器たる自我という存在が何がしかの訓練によって変容するものであるのではないか?と感じ取ったとき、何が最初に自分に襲いかかってきたのか?


それを焦燥感と言えば、言葉にすれば、最も近しいものであった、と記憶する。何をすればよいのかが分からなかったので、とりあえずは本を片っ端から読み始めた。漠然とした感覚だったが、そこからしか自分の世界が拡がる可能性がないと思わざるを得なかったからである。僕の乱読期は、70年安保闘争という時代的背景も味方をして、ジャンルは自ずと拡がって行った。僕が単なる文学青年という誰もが一度は通る可能性があり、しかし成長の過程で、自分が読み込んだ文学を見事に捨て去って、実社会という、むしろ文学的才能などが自意識の肥大を招くと命取りになるだろう道筋を折り返し、凡庸な価値意識の中に逃げ込まなくて済んだのは、幸運という以外に定義のしようがない。


つまりは、時代的背景の中で、僕は十分に世界が動く、という空気を思う存分に吸い込んで、僕の裡では、文学から哲学へ、社会学から歴史学へとその教養の糸は、まるで毛細血管が体中を駆け巡るように拡がっていった。たぶん僕が人生の大半をやり過ごせたのは、それらから吸収し得た知的蓄積が、自分の、ともすれば虚無感に落ち込む瞬時があったにせよ、そこから這い上がる精神のエナジーを裡に秘めたままで生きてこれたからに他ならない。


勿論逆に、この種の知的蓄積があるからこそ、実社会に踏み出したとき、周りの人間たちとの精神的な、あるいは人間学的な意味合いにおける乖離をどれほど強く感じざるを得なかったかは、今更ながらうんざりとさせられるものがある。僕は仕事をしつつ孤高を気どってはいたが、その実、孤独の極みにいたことも告白せざるを得ないのだろう。しかし、自分の裡なる思想ゆえに孤立を強いられ、その結果としての孤独に陥るとしても、自我というコアーから派生している自意識を捨て去ることなど一度たりとも考えたことがない。生の真実の周縁的な要素について、つまらない争いが起こったにせよ、僕にはヘラヘラと笑って負けを装うがごとき世間知は持ち合わせてはいなかった。議論には必ず勝った。負けることは自己の人生における敗北そのものだったので、あくまで勝ちを狙った。当然、味方よりは敵の数の方が圧倒的に多くなった。いや、そもそも僕には味方すらいなかったのかも知れない。職場を去る時、かつての仲間?だと思っていた人間たちがいそいそと僕から遠ざかり始めたことが、僕に事の始めから、仲間などいなかったことを如実に証明しているではないか。



人間にとって、孤立やそれに伴って襲ってくる孤独感という感慨と対峙することの厳しさは筆舌に尽くし難いものである。それでも僕は自分の信じるところに従って言動を変節させることはしなかった。毎年職場に自分の思索の跡を書き残すチャンスが訪れるが、自己の思想を実践するために、書き残した論文の数だけを数えても15本は下らない。職場の殆んどの人間が読みもしない論文集に僕はあくせくと書き綴った。管理職だけが、僕の悪評価にそれを使ったのは、初めから折込済のことであり、むしろ彼らにこそ読ませるべく、僕は自分という存在理由を主調し続けたように思う。僕の裡で支配的であったのは、アルベール・カミュの「反抗の論理」そのものであった。


さて、いまこのブログを閉じるにあたって、自分の過去の言動を否定的に総括しているのか?というと、決してそうではない。確かに実人生においては、どのように言い繕っても、成功者とは言い難い。むしろ敗残者だろう。しかし、後悔はない。すがすがしい気分ではないし、むしろ苦々しい心情に溢れた現実と向き合ってはいるが、それでよし、としようと思う。今日の観想とする。


○推薦図書「まともな男になりたい」 里中哲彦著。ちくま新書。僕のような生きかたをしないための指南書として読んでくだされば幸いです。<「まとも」になること以外に、この不全感、欠損感から逃れること方途がないとすれば、たとえ周囲から何と言われようと、それを目指す他はないでないか>というのが筆者の論理です。思想が純粋無垢に作用すると、僕のような落とし穴に落ち込まざるを得ませんので、この種の世間知に満ち溢れたことを恥かしげもなく書ける神経も、この21世紀を生き延びるためには必要か、と思います。僕とは真逆の発想をする人ですが、敢えて推薦の書としておきます。よろしければどうぞ。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃